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人の役に立ちたいという呪い
なんで今、私はこんなに自己肯定感が下がり、落ち込み、消えてしまいたくなっているのか考えてみました。
私は子供の頃から、大人の言うことをよく聞き、よく気付き、真面目に頑張る良い子供を演じていました。
きっと本来の私はだらしなくて、マイペースなんだと思います。
だけど、良い子にしていれば大人たちに褒めてもらえるし、そうすれば安心して家でも学校でも過ごすことができます。
だからたぶん無意識のうちに良い子を演じてました。
大人に逆らって怒られたり呆れられたりして嫌な気分になるくらいなら黙って従っていればいいと思ってました。
だから反抗期だってありませんでした。
そして、誰かの役に立つということに幸せを感じていたし、誰かの役に立つための行動は生きていく上の大前提というか、何より大事なことだと思ってきました。
良い子、できる子を演じて、頼られるポジションを守ってきました。
「Nemoちゃんに任せておけば安心だよね」「ありがとう、いつも助かってるよ」そんな言葉を受け取りたかったし、実際にたくさん受け取っていました。
自分は人の役に立つ人間だ、そこそこできる人間だ、と20年近くずっと思っていました。
でも大学を卒業する頃から、私はそういう人間ではないんだと気付くようになりました。
自分が思っていたよりできない人間だし、抜けてるし、責任感もないし、察する能力もズレている。
私の生きがいである「人の役に立つ」ことができない場面が増えていきました。
役に立つどころか迷惑をかけてしまっている。
生きる=人の役に立つ行動をする
みたいな考え方を持つ私にとって、人の役に立てないことを実感するのはかなりしんどいことのようです。
人の役に立てないというのはつまり、存在価値がないと思ってしまうから。
本当は存在しているだけで価値はあるんだと思います。
でも、存在そのものを認められた経験が少なくて、何かをするから褒められる、何かができるから認めてもらえる、そういう経験ばかりでした。
育った環境のせいにするのは簡単です。
でもそこで止まっていたら私は永遠に苦しむことになってしまいます。
そろそろ抜け出さなけばなりません。
人の役に立ちたいというのはもちろん大切な考えです。
でも、人の役に立てなかったら存在価値がないわけではないし、人の役に立つ前に自分を大切にすべきです。
人の評価があって初めて自分の価値がわかるっていうのはおかしいはずです。
すぐすぐには考え方を変えられないかもしれないけど、ちょっとずつ変わっていきたいです。
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