未来短歌会

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未来短歌会

短歌結社「未来」のアカウントです。どうぞよろしくお願いします。 http://www.miraitankakai.com/index.html

マガジン

  • REIWA NEXUS

    短歌結社誌「未来」2019年9月号からの連載企画「REIWA NEXUS」を随時更新します。

最近の記事

2021年6月5日岡井隆をしのぶ会

「岡井隆をしのぶ会」のオンライン配信を行いました。当日のアーカイブはこちらよりご覧ください。

    • コロナ・ネット・断絶・現代(山川築)

       西村さんの日記を読み、虚を突かれたのは、漠然と現代を捉えるのではなく、まさにいま現在進行中の事態である新型コロナウイルスを取っ掛かりにしていることだった。いや、それは自然なことかもしれないが……わたしにはその発想がなかった。  「コロナ読み」の話になるほどと思う。わたしも意識下では影響を受けているだろう。西村さんは慎重に書かれているが、状況や感情を代入して読める(場合が往々にしてある)のも、短歌の価値だと思う。一方で、新型コロナウイルスの歌しか詠めない、という声は意外なのだ

      • 不連続に劇的に(山下翔)

         西村さんの「コロナ読み」の話を読みながら、似たようなところで「震災読み」の話題をおもいだしました。二〇一一年のあの震災のあとでは、たとえば「津波」という語がそれまでとはちがったニュアンスをもって読まれるようになった、というような話です。むろんそれだけに限りませんが、「震災」というフィルターを通してうたが受け取られるようになった、というのは自身の〈読み〉を振り返ってみても、おもいあたることです。  あの震災と今般のコロナ禍の相似で言えば、いわゆる自粛ムードのことがおもわれて

        • つながっている(田丸まひる)

          ――三巡目「短歌と現代」  今まで当たり前だと思っていた日常が、災害によってある日突然、もしくは今の新型コロナウイルスの拡大のようにじわじわとくずれ落ちていく。西村さんの言うように、「現代」は、たとえば昨年思い浮かべていたようなものとは変わってしまった。  「コロナの歌しかできない」という歌人の話があったが、わたしは正直、歌を詠むこと自体がなかなかできなかった。気力がなくなっていた。ウイルスそのものよりも、マスクなどの資源や人員が存分に足りていればもっと対応できるはずの医

        2021年6月5日岡井隆をしのぶ会

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        記事

          とある誤読の話(西村曜)

          ――三巡目「短歌と現代」  この交換日記も三巡目、さいごのテーマとなった。第一期の三巡目「短歌の過去・現在・未来」にて山崎聡子さんが「交換日記だと思って気楽に書き進めてきたエッセイの最終回がこんなテーマでとまどった」と書かれていたけれど、わたしも三巡目で手が止まってしまった。それでも「短歌と現代」ということで、わたしがTwitterから短歌にのめり込んでいった話などして、短歌と現代のSNSについて書くつもりだった。ところがだ。これを書いているのは二〇二〇年四月。この十六日に

          とある誤読の話(西村曜)

          高島裕インタビュー(後編)

          「ここに自分がいるのがすごく自然」――帰郷されて、個人誌の『文机(ふみづくえ)』をお出しになります。 高島 これもずっと前から、ささやかな個人誌を出そうと思っていました。自分なりの美学で首尾一貫するようなもの、あとは、パッと読みやすくて短くてコンパクトで、でも中身は極限まで濃縮されて、読みごたえのあるものを作りたいなと。 ――それを出すことと「未来」をやめることは関係していますか。 高 やっぱり内的に関係していますね。そういう美学のほうに行くっていうのは、現代短歌じゃないと

          高島裕インタビュー(後編)

          神戸在住(山川築)

           そういえば、交換日記をするのは人生で初めてだ。定期的になにかを交換すること自体が初めてかもしれない。  木村紺『神戸在住』(全十巻、講談社)は、神戸の大学の美術科に通う辰木桂の日常を描いた作品だ。基本的には、起伏に富んだ展開は少なく、桂の語り口はおだやかで抒情的だ(そして、だからこそ、まれに現れる激しさが強烈でもある)。ちなみに、カバー下のおまけも必見。  交換、ということで思い出すのが、桂と「読書友達」の伏見淳美の話だ。週に1度だけ同じ講座に出席するふたりは、会うたび

          神戸在住(山川築)

          代数系入門(山下翔)

           二〇一一年のことで、まず思い出すのは成人式です。夜の会だけは出ようと、電車と船を乗り継いで地元へ向かいました。小さな高速船です。波がたっていて、客室は後ろ側だけが開放されていました。  次の日はバイトでした。朝まで飲んでそのまま帰ろうと船は往復券を買ったのだった――いま思い出しました。手帳と松坂和夫『代数系入門』を突っ込んだだけの紙袋を手に提げ、海辺の国道をふらふらとホテルまで向かいます。鼠色の雲が、空の低いところまで覆っていました。大学行って数学にのめりこんで、もう地元

          代数系入門(山下翔)

          物語の話(西村曜)

