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【2019年~2020年 総括note】「わたしは、生物学的には男性です。」-"中性"として生きた中でわかった1つのこと-

《始めに:柏野美沙からのお願い》
この記事には「今のわたしに書けることの全て」を詰め込みました。
たくさんの方に読んでいただきたいと心の底から思っています。
普段わたしのnote記事は読まないという方も、どうかこの記事だけは最後まで目を通していただけないでしょうか。何卒よろしくお願いいたします。

皆さんこんばんは。
柏野美沙です。

題名の通り、今回の記事はわたし柏野美沙の活動の総括となります。
2019年3月8日のカミングアウトから始まった活動の軌跡を当時の過去ツイートと共に振り返りながら、1年半越しに辿り着いた1つの結論をお伝えします。

活動の中でわたしが何を経験し、何を考え、そしてどのように変わっていったのか。その上で、今のわたしから伝えたいこと。
自分自身の言葉で丁寧に綴っていきます。ぜひ最後までご覧ください。

この記事は次の4段落で構成されています。

始まりは決意から -カミングアウト-

2019年3月8日。
わたし柏野美沙の活動はこの日から始まりました。

《わたしは、生物学的には男性です。》

4年間言えなかったカミングアウト。

ずっとずっと苦しくて、悩んで、自分自身の生き方と真剣に向き合って、もう嘘をつくのは止めようと決めました。だから、きちんと皆に謝って本当のことを伝えようと決心しました。

このツイートをした後は一体どんな反応が返ってくるんだろうと急に怖くなってしまって、Twitterの通知を切ってベッドに潜り込みました。

翌朝意を決してTwitterを開いてみると、本当にたくさんの好意的な反応で溢れていてとても嬉しかったことを今でも覚えています。当時コメントや反応をくださった方々におかれましては、本当にありがとうございました。

カミングアウトをした後は、自分自身の内面でたくさんの変化が起こり始めました。

例えばカミングアウト翌日の3月9日に、皆さんからの反応に嬉しくなったわたしがお出かけをしたときのことです。

街を歩いているとき、何もしていないのにふと笑みが零れる。
ベンチに腰かけてぼーっとしている時間でさえ、とても愛おしく感じる。
いつものお店でいつもと同じご飯を食べているはずなのに、え、このメニューこんなに美味しかったっけ⁉って自分でびっくりしてしまって、嬉しくなって、……とても心が温かくなる。

おそらく、ずっと抑えつけていた感情が一気に解放された結果だったのでしょう。今まで見ていた世界は何か薄いベールに覆われていたんじゃないかと感じられるほど、途端に全てが輝きだしたように映りました。

わたしが"わたし"として生きるために──。
カミングアウトとそれに付随して起こった劇的な洗礼を浴びて、わたしは前を向いて歩きだしました。

つまずきながらも歩いた道。

カミングアウトをしたことによって、それきっかけでわたしのことを知ってくれた方がいらっしゃったり、新たな出会いに恵まれたり、以前よりも気兼ねなく発信/活動することができるようになったことにより嬉しいチャンスを頂く機会も増えていきました。

しかしながらこの頃は同時にとても苦しく、自分自身の心が激しく揺れ動いていた時期でもありました。

自分自身の存在と在り方をきちんと確立するための言葉と、それを誤解なく発信する術をいつもいつも探していました。

でも、そんなこと一朝一夕にはできないものです。
今こうして振り返ってみると、たくさん、本当にたくさんの恥ずかしい醜態を皆さんに晒してしまっていました……。

正直顔から火が出るほど恥ずかしいです……。

でも、必要なことだったのだとも思っています。
中性という存在のわたしとして活動に邁進していくためには、決して避けては通れない大切な通過儀礼だったのではないかと考えています。

こんなみっともない姿を見ても見捨てずに、変わらずに、有形無形の応援をくださった皆様には本当に、心から本当に感謝しかありません。頭が上がらないです。いつも、いつも本当にありがとうございます。



