見出し画像

giverを目指すのではなくまずは自己肯定感を上げることが大事

よく自己啓発界隈で「与えること」をgiverと呼び、手放しで称賛している人たちがいます。しかし、それは言葉足らずで誤解を招いていると思っています。

例えば、自己肯定感が低い人は、自分自身で自分を承認することができないので、誰かに与えることで、その見返り(称賛や承認など)を求めてしまうケースが多いように思います。「与える」ということに、卑しさが滲み出てしまうんですね。

そして、もしそのような自己肯定感が低い人が、自己啓発書などを読んで影響を受けて、「giverになることが大事」「takerになってはいけない」と盲信して、誰かに与え続けてしまうと、気付いた時には心が枯渇してしまうのではないかと思っています。また、それこそがうつ症状に繋がっているとも、私は思っています。

また、変にgiverになろうと無理に意識している人は、嫌いな人にも必要以上に与えて疲れてしまったり、望まれてもないのに与えて「押し付けがましい人」「独善的な人」になってしまう可能性もあるのではないかと思います。また、そういう人は、「あなたのために」という言葉をよく使うイメージがありますが、「あなたのために」という言葉ほど、相手の負担になる言葉はないと思っています。その言葉の裏には、「あなたのために(〇〇をしたんだから、もっと△△してよ!)」という罪悪感を相手に植え付けて見返りを求める卑しい心が見え透いているからです。

結局、無理をしても続かないし、続かないことには意味がないんですね。ハリボテの家はすぐに潰れます。

そのため、まず優先させるべきなのは、誰かに与えることを徹底することなのではなく、他人から見返りや承認をもらう必要がないくらい、自分で自分のことを満足させて、自己肯定感を上げることなのではないかと思っています。

そうすれば、自然と無理なく誰かに「与えること」ができるようになりますし、逆に嫌いな人などには「与えない」という選択をすることができるようになるので、主体的に生きることができるようになります。また、誰かから見返りをもらう必要もないので、俗に言うtakerになる心配もありません。

ふと思い出しだんですが、とくに理由がなくても機嫌が良くて、周囲を明るい雰囲気にさせてくれる人がいますよね。きっとそういう人は、自分の人生を自分で満足させることができているから、他人に機嫌を取らせようとも思わないし、楽しく生きているから、自然と周囲にもその雰囲気が伝わるのではないかと思っています。そういう人は、サッパリした性格をしているので人気者ですよね。
(紅白の司会をしていた橋本環奈さんとか、渡辺直美さんとか、そんなイメージです。)

きっとそういう人は「与えること」や「もらうこと」が目的じゃなくて、「自分の人生を楽しいものにする」といったことが目的なんじゃないかと思います。そして、だからこそいかなる状況でもぶれないし、他人や環境次第では揺らがない軸になっているのではないかと思います。なぜなら、他人思考だと、他人次第で態度や姿勢が変わってしまいますからね。自分の人生を満足させるために、他者を必要としていないんです。

なお、「自分の人生を楽しいものにする」という目的を、自分勝手だと批判する人もいるかもしれません。ただし、私はそうは思いません。

むしろ誰かに与えることや、誰かからもらうことを前提にしないと、自分の在り方を決めることができない方が、自分勝手なのではないかと、この文章を書きながら思いました。

それは、他人の存在に依存しているということだし、いつか必ず相手の負担になってしまうのではないかと思います。(「与えて」も「もういらないよ」ということになるし、「もらおう」としても「奪わないでよ」ということにもなります。)

もちろん、自分さえよければいいと他人を傷つけるのは良くないことですが、そうならないために法律やルール、およびそれに準じた道徳・モラルなどがあるのだと思いますので、それに適応している限りは、誰にも批判する権利はないのだと思います。

自立して生きているからこそ、他人とも良好な関係性を築くことができるのだと思います。giverになることを目標にしようとする時点で多分無理をしているので、まずは自己肯定感を上げて、「自分の人生を楽しくする」という目的をもって生きることが、結果的に自然と周囲に良い影響を与えて、giverだと周囲に認識をされるようになるのではないかと思います。

最後までご覧いただきありがとうございました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?