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行動に理由を求めるが大人?それともトレンド?

2日前にふと思いつき、縄跳びを購入した。
縄を跳ぶのは実に15年ぶりであった。
ひとまず二重跳び100回を試みたが80回ほどで腕に限界がきた。これが衰えというものだろうか…
多少ショックを受けたが、コンクリートと縄により弾き出される一定のリズムが僕に頑張れと拍手しているように聞こえ、15年前とは違う楽しさを見つけた。

特段理由もなく始めた縄跳びだが、僕はこれまでも特段目的、目標、モチベーションなどなく何かを始めることが多々ある。
例えば今年の1月から習い始めた中国語もそのうちの一つだ。中国人の友達がいたわけでもなく、中国の映画やドラマも見たこともない。もちろん、仕事で中国語を使うことなど一切ない。
ふと、中国語をしてみよう。と思ったのがきっかけであった。今では中国語を学ぶのが日常生活の楽しみとなり、中国人の友達もできた。

 さて、長くなってしまったがここからが本題である。他者に特段理由もなく何かを始めた話をすると毎度聞かれる言葉についてである。
「目的は??」「そのモチベーションはなに?」
僕はいつも困ってしまう。感覚的には本屋でたまたま目に入った本を手に取ってみた程度である。その本が面白ければ尚良し。
そのように話すと皆同じように話し出す
「理由なく始めれるってすごいね」「目的なく続けれるのすごいね」
不思議である。はて、この年代になると何かを始めることに理由や目的を求めるのが流行りなのだろうか…
これは個人の性質の問題だが、僕の場合はプライベートの原動力は何となく楽しそう。であり、良いか悪いか今も昔も変わっていない。
 一方、僕の周りは計画的且つ目的あってという考え方が多そうだ。きっと皆んな昔は何かを始めるハードルはそんなに高くなかったのではないだろうか…これが大人か、、なんて考える。
 慣れない考え方はやはり窮屈に感じるが、夏までに何かを計画的に始めてみようと思った夜であった。

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