とにかく自分のことで必死だったんです。
いつだって考えるのは一番に自分のこと。
自分。自分。自分自分自分。
呆れるくらいに自分のことしか見えていませんでした。

自分に自信がないからこそ、強い言葉に、攻撃的な言葉に頼ってしまう。
確固とした自己を確立できていないからこそ、強迫的な観念やイデオロギーに縋ろうとしてしまう。

そうしたときには、一度立ち止まってよくよく内省してみることがとても大切です。

だって、例えどれだけ強い言葉を使うことができたって、それは決して"強さ"などではないんです。

気持ちはわかるんです。
そういう人を見たときに、「強そうな人だな」と思う気持ちはわかるんです。そういう人に対して、ある意味憧れに近い感情を持ってしまう気持ちもよくわかるんです。「自分の代弁者として声高に訴えてほしい!」と思ってしまう気持ちもとてもよくわかるんです。

でもどうか、どうか騙されないでください。
何でもかんでも噛みついて、攻撃して、炎上してる人なんてこれっぽっちも強くないんです。格好良くなんてないんです。

わたしは今になって理解しました。
本当に強くて格好良い人は、ちゃんとあなたの方を向いて、あなたの目を見て、あなたにわかる言葉で真摯に物事を語ってくれる人です。
そしていつかは、いつかはわたしもそんな人になりたいと思っています。

"わたし"と向き合い続けた先に見えてきたもの。

1つ大きな転機を挙げるとするならば、おそらくこのnote記事でしょう。

わたしが女性の姿で暮らし始めたきっかけから始まり、その日からの6年間を一体どのように過ごしてきたのか。誰と出会い、どこに行き、何を経験してきた結果、わたしは今ここに居るのか。
通信記録から全てを紐解き『自分史年表』を作成し、その年表から読み取った3つの大切な気づきを記しました。

記事の結びに書いたように、この自分史年表はわたしに前を向く勇気をくれた大切な宝物となりました。今でも、落ち込んでしまったときとかに自分で読み直してみてこの頃の自分自身から励ましてもらうこともあります。
余談となりますが、公開から1年以上経った現在においてもこの記事がわたしの全note記事の中で最多の閲覧数を誇っていることをとても誇りに思っています。



そしてこの頃から、わたしは「スタジオring link」のイメージモデル就任を始めとして徐々にその活動の幅を広げていきます(※スタジオring linkは現在閉店しています)。

トークショーやその他の主催イベントに来てくださったお客様・ファンの方々、その他モデルのお仕事の中でお会いした方々。活動の中で本当にたくさんの方たちとのご縁に恵まれました。

もちろん活動の全てが順調に進んだなんてことはなくて、つまずいたり、大きく転んでしまったりしたことも何度もありました。出会いの中でときに誰かと望まぬ形ですれ違ってしまったり、心の痛みを伴う場面を経験したり、自身の今後について悩み苦しむことも度々ありました。


他者と共に生きるということは、互いの違いを知ること、すなわち相容れない部分と直面することを意味します。
それでも、だからこそ同時にそれはとても充実した営みになるのではないかとわたしは考えています。
そしてこの営みを通じて、わたしの言葉は少しづつではありますが着実な変化を孕んで響き始めていきます。

"わたし"と精一杯向き合った先に見えてきたのは、"あなた"という存在でした。
自分自身を見つめて、認めて、愛して抱きしめてあげたら、他者であるあなたとも向き合うことができるようになりました。

あなたのことが見えたんです。
あなたのことがわかったんです。
だから、「もっと知りたい」って、そう思ったんです。

気がつけば、"わたし"は"あなた"に向けて一生懸命語り出していました。

もうそこには自分のことしか見えなくて、自分のことで精一杯で、周りに向かって叫び散らかしていたあの頃のわたしはどこにも居ませんでした。


"あなた"と話す中で、"あなた"と関わる中で、
「この世界に生きているのはわたしだけじゃないんだ。」
「悩んでいるのはわたしだけじゃないんだ。」
「生きづらさを抱えていたのはわたしだけじゃなかったんだ。」
そう気づくことができました。

もちろん自分のことを考えることも、自分を守ることも、とても大切なことです。でも、だからといって自分のことばかり考えるようになってしまってはダメなんです。この教訓はわたしにとっての大きな救いとなりました。

