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幸せを実感しやすい考え方

双極性障害と診断され休職して以降、「自分のことを大事にする」ということを徹底してきました。なぜかというと、自分のことを大事にしていなかったことが精神の不調を招いたと考えたからです。

その結果、自分の人生の1秒1秒がとても大切なものに感じられるようになったので、とにかく「損をしたくない」という気持ちが強くなりました。少しでも楽しい時間を過ごしたいし、幸せを実感して生きていきたいと思うようになりました。そして、そのためには、それを阻害するようなことは徹底的に排除して、生き方をカイゼンする必要があると考えました。

そこで、以下の三点が、幸せに生きることを阻害していると気付いたので、それに対する改善策を考えました。

ネガティブな考え方をすること…①
色んな出来事に一喜一憂すること…②
不安な気持ちにとらわれること…③

(ちなみに、何か努力をして幸せを掴み取るというよりかは、幸せを阻害しているハードルを撤去することで、幸せを実感することができるのではないかと、私は思っています。私自身、小さな頃は、変わった形の石ころを見つけただけ幸せでした。きっと幸せを阻害するものが何もなかったからです。そういった人生観を前提にこの文章を書いています。)

①の改善策→上手に合理化をする

例えば、遊びに行く日にトラブルがあってキャンセルを余儀なくされたとき、いつまでもガッカリしていたら時間の無駄です。

一方で、「きっと遊びに行ったら事故にあっていたかもしれない」「きっとその分楽しいことがあるはずだ」といった合理化を上手にすることができる人は、そこまでガッカリする気持ちを引きずりませんし、気持ちを切り替えることができます。

きっと小さな子どもは、楽しいことを探すプロなので、気持ちの切り替えが自然とできますが、それができない大人は意識して合理化をする必要があるのではないかと思います。

自分の場合も双極性障害になったり休職したことを、一時期はネガティブに捉えていましたが、最近では、そのおかげで生き方を良い方向に変えるきっかけにもなったし、自傷や暴力沙汰といった最悪のケースを回避することができてよかったと思うようにしています。

事実はどうであれ、そう考えた方が幸せですからね。

なお、ネガティブに考えることにもメリットはあって、発生した問題を否定的に見ることで、再発防止のための分析をすることができるという点です。もし何事も「ま、いっか」と切り替えていたら、何度も同じようなミスを繰り返してしまいそうです。

ですので、ネガティブに考えること自体が悪いことではなくて、自分でコントロール不可能な物事についてもネガティブになってしまうことが問題なのではないかと思います。

また、自分でコントロール可能な物事にも関わらずクヨクヨしたり他人任せにするだけで、問題の分析や再発防止策を考えたり調べたりしないことも問題なのではないかと思います。

②の改善策→現実の物事を理想化したり期待を抱かない

例えば、他人に期待をせずに、悪口を言われたりパワハラされることもあると考えていれば、実際にそういう事態が起こっても、そこまで動揺しないのではないかと思います。

逆にどんな場合も人に優しくされるべきだといった理想化や期待をしたり、そういった先入観を持っていれば、それに反した性格の悪い人や不機嫌な人に遭遇したときに、大きなショックを受けてしまいます。それが極端な人間不信や、世の中を恨んでしまうきっかけにもなりかねませんし、それはきわめて時間の無駄なのではないかと思います。
(多少、疑ってかかるくらいが、丁度良いのではないかと思います。その方が人間を見る目も養われるのではないでしょうか。)

そもそも自分の力でコントロールできない他人や他の物事にどれだけ期待をしても、結果には1ミリも影響しないので無力感を感じるだけです。ギャンブルと同じで、一喜一憂して疲れるだけです。そんな「期待と失望のサイクル」を繰り返していたら寿命が縮むのではないかと思います。

また、コントロールすることが可能な自分自身に対しても、四六時中、過度な期待をすることは避けた方が良さそうです。自分に期待をすることは「失敗をしてはいけない」という圧力を自分にかけることができるので、集中力をアップさせることができるというメリットあります。絶対にミスをしてはいけない重要な仕事や、試合などにおいては、それがプラスに働くこともあります。そのため、自分に期待をすること自体が悪いわけではありません。

