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戦争と、恐怖と、世界と、無知と。

ロシア軍によるウクライナ侵攻のニュースを、
いちばん最初に見たとき、
なんとゆうか、ことばにならないような、
とてつもない恐怖を感じた。

この感覚とは、これまで
戦争のニュースを見ることによって、
心を痛める、というのとは、
どこかちがっているようにも感じられた。

ぼくは、どちらかと言えば、
昨日のブログでも書いたのですが、
今まで、戦争というものに対して、
深い関心を持ってなかったふしがある。
たとえば、ぼくが小学3年生くらいのころ、
湾岸戦争が起き、テレビのニュースでは、
ミサイルがひゅんひゅん飛ばされている映像を見ながら、
どこか、ゲームのようだ。
と、思った記憶がある。
大学2年生のとき、
9.11が起きたときには、
大学の夏休みで旅行をしていて。
当時友人が住んでいた松江から、
友人と二人で豊橋へ帰ろうと、深夜バスに乗り、
早朝、深夜バスが到着した大阪の駅でニュースを見て。
そのとき、映画のようだ。
って、友人に話したのを憶えている。

その後にも、
戦争のニュースを見れば、
怖い、痛ましい、戦争反対したい、
とは感じながらも、もしかしたら、
それは遠くの世界で起きている出来事だと
思っていたやもしれない。

ウクライナ侵攻に関して、
いろいろな意見を読むなかでは、
ロシアの西側はウクライナがあり、
その反対に、東側には日本があり、そして、
日本とロシアでは北方領土問題を抱える。
ともすれば、遠くの世界の出来事ではなく、
当事者のごとく関係がある戦争である。
というような意見を読みながら、たとえば、
ぼくがニュースを見て感じた恐怖とは、
そういうものを、一気に、
肌で感じたような恐怖だったのやもしれない。

とは言っても、戦争を、じぶんの
遠い世界で起きている戦争と、
近い世界で起きている戦争とで、
分けることはできない、
というのも思っている。

でも、そう考えるには、
ぼくには、知識が
あまりにも少なすぎるし、
無知すぎる。

戦争に関することだけに限らず、
あらゆることについて、ぼくは、
無知すぎる。

そして、ぼくは、でも、
じぶんの知らないあらゆることを、
どんどん吸収しながら学んでゆけるような、
タフな頭脳を持っていない。。。

そんなようなことをね、
今、思いながら、じぶんは、
どうしたらよいんだろうか? と、
それは、じぶんなりに、なのだとしても、
想っているの。

令和4年3月2日


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