見出し画像

つながっている(田丸まひる)

――三巡目「短歌と現代」

 今まで当たり前だと思っていた日常が、災害によってある日突然、もしくは今の新型コロナウイルスの拡大のようにじわじわとくずれ落ちていく。西村さんの言うように、「現代」は、たとえば昨年思い浮かべていたようなものとは変わってしまった。

 「コロナの歌しかできない」という歌人の話があったが、わたしは正直、歌を詠むこと自体がなかなかできなかった。気力がなくなっていた。ウイルスそのものよりも、マスクなどの資源や人員が存分に足りていればもっと対応できるはずの医療現場が資源や人員の不足(それは誰が招いた?)のために混乱していることや、補償も確実ではない「自粛」を振りかざされること、感染した人を責めるような声などに疲弊し、不安を感じていた。それらを題材に詠むとスローガンのようになりそうで、それはわたしの目指している短歌の姿ではないと思った。「未来」の締切ぎりぎり前になんとか半径数メートル以内の出来事などを詠んだが、誌面作りに関わってくださる方々を危険にさらさないのか、とも思って苦しかった。

 今この記事を書いている四月末には、数週間前まではまだ地方での影響は少なかったため笑顔で集まることができていた地元の歌会(それでも参加人数は少なかった)も中止することになった。それに伴ってオンラインシステムを使って歌会を行うことになったが、ただ休むんじゃなくて、なんとかして歌会を継続しようとする歌人の短歌への愛は好きだな、と思った。もちろん、歌会ができることがすべてではないが。

 わたし自身も、振り返れば「現代」のシステムによって短歌と関わってきた(そもそも今回はそういうことを書くつもりでいた)。短歌を詠むようになったきっかけは高校の図書室にあった本だったが、そのあと実際に短歌を発表する場になったのも、短歌を通じて交流する場になったのも当時歌人たちが交流を始めていたインターネットの掲示板やブログだった。地方の小さな書店には置いていない歌集を探すのにも、インターネットを使った。

 社会人になって、飛行機や高速バスじゃないと行けないような遠い場所での歌会や批評会に行けるようになってからも、インターネットで歌会を続けていた。何度も会ったことのあるひとも、一度も会ったことのないひともいたが、地方にいても無理することなく一緒に短歌を楽しめることがうれしかった。「現代」でよかったと、なんとなく思っていたのだった。

 そんな「現代」はいま、実際に集まって顔を合わせる歌会をすることが難しくなった。一時的なことだと思いたい。つい先日、いつもの歌会のメンバーとWeb会議システムを使って話をする機会があったが、画面越しとはいえ顔を見ることができてほっとした。毎回は参加できない遠方のひともいて、うれしかった。

 でも同時に、会って話したいという気持ちも、消えることなくそこにあった。歌集だって、書店に行って自分の手に取って選びたい。空気、手触り、そんなものたちが愛おしい。短歌は、ただ紙や画面の上の文字なんかじゃなくて、だれかの日常や感情、思考や世界観につながっている道だったのだ、といま思う。それがわたしの短歌といま、現代だ。

  画面越しに浮かんで消える膝があり、そっちはあったかそうでよかった

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?