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今年のお盆は、皆さんはいかがお過ごしでしたか

帰郷してきた息子たちとともに、ダーツの旅&お寿司を食べてきました(^^♪

お盆は、ご先祖さまと、ともに家族でご飯を食べて、感謝をする法要

この『盆』 皿を分けると書きます。

コロナ禍は、歴史的な史実になりますが、過去には、震災や飢饉がありました。みんな食べるものがないとなった時、家族で一番最初に亡くなるのは、嫁だそうです。家族のために、食を他の子に分けてまで、いのちを残してくれたのですね。

私の祖母は 満州から、いのちからがら逃げてきました。
途中、亡くなった叔父にあたる男の子もいたそうです。
祖父母が必死で守ってくれたから、父がいて、今の私がいるわけです。
皆で、皿の食事を分けあう精神こそが、人のいのちを繋げてきました。

私たちに幸せになってほしい。
わたしたちの命は、ご先祖さまから受け継がれてきた命です。
天からの命が隠れています。

盂蘭盆会(うらぼんえ)

正式名称は、サンスクリット語 ullambanaが由来で、お亡くなりになったご先祖さまをお迎えして、共に食事をするのがお盆。旧暦7月15日前後。または、新暦8月13日に迎え盆16日に精進送りで霊をお送りします。

お盆のおはなし
お釈迦様の弟子、目連尊者は神通力によって、亡き母が餓鬼の世界に落ち
逆さ吊りにされて、飢えと渇きに苦しんでいる光景を目にしました。私にとっては、どんなに愚かな母であろうとも、私にとっては代えがたい母。何とか救いたいと、お釈迦様に相談し、母親の出来なかったこと。同じ苦しみをもつすべての人を救う気持ちを持てば、母を救えるだろうと諭され、厳しい修行を終えた僧侶たちに、食べ物や寝床などを捧げたところ、その喜びにより、母が極楽浄土へ救われたことから、精霊を供養する行事として生まれました。逆さづりになった人を広く救う盂蘭盆会。日本では7世紀ごろからといわれており、日本の盂蘭盆会は、紀元前からの先祖供養と重なり、親孝行、先祖に感謝し、供養する意味合いが強いようです。

先祖は何人?

さきの話のように、私が生まれてくるのに、父母の二人。父母が生まれてくるのに、また二人+二人。そのまた、祖父母の父母と。。どれだけの人が私のいのちに関わっているでしょう。とてつもない人数の祖先のいのちが私に流れています。

私がここに存在しているのは、
とてつもない数のご先祖さまのいのちがあったから。
私というものは、ご先祖さまたちの築いてきた礎のもと、
生きていく知恵、しつけなどを通して、受け継いでいます。

ひとことで、先祖供養といっても、先祖へどのような想いを馳せますか

みなさん、子供に向けて、不幸せになるようなアドバイスはしないと思います。同じように、ご先祖も幸せを願っていたでしょう。

目連尊者のように、
生前の祖先の徳、志、先祖を偲ぶことが何よりの供養ですし、
現代は、核家族化、離婚、コロナ禍など、家系の繋がりも希薄になりがち。

家族を大切にしたいという願いは、大半の人が想い描くことなら、
わが身、いのちを振り返ることと同様だと感じます。
ご先祖への感謝は、永遠のいのちとして末代まで、
しあわせになって欲しいという想いが連鎖した結果、私がある。

人はひとりで生まれ、ひとりで死にます。
個ですから、孤独感と切り離せないのは、当たり前。
むしろ、私たちは、個として、認められることを望んでいます。
個を受け入れ。自律した状態で、皆と繋がり、
分かち合う精神が、孤独感を打ち消していきます。

縁の最初の一歩は
時空を超えた家族とのつながりの中に
何が自分とを繋げているのか、感謝を通して、
自分というものを見つけることができるかもしれません。



お寿司を食べながら、、
子供たちに繋げていきたいこと
自分に誇りを持ち、自分を存分に活かし、自己成長のトライできる場を選んで生きる。そこに、本当に満足できるしあわせがあるんじゃなかろうかと。
母ちゃん、信じてるし、全力で応援するよ~
子供たちの笑顔を見ながら、あらためて、誓ったこと。

未来の子供たちのために、まず、自分がその生き様をみせよう!

生まれてきてくれて、ありがとう(^^)


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