見出し画像

人の目を気にしすぎる苦しみ

自分がメンタル不調になってから気付いたのは、自分が異常なほど、人の目を気にし過ぎていたということです。それが苦しみの原因の一つだったのではないかと思っています。もちろん人の顔色を伺う技術というのは、接客業などで役に立つかもしれません。しかし、売り上げのため能動的に人の顔色を伺うのと、人の顔色を伺わなければ生きていけないといった強迫的なものとは、全く性質が異なると考えています。

人の目を気にしすぎる人というのは、「人の目を気にしなければならない」といった強迫的な観念を抱えています。他人からの評価次第で自分の生存価値さえも決まってしまう無価値感を抱えています。そのため、相手に承認されたり、褒められるかどうかが死活問題となります。そのため、上下関係をやたらと持ち出し、自分が下の立場だと、へこへこと卑屈になります。また、自分が承認されるためには、上の立場の人には、自分よりも優秀でいてもらわないと困ります。そのため、勝手に理想を押し付けて期待し、勝手に失望するといったサイクルを繰り返します。これを「理想化とこきおろし」といいます。

一方で、自分が上の立場になった時には、上下関係で人間を認識するので、優越感を感じて他人を見下したり、自分の考えや「正しさ」を押し付けようとします。やけに他人にアドバイスしたり、「こうすれば幸せになれる!」「あなたもこうした方がいい!」と主張する人は、まさしくこのタイプだと思います。

そのため、他人の目をビクビク気にする人は、一見すると優しく見えますが、実は立場によっては、権力を振りかざすモラハラ人間になる可能性が高いような気がしています。パニック系の漫画には、こういう権力を握った途端に暴君になるタイプって必ずいますよね。

基本的に「自分が〜したい」「自分が〜したくない」ということに、「正しさ」や「誰かからの承認」は必要ありません。したいならすればいいし、したくないならしなければいいだけの話です。(もちろん、その行動の責任は自分で取ることが前提です。)それを不安に感じていたり、「〜したい」「〜したくない」という自分の思いを受け入れることができないから、それを上の立場の他者に認めてもらおうとビクビクと必要以上に顔色を伺ったり、「〜しなければならない」という規範を持ち出し、それを他人にも押し付けようとしてしまうのです。

さらに悪いことに、押し付けがましい人は「正義感」があるので、それに従わない相手のことを憎んだり、怒りを抱えてしまったりします。そして、最終的には、周囲の人と孤立してしまうので、自分と同じような考えの人と繋がることでしか、生きていけなくなります。SNSだと容易にそういう関係性を作れますし、興味のあるコンテンツしか画面に表示されなくなるので、余計に洗脳を解くのは難しい時代ですね。宗教やマルチ、セミナー系の集団は、このような心理を利用して、献金、寄付、会費、受講費などを集めるビジネスを行っているように思います。

改めて考えると、これまで自分も説教くさくて独善的なタイプだったなーと思いますし、恥ずかしくてうんざりします。今だに、自分の考えとは違う人に対して、モヤモヤしてしまったり、つい批判したくなってしまいます。しかし、自分の考えを押し付ける必要もなければ、その正しさを認めてもらう必要なんてないんですよね。

また、「〜した方がいい!」「〜しないのはもったいない!」とか、そういう主張をするインスタグラマーやセミナー講師系の投稿を見ると、ものすごくイラっとしてしまいます。きっとその内容に「押し付けがましさ」を感じるからでしょう。また、その投稿主がオススメしている内容を実行しない人間のことを「正しくない」と否定しているように感じるから、不快感があるのだと思います。色んな生き方があっていいし、自分に合ったライフスタイルを求めればいいはずです。それを他人にとやかく言われる筋合いはないと思います。

とはいえ、自分は双極性障害を治療するにあたって、公認心理師や精神科医、医療従事者、心理学者などの言うことは、比較的参考にさせていただいています。なぜなら、このような専門家は、さまざまな症例を見ているし、発言に責任があるからです。

