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他人の言うことに過剰反応しない

本日は、精神科の主治医から教わった考え方が、自分なりに役に立ちそうだったので記録したいと思います。(ちなみに最近、転院しました。)

まずどんなことに悩んでいたかというと…

口調のキツい人に嫌味を言われたり、不機嫌な人に配慮のないことをされたときに、その場ではヘラヘラしてやり過ごすものの、そのせいで怒りが溜まってしまい、最終的には、鬱症状が出たり、殺意が芽生えてしまうという悩みがありました。

自分の体験だと、適応障害になったきっかけとなった女上司に「ほんとAKERUさんってセンスないよね」と言われたことを、思い出して悲しい気持ちになったり、怒りの感情が湧き上がってしまうことが、いまだにあります。

そのときは、ヘラヘラして「すいません、申し訳ないです」と言ってやり過ごしたのですが、内心は怒りで頭がおかしくなりそうで、毎日、その上司の首を切断する想像をしていたくらいです。危ない精神状態だったと思います。

そのことを主治医に相談したところ、こんな答えがありました。

・そもそも、まともな上司だったら、人のことをセンスがないとか、人格否定をするようなことを言わない。
・きっと、その上司は、たいしたことない人間、取るに足らない人間。
・そんな取るに足らない人から、投げられたボール(言葉や態度)は受け取る必要はない。
・真剣に受け取る必要はないんだから、適当に受け流せばいい。
・例えば、「ちょっとそんな酷いこと言わないでくださいよーw」みたいな返しをしてもいいかもしれない。いろんな人の対応の仕方を参考にしよう。
・そんな取るに足らない人よりも、もっと優しい人や、優秀な人からのボールを受け取ることに時間を使った方がいい。きっと優秀な上司は他にもいるはずだから。

そのアドバイスを受けて思ったのは、たしかにこれまで他人の言うことを真剣に捉えすぎていたなーということ。もちろん仕事などで仕方なく、真剣に聞かなければならないシチュエーションもあると思います。

ですが、その話の内容を、すべて受け入れたり、それに従う必要は無いんですよね。聞きたく無い話は聞き流せばいいし、嫌いな人の冷たい言葉や嫌味なんかは、適当に受け流せばいい。

今まではそういう上司や親の言うことに、いちいちショックを受けすぎていたように思います。「なんかこいつまたバカみたいなこと言ってるなー」くらいに考えて、適当に受け流せばよかったのに。

そういう技術もコミュニケーション能力の一つなんだろうし、お笑い芸人の人たちのボケツッコミみたいなやり取りは、ものすごく上手だなと思います。

では、なぜ今までそのような「適当に受け流す」対応ができなかったかというと、他人の言動が、あくまでその他人の常識・感覚の範囲で発せられたものだという理解がなかったからなのだと思います。

つまり、人が発する意見のほとんどは、その文頭に「I think」や「I guess」が付いているんですね。

例えば、Aさんが「銀杏って美味しくないよね」「銀杏なんて食ってるやつは味覚障害だ」と言ったとします。この発言は、あくまで「Aさんがそう思う」というだけで、それが証明されたことにはなりませんよね。あくまでAさんの勝手な主張ですし、Aさんの好みの話をしているに過ぎません。

それに対して、銀杏が大好物なBさんが「銀杏を否定するんじゃない!」と怒ってしまったらトラブルになりますし、仮に怒りを我慢できたとしても、感情を抑えることで抑鬱状態になってしまう可能性もあります。

もし人の言うことを適当に聞いているCさんであれば、「自分は銀杏好きですけどねー」「逆にAさんは何が美味しいと思いますかー?」「たしかに銀杏の匂いだけは好きになれませんね」とか、適当なことを言って、やり過ごすはずです。

ひろゆきさんの「それってあなたの感想ですよね」という名言がありますが、まさにその通りなんですが、それをそのまま相手にぶつければ、きっと争いが生まれます。「それってあなたの感想ですよね」という言葉には「ただの感想をあたかも真実かのように話してんじゃねーよ」という批判の意味合いが含まれているように感じられるからです。

ですので、それはあくまで心の中で留めておいて、無駄な争いで労力を使わないように、適当に対応しておけばいいんだと思います。全ての人が事実に基づいた発言をできるわけではないし、自分の感想をあたかも「万人が享受すべき真実」かのように話す人は、思い込みが激しかったり、自分の考えを押し付けるタイプの、ちょっと「やっかいな人」なんだから、まとも対応するだけ損です。

また、立場が対等であれば言うまでもありませんが、自分よりも立場が上な他人(親や上司など)だと、余計に「言うことは絶対だ」「きっと正しいことを言っているに違いない」といったバイアスが生じてしまいます。

しかし、目上の人が必ずしも正しいとは限らないので、聞く姿勢は大事かもしれませんが、必要な考えだけを取り入れ、それに従うかどうかは、自分で判断すればいいんだと思います。

それが悪口や批判のようなことだったら尚更です。そもそもそんな無配慮なことを言う人なんて、立場が上でも、きっと余裕のない人間なんだから、その時点で話を真剣に聞く必要がないと判断すればいいんです。

ただし、「自分で判断する」ということは、とても勇気がいることです。「〜という考えが正しい!」「〜すれば幸せになれる!」といった強い主張を誰かがしていると、ついそれにすがりたくなってしまう気持ちはわかります。特に精神的に弱くなっているときは尚更ですよね。

「自分で判断する」ということは、「自分はこう思う!」「自分はそうは思わない!」といった自分の気持ちにOKサインを出すことに他ならないと思います。そういう自分の気持ちを受け入れていないと、「〜するべき」といった「正しさ」や、誰かが言った「〜した方がいい!」という強い主張にすがってしまうのだと思います。

さらに「正しさ」を追求すると、それに反するような他人を批判したくなります。なぜかというと、その正しさに反する考えを持つ他人が、自分を攻撃してくる存在のように感じられ、それから身を守ろうとしてしまうからです。そうなると、争いが生まれますし、人間関係は破綻します。

最近だと、SNSで自分と同じような人と繋がれる機会が多いので、自分の心地よい「正しさ」を強化する集団に自分の身を置くことも容易にできてしまいます。そして、その集団が、もし自分の孤独感を埋める場所になってしまったとしたら、テコでもその環境から離れようとしないでしょうし、それが宗教だと、過度な献金や、勧誘などの行動動機となってしまうのでしょう。

それが幸せならいいのですが、「その集団に貢献しないと幸せになれない」というロジックが成り立ってしまうのは、不自由ではないのかな?と自分は思ってしまいます。もしかすると、自分は集団にうまく馴染めない陰キャだからかもしれませんし、そう思ってもらっても構いません。

いろいろと思いつくまま書きましたが、今後は、誰かに無配慮な言動をされたとしても、適当に受け流すという技術、心構えを取得していきたいと思っています。

最後までご覧いただき有難うございました。感謝しています。







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