           田丸さんの好きな本について、読後に「不完全」と、もうひとつ「関係」というワードが胸に残った。人がおのれの不完全さを思い知るのはなんらかの関係のなかでしかできないことかもしれない。  前回にも書いたが、わたしは中高と不登校だった。中学三年のある日おなじクラスの生徒にクセ毛をイジられたのが発端で、学校へ行けなくなった。親しい友だちはプリントといっしょに「学校へおいで」と励ましの手紙を届けてくれたし、担任の先生も家まで来てくれ、親もともに悩んでくれたが、再登校はできなかった。

          物語の話(西村曜)

          不完全を生きる(田丸まひる)

          ――二巡目「私の好きな本」  「母という生き物は大変ですね。子どもがすべてで、子どもにとってはお母さんが絶対的で」と屈託のない笑顔で言われて、正直戸惑った。  昨年の初夏に出産をして、たしかにわたしは自分の子どもにとっての母になった。今は子どもと過ごす時間がいちばん長い。しかし、仕事も短歌も、そのほか好きなアイドルの応援をすることも、時間配分は変えながらもそれぞれ大切に思う気持ちは減っていない。子どもの予想外の動きでやりたいことができないと、仕方ないと思いつつ腹が立つこと

          不完全を生きる(田丸まひる)

          高島裕インタビュー(前編)

           一時、結社「未来」から離れていた歌人の高島裕さんが再び入会したことが大きな話題となった二〇一七年に、同じく「未来」所属の歌人・小説家の錦見映理子さんによるインタビューを行いました。「未来」二〇一七年五月号に掲載したものに、未公開部分を加えた完全版でお届けします。 「古い言葉の力に目覚めた」――未来をやめて再入会するまでどれぐらいの期間があったのでしょうか。 高島 やめたのが二〇〇二年の春で、再入会したのが二〇一六年の十二月号ですね。十四年くらいたっていました。 ――その

          高島裕インタビュー(前編)

          光の道(山下翔)

          ――一巡目「私と短歌」  皆さんの日記を読みながら、なんというか、こんなにも違うものか……とおどろいています。短歌と遭遇した瞬間ってもっと似通ったものだとおもっていました。いまだに、「他者」ということが実感としてはまるでわかっていないのだな、とおもいます。  田丸さんの「汽車」に促されつつ書いています。高校を卒業するまで住んだまちにも、電車ではなくディーゼル車がはしっていて「汽車」と呼ばれていました。高校二年のころに半分ほどが廃線になってしまったその「汽車」に乗って、この

          光の道(山下翔)

          沼へ(山川築)

          ――一巡目「短歌と私」  田丸さんの文章は、さわやか、と思った。一篇のプロローグのようでもあり、するっと最後まで読まされて、じーんと余韻が残る。西村さんの文章は、劇的、と感じた。文体の力も大きいのだろうけれど、なにより短歌との出会い方自体が、劇的。わたしの文章は、どんなふうだろう。  高校生のころ、歌集を一冊だけ読んだことがある。笹公人さんの『抒情の奇妙な冒険』という歌集だ。SF叢書から出ていたし、変な題名だったので、気になったのだ。  二〇一五年、NHKで笹さんの『念力

          沼へ(山川築)

          一行の話(西村曜)

          ――一巡目「短歌と私」  田丸さんの「短歌をはじめた頃」駆け出していくかんじがいいなとおもった。出会ってしまったらもう、駆け出していくしかない。それしかないと感じたら、なりふりかまわず駆けていくしかない。  中高と不登校児だったわたしは、高卒認定試験を経て京都の某私立美大へ入学した。美大には、わたしとおなじように絵を描くのがすきで、そしてどこか生きづらい女の子がたくさんいた。それだけでもずいぶんと救われたのだけど、いままでが不登校をしていたので大学に通うのはつらかった。

          一行の話(西村曜)

          やたらに風の強い町で(田丸まひる)

          ――一巡目「短歌と私」  「汽車の時間やけん、帰るな。またあした」全国で唯一電車の走っていない県で、高校生だった。毎日は自宅と高校の往復で過ぎていく。モーニング娘。が好きでよく口ずさんでいたけど、カラオケボックスに行ったことはなかった。コンビニっぽい店で買った雑誌で見かけた浜崎あゆみのブレスレットが可愛いと思って、雑貨屋で似たようなイミテーションを探した。コンサート会場も、「本物」を売っている店も、汽車でたどり着ける場所にはなかった。  それでも退屈だと思わなかったのは、

          やたらに風の強い町で(田丸まひる)

          積み重なる新しさ(馬場めぐみ)

          ―― 三巡目「短歌の過去・現在・未来」  短歌研究十一月号掲載の石井僚一さんの連作二十首「短歌をやめた日」がとても印象的だった。   あなたに賭ける、と言われて、この人に短歌のすべてを賭けよう、と思った東京の日   電話をすれど電話をすれどつながらない日 あなたは短歌をつくっていました   こんな歌つくらないほうがいい、と言われて歌会にいくのをやめた日   なんだか嫌なきもちの日   会えば殴るか刺すか首を絞めるかしてしまうと思って二度と会わないために短歌をやめた日  

          積み重なる新しさ(馬場めぐみ)