みたらし

散歩してます。その時その時に思っていたことの記録として残します。

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最近の記事

行動に理由を求めるが大人?それともトレンド?

2日前にふと思いつき、縄跳びを購入した。 縄を跳ぶのは実に15年ぶりであった。 ひとまず二重跳び100回を試みたが80回ほどで腕に限界がきた。これが衰えというものだろうか… 多少ショックを受けたが、コンクリートと縄により弾き出される一定のリズムが僕に頑張れと拍手しているように聞こえ、15年前とは違う楽しさを見つけた。 特段理由もなく始めた縄跳びだが、僕はこれまでも特段目的、目標、モチベーションなどなく何かを始めることが多々ある。 例えば今年の1月から習い始めた中国語もそのう

    • 3月末の朝

      カーテンから差し込む朝日から逃げるように枕に潜り込む 5分おきにささやく携帯電話をなだめながら時計に目をやり飛び抜ける 鏡に映る見慣れた顔を洗い、寝癖を鎮める 食卓にはトーストとヨーグルトのラインナップにフルーツが彩りをポツリ ニュースで流れる昨日までの出来事が不安と少しのワクワクを 6位の運勢とラッキカラーの黄色いハンカチと共に家を出る 駅までの8分間 見慣れた景色には白梅が咲き、蕾の桜がちらほらと 春がきた 半月後を想像して優しい気持ちになる 色とりどりの新しいランドセル

      • 白息

        冬の風物詩 子供の頃はよく見ていた 下向きだと見ることができない景色 大袈裟な僕は自信満々に友達に話す あの雲は僕の白息で作った 大学生冬の帰り道 僕から出るその白息は一瞬で空に溶けていく 公園のベンチで寒いねと言いながら 僕らの会話へ滲み消えていく 27歳冬の散歩道 ふとマスクを外し夜を歩く 空に溶けてく白息に見惚れ立ち止まる 体の中のもやもやまで空に溶けていく マスクはその刹那の景色まで覆っていた 空へ溶けていく白息と日常の美しさにマスクをしているこの状況が、どうか

        • 傍観者にすらなっていない

           連日マスメディアではロシアによるウクライナ侵攻が取り上げられている。だが、僕は何も知らない。知ろうともしていなかった。それよりも自身の休日の予定や趣味に費やす時間の方が時間を費やすに相応しいと思っていたからだろう。つまり関心がなかったのだ。  先週、飲食店でウクライナのビルが爆撃を受けている映像を目にした。まるで映画を観ている感覚だった。そのような感覚は東日本大地震の津波や大火災の映像ぶりである。そして目の前で、とある男女2人組が「やば、爆発うける」と発言をし笑っていた。唖

        行動に理由を求めるが大人?それともトレンド?

          死にたくない場所

          最寄りの駅から池袋に向かって歩く 梅の花が咲来始めた神社を横切り、首都高をくぐり、池袋商店街を歩く 道を逸れるとラブホや風俗店が並ぶピンクの景色 2月の昼間から建物に入る人たち 風俗童貞の僕は思う もし死ぬとしたら、あの通りでは死にたくない あの建物の中では死にたくない 特段ピンクな街並みに嫌悪感や抵抗感があるわけではない それらは経験不足から来る、知らないもの怖さかもしれないし その場で自分の遺体が見つかった時の周りの目が怖さなのかもしれない となると、死後の自尊心が保てな

          死にたくない場所

          タバコ休憩は悪だ

          タバコ休憩は悪だ 勤労社会に参加し6年の春を目前とし、自分の中で変わらぬものがある そのうちの大きな一つが喫煙者に対する嫌悪感だ 奴らは当たり前のように60〜90分に1度は10分間のタバコ休憩を挟む。1日の就業時間のうち約1時間、年間換算だと約240時間、嗜好品に時間を費やしている。経営陣や人事はこの可笑しな当たり前に目を向けるべきである。  非喫煙者の僕はこの当たり前には違和感と嫌悪感しかない。その感情をさらに助長するのは喫煙者の意味の分からない言い分である。『でも、その分

          タバコ休憩は悪だ

          総称して善意

          他人に迷惑はかえてはいけない。馴染みのある言葉である。  僕は幼少期から両親に他人に迷惑をかけてはいけないという言葉に加え、迷惑ばかりかけていると周りに誰もいなるよ、人に優しくしなさいと教えられ育ってきた。  一方、私の兄は、他人に迷惑は〜は、同じだが君は強いんだ他人にやられたらやめてとはっきり言いなさい。と言われ育ってきた。  同じ両親から生まれ、遺伝子レベルでも世界中で最も似ている兄と僕は生まれた時からベースとなる性格は異なっていた。  兄が生まれ約30年、2年遅れなが

          総称して善意

          憂国者

          三輪太郎さんの作品を読むのはこれで2冊目だ。三輪太郎さんの作品は1つしか読んだことがないが、その1冊にとても惹かれた。本作共に三輪さんの作品は小説というよりかは、何か議論を見ているように感じるからだ。  1冊目はポルポトを絡めた作品であった。彼は1975年からの4年間で、カンボジアで170万人の虐殺を行った指導者である。そして、本作はラドヴァン・カラジッチ、三島由紀夫を焦点とした作品。カラジッチはボスニアヘルツェゴヴィナ1992〜1995スレブレニツァの大虐殺の中心人物であ

          百蔵

          27歳の初夢は亡き祖父が登場した。戦争を経験した祖父、強さと優しさの象徴のような存在であった祖父。他界して8年経つが思い出す祖父の顔はいつも笑っていた。とても優しくてとても温かい笑顔で。  夢の中で私は祖父と話していた。内容までは覚えていないが、とても落ち着いた時間を過ごしていた。隣の部屋にいた祖母や両親の元へ顔を出し、おじいちゃんが〜と話すとみんなは祖父はもう亡くなったという。初めは意味が分からず理解できなかったが、徐々に祖父が亡くなったことを思い出す。すぐに祖母たちを祖