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福岡→東京→世界→福岡〜My Trip①〜

中学高校教師10年、世界2周や母子留学を通して「子育てや教育の本質とは何か」を考えてきました。
現在は「教育の本質を探究する場/先生と学ぶ学校」の仲間を増やすべくエネルギッシュに動いています。
元々は「人に与えられたレールを上手に走る」、起業に憧れこそあれど実行に移せない臆病な自分でした。


現在、気がつけば有り難いご縁に囲まれて、起業を応援してくれる家族や仲間、先輩や先生方がたくさんいます。


でも、20代いや最近までのやまだまいは「今だけ 金だけ 自分だけ」。良縁に恵まれるはずもなく、チャンスにもお金にも健康にも見放された暗黒時代もありました…。

そんなどん底の私を引っ張り上げ、ビンタを…いや、救ってくれたのは○○でした。


人は皆マイ・ストーリーの主人公。
あなたのストーリーのヒントになれば幸いです。

・・・


教師&福岡を脱出してキラキラした世界へ


「先生、僕、将来研究者になりたいんですけど、どうやったらなれますか?」

振り返れば私の探究人生、ここから始まりました。

それまでの私は、進学高校から教育大学へストレート合格。
箱入り娘といえば聞こえがいいですが、自由の羽をもぎ取られた高校までの息苦しい生活。
一刻も早く逃げ出したかった私は、大学という自分を深掘りできる有り難い4年間を空っぽな器で、毎日気の向くままアルバイトや遊びに明け暮れました。

そんな私が、大学卒業後進学高校で国語を教えることに。


”教師人生に我が身を捧げる”なんて熱い気持ちはありませんでしたが、高校生と日々話すのはとても楽しく、同僚の先生方にも可愛がっていただき充実した毎日を送っていました。

「先生、僕、将来研究者になりたいんですけど、どうやったらなれますか?」

この質問を生徒から受けた時、私は初めて気づいたのです。

“私、教師になる人生しか体験していないのにこれからたくさんの生徒の進路、いわば人生を導いていくんだ”

なんだかその責任の重さに鳥肌が立ち、”このままでいいのか”と何日も自問自答しました。

22歳にして初めて”私が本当にしたいことってなんだろう”と自分を深掘りしていったのです。

今までなんとなく親の期待に応え、なんとなく大学へ進み、なんとなく教壇に立っていた私にとって、自分で進路を切り拓いていく経験はとても新鮮でした。

“先生以外の職業に就きたい”
“地元福岡を出たい”
“憧れ、好きなジャンルの世界に飛び込んでみたい”

きゃぴきゃぴしていた私は3つの本音を書き出し、”教師&福岡脱出”を決行しました。


自分の目に入れても痛くないほど私を可愛がっていた祖母がどんなに悲しんだか、お世話になった同僚の先生方も引き止めてくれたか…

そのころの私は「今だけ 金だけ 自分だけ」
自分で開拓できる未来へのワクワク感だけを胸に、単身上京しました。


“教育以外の現場も体験して生徒の進路指導に責任を持てるように、寄り添えるようになりたい”

空っぽな私でしたが、この気持ちだけはいつも持っていました。


憧れの東京生活スタートか⁈

キラキラした毎日…東京。

その憧れだけを胸に上京した私。


目指した業界は…”ブランド業界”でした。
理由はシンプル。当時の私が好きで憧れの業界だったから。

上京後、早速エルメスやカルティエなどに私の履歴書をばら撒きました。

面接までご縁が繋がっても、今まで就職活動をしたことのない私はあたふたと質問に答え、残念ながら今回は…というお返事をいただくばかり。

キラキラした東京生活は何処へやら、必死な就職活動が続きました。


そんな中、PRADAの※スーパーバイザーとの面接が。美しくてオーラ溢れるスーパーバイザーとの時間。

私には背水の陣。これで決まらなかったらまずい…という崖っぷち状態でした。


「どうして教師を辞めて上京したの?」
という質問に対して、生徒への進路相談に答えられなかったこと、自分で進路を開拓する経験を積みたかったことなど正直に答えました。

スーパーバイザーは、何を思ったか田舎から上京した私を拾ってくださり、まさかのPRADA青山店という日本で一番大きい店舗への採用を決めてくださったのです。

※スーパーバイザー
本部に籍を置きながら複数の店舗を巡回して管理・監督し、店長あるいはオーナーといった現場の責任者または運営者を本部の方針にのっとりながら指導・教育して成果を上げさせる管理職のこと
出典:ウィキペディア




私はPRADAの伝道師


60名を超えるスタッフで盛り上げるPRADA青山店。
まず私は会計やTAX-FREEの説明、イタリア本社とのメール連絡などなどバックオフィススタッフとしてチームに入れてもらいました。


