はじまりのストーリー
「こんなにたくさん支援してあげているのに感謝も言えないの?」
私の違和感はここから始まった。
私は支援されている側であなたは可哀想な私に手を差し伸べる。私は直感で感じた。
『この人は、”善いこと”をしていると思っている。』
もちろんものすごい感謝している。善いことをしようと考える人がいなければこの世は終わる。それを前提とした上で、この人たちの存在は私にとっては迷惑でしかなかったー・・・。
ーーー
この人たちとは、児童相談所の職員や母子生活支援センターの職員のこと。
私は17歳になるまで1人で見せかけだけの家族を、パッと見『家族』に見えるように今では信じられないくらいの努力をして保ってきた。何度もSOSは出していた。目の前で暴力を目撃しても先生は無視。学校に何度訴えても無視。一度だけ教育委員会から電話があった。暴力を振るっている本人に、
「あなた虐待してるんですか?」
の一言。それだけ。たったそれだけ。
それだけだったのに、ある日、ある事件をきっかけに突然、勝手に大人たちが手を差し伸べてきた。上から目線で。
かわいそうに。辛かったね。悲しかったね。これからは私たちが助けてあげるから。
どうして何度も見捨てられた相手から上から目線で助けてあげるなんて言われなきゃいけないのか。私にはわからなかった。この言葉と同時にもう一つ、児相の職員は私にこう言った。
警察からの通告は必ず対処しなきゃいけないのよ。
と。まぁそうだ。ルールだもんね。
でも、そうやってやっつけで仕事してるんだ。そう感じた。
ーーー
だから私は、当時所属していたNPOで社会課題に対して”支援”をしている人にたくさん取材に行き始めたんだと今になって思う。当時一緒に活動していた友達は本気で不登校に対して何かしたいと思っていたから取材をしたほとんどの人は不登校関連だった。
私も不登校になったことはあるけどあまり知らない分野だった。そこで活動している大人たちはめちゃくちゃかっこいい大人だった。同時に自己満足がチラチラ見え隠れしている大人たちにも出会った。善いことをしている自分ってかっこいい。善を偽る善偽(ぜんい)を持って活動している人がこの分野にも多いことを知った。
自己満足で活動していると思われる大人から感じた、 『支援をする側が偉い』 『支援される側はしてもらってるんだから感謝してあたりまえ、ありがたく思え』 という雰囲気にものすごい違和感を感じた。その違和感が正しいかはわからない。
そしてこの違和感を仲間に打ち明けた時、その仲間はすごい共感をしてくれた。
私は”共感”は共通の体感をした人にしかできないと思ってる。それ以外の人は共感はできないけど理解はできる、そう思っている。
彼女が共感をしてくれたことがすごく嬉しかった。共感が持つなんとも言えない力をもっと広げたいと思った。そして自己満足じゃない私たちだからこそできる『何か』を探してみたいと思った。
そしてこの仲間にたった一言、
私、 教室作りたい
とLINEしてこの夢を還る(かえる)キャンパスが始まった。
ーーー
これが夢を還るキャンパス、 通称 : 夢キャンの始まりの物語。
まぁこれ以外にもたくさん理由はあるけど違う記事でいつか語ります☺︎笑
※pandoにも同じ記事が上がっています。
ゆきの
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