"わたし"の先には"あなた"が居る。
そしてその先にはより多くのあなた、つまり他者との世界──すなわち"社会"と呼ばれる世界が大きく広がっている。

考えてみれば当たり前のことです。
ごくごく当たり前のことなんだけど、自分自身の身体と経験で理解するまでは"本当の意味"では理解できていなかった。
だから、もっと知りたくなったんです。

『この世界に生きているのはわたしだけじゃない。』

あなたとわたしと、そしてその他本当にたくさんの人たちと一緒に生きているこの世界には、どんな人たちがいるんだろう。皆は何を考えているんだろう。一体どんな社会を夢見ているんだろう。

もっと、もっと知ってみたい。
怖くても、真正面から向き合ってみたい。

例えば「生きづらさ」と一口に言ってしまっても、それはなにも性別に関わる問題のみを指し示しているわけではありません。病気、精神疾患、身体障害、家庭環境、対人関係……。この他にもきっとまだまだわたしが知らないたくさんの生きづらさが溢れていて、1人1人がそれぞれ違う生きづらさの中で毎日を生きていること。

ずっと知らなかったんです。
初めて知ったんです。

わたしは、自分にだけフォーカスすることの危うさを知りました。
もっと視野を広く持って、誰かを細やかに思いやることができる人間になりたい。そう思いました。

あなたとわたしは違う。

社会とそれを構成する人々の中で、それを心から理解し、それでも共に歩むための最適解を見つけること。
それが"生きる"ということだとわたしは学びました。

そしてこの答えを1つの糧として、わたしは社会における自身の在り方を模索し始め、自分自身の確立を目指してさらに発信/活動を進めていきました。

わたしだから言えること。
わたしだから発信できること。

伝えたい想いを素直に言葉に乗せると、たくさんの人に届きました。たくさんの人が聴いてくれました。それが言葉にできないくらいに、ただただ本当に嬉しくて。

心からの言葉で、自分の夢を語ることができるようになりました。

そして言葉で語るだけではなく、「行動」という形で示すことができるようになりました。
誰かの為に、今の自分にできる精一杯を努力することができるようになりました。
支えてくれた人たちに対して、少しずつだけど恩返しができるようになりました。

1年半もかかってしまったけれど、カミングアウトをしたばかりの頃と比べたらほんの少しだけ胸を張れる自分になれたんじゃないかなって、誇らしく思っています。

ここに至るまでわたしのことを応援し支えてくださった関係者の皆様、そして何よりもファンの皆様におかれましては、感謝の気持ちしかありません。本当に、本当にありがとうございました。



人は変わることができる。

人は変わることができます。


これがこの1年半の活動を経てわたしが導き出した結論です。

たったこれだけです。
一行で簡単に片づけてしまえる言葉だけど、今のわたしにとってこれは何よりも強く重く響く一行です。なぜならば、わたしが全てを賭けてきた1年半の全部がここに凝縮されているから。

最後に、改めて伝えたいことを3つ述べてこの記事の結びとします。

1.まずは自分自身のことを救ってあげよう。
自分自身のことを救うことができていなければ、「誰かの為に何かをする」ことなんてできません。100%無理。絶対に無理です。

カミングアウトから始まり、様々な活動の中でこれでもかと自分を認め受け入れ、これでもかと自分自身を救ってきたからこそきっと今のわたしがある。

根底において自分自身を許すことができていなければ、他の誰かのことを許すことはできないし、誰かに対して心を傾けて何かを為すことなどできません。肥大化した自意識や被害者意識を放置したままでいると、第2段落で示したような健全とは言えない大きなイデオロギーに取り込まれてしまう恐れもあります。

だから、何よりもまずは自分自身のことをきちんと救ってあげよう。
自己理解から始めて、他者との共感を経て、その上で勇気を持って広い不特定多数の中で発信をしよう。

そしてもう1つ。
自分を救うことは自分にしかできません。


本当はわたしだって、もっと救いのあることを言いたい。

何もしなくたって、大丈夫。
いつかなんとかなるよ、とか。
きっとどこかの誰かがあなたを救ってくれるよ、とか。

でもそれを言ってはダメなんです。
それを言ってしまうと、自分自身の発信と表現そのものを否定することになってしまうから。

お願いします。
心を強く持ってください。
大切なあなた自身の力を、どうか信じてあげてください。

2.「相対化して認識する」ということの大切さ。
あなたとわたしは違うということを正しく理解することが大切です。
繰り返しとなりますが、常に自分中心に考えてしまう姿勢には大きな弊害が潜んでいました。