一方で、セミナー講師やフリーの心理カウンセラーなどの言うことは、簡単に鵜呑みにしないようにしています。なぜなら、全ての方がそうだとは言えませんが、自分の体験談に基づいた解決策・手法のみを発信している方があまりにも多いからです。簡単にいうと、風邪薬を飲んで体調が良くなった経験があるから、どんな人に対しても、風邪薬を勧めているような、そんなカウンセリングやセミナーも少なくないのではないかと、私は感じています。個別具体的な事象が、全ての物事に当てはまるかのような一般化をするのは、とても乱暴なような気がしています。下記に、そんな具体的を記載します。

(具体例)
・外資系企業で人事をしていた人の言うことを、国内の中小企業に転用しても、必ずしも成功するわけではないし、逆に組織が崩壊する可能性もあります。
・東大に子どもを合格させた教育ママの教育理論が、全ての子どもに効果的とは限らない。子どもの性格に合った教育をしないと、親子の信頼関係は壊れます。
・セミナー講師のメンタル改善手法が、精神疾患を抱えている全ての人に通用するとは限らないし、かえって体調が悪化するかもしれません。
・トヨタ式のカイゼン手法が、スタートアップベンチャーにも効果的とは限らないし、組織的な体力がなければ負担が大きすぎるかもしれません。
・寒風摩擦をしているおじいちゃんが健康だからといって、全ての人が寒風摩擦をすれば風邪を引かないわけじゃないし、むしろ身体を冷やしてしまい風邪を引くかもしれません。
・とある宗教に入った人が幸せになったからといって、他の人も同じように幸せになるとは限らないし、そもそも価値観は人によって異なります。

特に精神疾患は目に見えないので、その原因は千差万別だと思います。虫歯は風邪薬を飲んでも治らないし、アレルギーなら専用の薬を飲まないと治りません。それにも関わらず、「風邪薬を飲んだら治るよ!」というように、自分が体験した手法のみをクライアントに勧めて、無理やりそれを実行させるのは、運が良ければ体調改善に繋がりますが、場合によっては、もっと体調が悪化したり、最悪の場合、死んでしまうこともあると思っています。(実体験からお話すると、鬱症状がひどい時は、ちょっとしたことで希死念慮が深まります。かなりセンシティブだと思います。)

しかし、価値観を他人に委ねることは、ある意味、楽なんですよね。厳しいことを言えば、それは甘えになってしまうかもしれません。何となく影響力のある誰かが言ったことや、何となくカッコいい宗教的な考え方、親に強制されてきた思い込み、占いやスピリチュアルなど、他の誰かが言った価値観ばかりに影響されていると、それは主体性を奪いかねません。自分の人生の選択を他人任せにすることは楽かもしれませんが、それを揺るがすような出来事がある度に、アイデンティティを失いかねません。ころころと考え方が変わる感覚は、まるで双極性障害と同じようなめまぐるしさがあって不安定です。その重大なストレスに耐えられる人はいないんじゃないかと思います。(山岸涼子さんの「天人唐草」という漫画に、そのようなことをテーマにしている作品が掲載されているので、興味のある方はぜひ読んでみてください。空港でギョエーと叫んでいる女性の話です。)

だからこそ、「〜したい」「〜したくない」という自分の考えを尊重して、他者からの承認を求めずに、なおかつ「正しさ」を誰かに押し付けたりせずに、自分の価値観に従い、自分の責任のもとに行動すればいいのだと思います。そのためにも、「〜するべき」という強迫的な考え方は避けた方がいいし、その思い込みを捨てるためにも、認知行動療法などを試してみてもいいのではないかと思っています。

自分も現在、通院中の病院で、認知行動療法を受けています。今後も、教わったことや気付いたことを記録していきたいと思います。

最後までご覧いただきありがとうございました。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?