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リハビリ病院を退院した時の話。

1年以上入院していた私は、外の世界へでた。「嬉しい」それが当時の率直な気持ちだった。


これから、私の人生が新しく始まるんだと思っていた。そして近くのリハビリ病院に、通院することになった。


おそらく今考えても手術で脳を切り開くより、「社会に出るということ」が1番私には辛かった。


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もちろんお風呂になんて簡単に入れない、リハビリの椅子を買ってもらい、座らないと入浴ができなかった。

装具を片足につけて、装具に合わせて靴を買う。左右全く違うサイズの。

お箸のなんで使えない。字も書けない。


決まった時間に物事を進められない自分を受け止められない。街で同い年の女の子が、おしゃれをして歩いているだけで、涙が止まりませんでした。

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文字通り、私は赤ちゃんのように生まれ変わっていた。過去の健康なときの記憶だけ残して。


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リハビリ病院の先生たちは、大学病院の先生と大違いだった。本当に私が寝たきりの状態というものを見ていないのだからそうだとも思う。


大学病院の時からそうだが、言語聴覚士という言葉の話す練習をしてくれる方がいた。 


私は手術当時、頭が腫れ左顔半分感覚がなくなり、話すことができなかった。


そんな時、私が当たった言語聴覚士の方は、まともに話せない私に「自分の彼氏の話」を永遠とする方だった。


このお仕事で、頑張っている方には本当に失礼ですが、こんな現状があるのかと絶句でした。その方も話す人が欲しいのかもしれないけれど。



話せない私は、目で見た聞いた記憶は全て覚えてます。



看護師さんのしていた点滴の交換ミスの話、

自分をモノのように車椅子に乗せて、乱暴にトイレへ連れて行った看護師の方、みんな覚えてます。   



ただこれは、悪いことだけではなく 

 

私がICUから脳外科の中にある緊急病室に移される時、話せず体も自ら動かさない、何が何だかわからなかった私に

絶対あなたは大丈夫だから!」 

と必死に私の手を握って、何度も私の目をみていってくださった看護師さんの言葉を1番覚えています。


今でもその人の言葉を思い出すたびに、私は頑張ろうと強く思うのです。


話せなくても記憶はちゃんとある、


話せなくても心はちゃんとある、


その存在を忘れないで欲しいです。



皆さんにとって素敵な一日となりますように。

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