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辛い気持ちに蓋をしない

足を捻挫した時に、「そんな痛さで弱音を吐いてはいけない」と我慢して歩き続けたら、捻挫は悪化して、やがては歩くことができなくなります。

一方で、足の痛さを受け入れることができれば、「病院に行く」「湿布を貼る」「運動は避ける」といった対策をすぐに取ることができるので、捻挫の治りは早いでしょう。

メンタルに関しても、同じことが言えると思っています。

嫌なことや辛いことがあった時に、「全然辛くない」「このくらい大丈夫」「弱音を吐いてはいけない」「生きているだけで幸せなんだから」と我慢すると、その瞬間はやり過ごすことができますが、ダメージは蓄積されたままなので、いつかその重さに耐えることができなくなります。

一方で、「ちょっと悲しい」「傷付いた」「気持ちが沈んでしまう」「疲れてしまった」「もう無理だ」という気持ちを否定せずに受け止めることができていれば、その分、「いつもよりたくさん休憩する」「少し贅沢をして美味しいものを食べる」「カウンセリングを受ける」「メンタルクリニックを受診する」「認知行動療法をする」といったような措置を取ることができ、ダメージを回復することができるのです。

しかし、難しい点としては、自分の辛い気持ちや悲しい気持ちを認めることは、弱い自分やネガティブな自分の存在を認めるということになる点です。「ポジティブじゃないと幸せになれない」という自己啓発を強く信じてしまっていると、そういった弱い自分やネガティブな自分の気持ちを、臭い物に蓋をするように、否定してしまいます。

また、辛い気持ちや悲しい気持ちに気付くことができたとしても、それを誰かが解決してくれると待っているばかりでは、臭い物に蓋をしないから部屋中が悪臭漂っているにも関わらず、それを自分で片付けないという最悪な環境を作り出してしまいます。さらに、その臭いものを誰かに片付けてもらうことを期待してしまうので、そういう依存的な人間関係は相手を疲れさせるか、相手に利用されるかの二択しかありません。臭い物に蓋をしている方が、まだマシな気がします。

やはり、そういった意味でも、辛い気持ちや悲しい気持ちに蓋をせずに感じとり、それを自分自身で解消したり癒やしたりすることが、かなり大事なのではないかと思います。

「そもそも辛い気持ちにならないようにしよう」という無理なことを目指すよりかは、何倍も現実に即した方法なのではないかと思います。なぜなら、生きている限り、辛いことや悲しいことがあるのは当たり前だからです。晴れの日もあれば、雨の日もあります。雨が降らないようにすることはできないけど、傘を用意することはできます。

そんなことを考えました。最後までご覧いただきありがとうございました。






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