例えば事実としてわたしは"数的弱者"ですが、それを飛躍させて自分自身をこの世の中における"被害者"であると結論づけるのはあまりにも早計かつ極論だと言えるでしょう。

"少数者"や"弱者"、そして"不平等"や"被害"といった親和性の高い領域を一緒くたにして論じるのではなく、切り分けて認識する/考察することこそがとても重要な作業であるはずです。

確かにわたしは"中性"という生きづらさを抱えている人間です。
でもそのこと自体は、決してわたしが"可哀そうな人間"であることを意味してはいません。"特別な人間"であることも意味してはいません。
わたしは、柏野美沙というただの1人の人間です。それ以上でもそれ以下でもありません。

だからもし仮にわたしが「少数者である」という理由だけで免責されるようなことがあるとするならばそれは到底受け入れられない事態であるし、今後発信力や知名度が高まっていった結果としていわば強者としての立ち位置を獲得した際に自身に大きな社会的/道義的責任が発生したとしても、わたしにはそれを喜んで背負う覚悟があります。


わたしは誠実でありたい。
わたしの持ち得る全てをもって、あなたに対して誠実でありたい。

自分自身の"至らなさ"であったり、"闇(病み)"や"未熟さ"をある意味売りにして「こんなわたしも認めてください」と表明する闘い方があることも知っています。
もしかすると、その方が賢いやり方なのかもしれません。
だとしても、わたしはそういったやり方は捨て去ることをここに誓います。

1人の表現者として、そして何よりもまずは1人の人間として当たり前の責任を果たしていきたい。そう強く考えています。

3.時間をかけて物事を考える重要性と、その尊さ。
物事を中長期的な時間軸の中で考えること。
今後も大切にしていきたいわたしの指針です。

受け入れ難い事実や事象に向き合ったときには、それが自身に入力されてから→自分の考えや態度として出力されるまでの間に思い切ってタイムラグを設けてみる。

直情的、条件反射的に怒りや攻撃といった形で反応するのではなく、自分の中に保留しておく期間をつくってみる。

決して理不尽に対して憤るなと言っているわけではありません。
怒りは大切です。
悲しさも悔しさも大切な気持ちです。
でもそれに囚われてしまってはいけないと思います。

怒りたいときは怒ればいい。
確かにそうかもしれないけど、社会に怒り続けて、反対する人に怒り続けて、自分自身にさえ怒り続けて、結果消えてしまった人をわたしはたくさん知っています。


ある事柄に対して言葉を尽くすのは大切なことです。でも、敢えて言葉を尽くさずにいることも大切なのだと気がつきました。

是か非か、慎重に考えながら自分の立ち位置を定めていく。そしてときには全く新しい第3の立ち位置も模索してみる。

この営みの中で、自分なりの考え方を育んでいく。
ゆっくり深く綿密に編み込まれた思考はいつしか体系として機能するようになり、あなたの確かな寄る辺となる。
そこから紡ぎだされた言葉は、言うなれば"生きている言葉"となって相手の心に強く響くでしょう。

そのようにして自身の価値感を持つことができた人間こそが、誰かを感動させるような新しい価値を生み出すことができるようになるのではないかとわたしは信じています。


だから、わたしはもっと考えていきたい。
自身の在り方について、社会との向き合い方についてもっと勉強していきたい。
そしてもっともっと、これからもあなたとずっと一緒に生きていきたい。


これからも柏野美沙は自分らしく、一生懸命活動を続けていきます。
ぜひその姿を見守っていてくださるととても嬉しいです。

わたしは語り続けます。


柏野美沙



─★柏野美沙の文章をもっと読みたい!という方はこちらもぜひご覧ください★─
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わたし柏野美沙が女性の姿で暮らしてきた日々を詳細に綴るノンフィクションエッセイです。ぜひご覧ください。

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