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傍観者にすらなっていない

 連日マスメディアではロシアによるウクライナ侵攻が取り上げられている。だが、僕は何も知らない。知ろうともしていなかった。それよりも自身の休日の予定や趣味に費やす時間の方が時間を費やすに相応しいと思っていたからだろう。つまり関心がなかったのだ。
 先週、飲食店でウクライナのビルが爆撃を受けている映像を目にした。まるで映画を観ている感覚だった。そのような感覚は東日本大地震の津波や大火災の映像ぶりである。そして目の前で、とある男女2人組が「やば、爆発うける」と発言をし笑っていた。唖然とした。どうして、そんなことが言えるのだろうか…。そして、気づく。僕も同じではないか、と。僕も彼等と同じ場所に立っている。違いは声にするかしないかの違いだろう。関心がなかった僕は傍観者にすらなっていなかった。
 帰宅し兄と両親に連絡を取った。ウクライナ侵攻についてどう思うかと。みな独自の意見を持ち更には寄付をもしているとのことだ。寄付をする人が偉いというわけではないが、僕と立っている場所が違ったことにショックと安堵を受けた。僕はいけない人間かもしれない。と思うと同時になぜ父母兄は国も文化も場所も何もかも違う人たちにそこまで寄り添えるのだろうか。考えた。おそらく、少しでも知っているから。知ろうとしているからだろう。

 無関心であった僕は今は少しずつ情報を取り入れている。情報源はSNSやマスメディアだ。そして、去年までアフガニスタン紛争が続いていたことをようやく知った。1つ疑問も残る。アフガニスタン紛争はそんなに報道されていたか?

 インターネット、SNSの普及、テレビ離れにより、僕らは既に関心のあることにフォーカスする生活スタイルになっている。これはきっと僕だけではないはずだ。だからこそ僕は浅くてもアンテナを立てて自分なりに理解をした上で何かに寄り添える人になりたい。
 最後に、やはり戦争はダメだ。戦争体験者の祖父母や日本唯一の戦地である沖縄の方々から多くの感情や恐ろしい話を聞いたことを思い出す。戦争は関わる人や場所のこれからとこれまでを縦横無尽に破壊してしまう。どうか、誰も死なないで。どうか誰も傷つけないで。

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