どちらかというと、そういった緊張状態を四六時中作り出していることが問題なのではないかと思います。重要なとき以外は、肩の力を抜かないと続きませんよね。例えば、運転してるときも、合流やバック駐車、子どもの登下校時間などは細心の注意をはかりますが、それ以外の道では、割と肩の力を抜いているのではないでしょうか。

もしそこまで重要じゃないシチュエーションや、リカバリーが十分可能な小さなミスの段階でも、自分に過度な期待を抱いたり、完璧な自己像を理想化すると、少しの失敗や、ちょっと怠けたり、体調が悪くなっただけで、大きくショックを受けたり、自分を責めてしまいます。

そのため、基本的には「自分も人間なんだから失敗したり、怠けたり、体調が悪くなることもあるよね」という感じに考えておけば、自分を責めることで体調を悪化させたり、無駄な時間を過ごすこともなくなるのではないかと思います。

なお、きっと子どものときは、先入観や自分に対する期待がないので、何かに失敗してもいちいち驚かないし、例えばジェンガが崩れたとしても、ヘラヘラ笑っていますよね。しかし、そんな状態では、重要な仕事は任せられませんよね。大人だからこそ、自分に期待して、集中力を上げることで重要な局面を乗り越えることができるんですね。それも立派な能力の一つですので、それ自体を否定をしてはいけないのではないかと思います。

③の改善策→事前に対策をする

何かのトラブルや不愉快なイベントが発生したときに備え、事前に対応策を決めておけば、不安な気持ちを鎮めることができるのではないかと思います。

例えば、会社でパワハラされる可能性に備えて、録音アプリをインストールしておいたり、会社の連絡窓口を把握したり、転職に備えてスキルアップしたり、会社を辞めてもしばらく暮らせるように貯金をしておくなど、事前に対策をしておけば不安も減るのではないかと思います。

突然の雨にうろたえてずぶ濡れになる道を選ぶか、事前に折りたたみ傘を用意して雨を防ぐか、どちらが苦痛を感じずに済むかは一目瞭然なのではないかと思います。

なお、そもそも子どものうちは不安を感じないので、そんな対処は必要ありませんが、大人になったら視野が広がりますし、危険を察知する能力が身につくので、その分、不安を感じるのは当たり前です。不安を感じるおかげで、事前に対策をとることができるといって過言ではないと思います。不安は成長の証なんですね。

そのため、不安を感じることが問題なのではなくて、その不安に対して、何も対策をしていないか、対策が不十分だということが問題なのではないかと思います。


これらのような改善策を徹底すれば、精神面が安定しますし、幸せな気持ちになる機会が増えるのではないかと思います。

もちろん、身体的な不調があればネガティブになったり、交感神経が優位になることで攻撃的になったり不安を感じやすくなるので、精神面の安定とともに、身体の健康にも留意する必要はあると思います。

また、先ほどものお話したように、大人になるにつれ、不安や自分に対する期待など、幸せになることを阻害するハードルが設置されてしまいます。しかし、それは危険を回避したり、現実的な問題に対処するために身につけた能力でもあるので、それ自体を否定してはいけないのではないかと思います。むしろ、不安に感じたり、自分を追い込んでしまうことを「成長の証」くらいに思ってもいいのではないかと思います。

ただ、物事には一長一短あるので、危険を回避したり、現実的な問題に対処する力を身につけた分、子どものときのように、何もせずに幸せな気持ちになることは難しくなりますし、それは仕方ないかと思います。大事なのは、その能力を活かしつつ、不安に対して事前に備えたり、自分に期待して追い込むことを重要なシチュエーションのときに限定するといったような、ちょっとした工夫をすることなのではないかと思います。

今後も心身ともに安定できるように、気をつけて過ごしていきたいと思っています。最後までご覧いただき有難うございました。



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