お客様のことを第一に考えた心構え、立ち振る舞い…
今考えるとどの業界も本質は同じなのに、当時の私は毎日緊張、緊張、緊張…

唯一リラックスできるのはお客様と会話しながら事務的な説明をする時でした。

それを感じ取ってくださったのが店長。

私はバックオフィススタッフからUOMO(メンズ)担当に異動することになりました。

「やったー!念願の接客だー!!」

と心躍ったのも束の間…

厳しい指導のスタートでした。


だって裾上げ等、お裁縫の知識もなければお洋服のたたみ方も知らない。

ただ接客が好きなだけの小娘でした。

「販売員はディズニーランドのスタッフと同じ。私たちがPRADAデザイナーの想いを代弁し、お客様にPRADAの世界観を伝える、あなたは伝道師なんです」

目指すべき世界がはっきりしたら馬力が出る私。

エンジン全開、通勤電車の中でもそのシーズンの世界観やコーディネートなど、PRADA伝道師としてお客様に世界観を体感していただけるよう努力する日々が始まりました。


接客の基礎が出来はじめたら次に目指すのは数字。

「私も数字で実績を積んでいきたい」

と目標を掲げ、とにかく先輩方の接客スタイルを見る、見る、見る!!

尊敬する先輩方の休憩中の過ごし方までウォッチングしました。


そしてどんどんPRADAの魅力に引き込まれていったのです。

それは同時に、東京生活の幸せ優先順位の崩壊も意味していました…



華やかな毎日と引き換えにしていたこと…

いただいたお給料は、家賃、光熱費、そしてPRADA製品購入、外食代にほとんど充てられました。

たまに一人で食事するときは…少しでも安く抑えるために見切り品を選んだり、スナック菓子で済ませたり…

健康、食事の時間を大切にすることより外見を飾ること。流行の最先端を研究し自分が表現者となること…

そんな追いかけても追いかけても終わりがない生活が続きました。


表向きは最高に華やかです。

青山店で世界で活躍するスーパーモデル達によるショーが開催されたり、芸能人や著名な方も毎日来店されたりしました。

帰宅すればバタンキュー、休日の日もお買い物に出かける。

気づけば大学時代の空っぽ4年間と同じ過ごし方を東京でもしていました。


「数字で実績を積んでいきたい」

という目標…こちらは営業実績3位以内に入ることが出来、店長やスーパーバイザーから期待されることも増えてきました。

そんな時…


東京残留?帰福?

私が上京を決めた時とてつもなく悲しんだ祖母が体調を壊し介護が必要になった、という連絡が…

私の母はキャリアウーマンで企業戦士。

祖母の介護を手伝うために帰福してほしいと母から言われ、私は悩みました。


"これからPRADAでキャリアアップしていくんじゃないの?"

とささやくキャリア志向のやまだまいと

"お疲れ。もう十分頑張ったじゃん。ばあちゃん孝行しなよ"

とささやくハートフルやまだまい。


華やかだけれど消耗する東京生活に少し疲れていた私は3年の東京修行期間に終止符を打つことに…

育ててくださった店長やスーパーバイザー、先輩や同僚たちへの感謝の気持ちは今も持ち続けています。

今も連絡を取り合う関係が続いているのは本当にありがたい。



無力な私が立てた一本の旗

お金をいただく厳しさ、自分で生活を作っていく経験など東京修行時代はやまだまいにたくさんの学びを与えてくれました。

「自分のワクワクに従って行動して本当に良かった!!」

帰福後、友人達と会うたびにこう振り返っていた私。

そんな私はある日突然、奈落の底に突き落とされました。


友人の勧めで何気なく受診した婦人科検診。

結果は…"要精密検査"でした。

近くの大きな病院への紹介状。


"卵巣腫瘍"とのこと。

「開腹してみないと良性か悪性かわからない、悪性の場合は卵巣をとります」というドクターの話。


突然の展開についていけない私は大型ブックセンターにフラフラと立ち寄り、婦人科系の専門書を開いて"卵巣腫瘍"について調べまくりました。


入院、手術の日程も決定し…

「卵巣をとったら妊娠出産は難しい場合がある」とドクターから聞いた日は、絶望から自宅まで運転することが出来ず、途中停車してわんわん大声で泣きました。


蝉がなく暑い季節に手術入院したのを今でもよく覚えています。

祖母を介護するために帰福したのに、暑い中可能な限り見舞いにきてくれた祖母。

祖母に申し訳なくて、自分が情けなくて…

自分の不摂生な東京生活を猛省した入院期間でした。


"さてこれからどう生きていこう"

入院中ベッドの上で過ごす私は無力…

そんな時むくむくと顔を出したのは、生・存・本・能。


"退院後出会った男性と私は結婚する"

新しい旗を立てた瞬間でした。


真っ暗闇に差す一筋の光

腫瘍の結果は…「良性」

数回の経過観察後、妊娠や出産に問題がないことがわかりました。

さぁ、婚活だ!!


地元ドラッグストアの駐車場で偶然に再会した中学時代の友人。

「福岡に帰ってきたなら、おかえり会しちゃろー」

という一言で中学時代の友人が10名くらい集まってくれました。

その中にいたのが…「やまだ君」です。


"退院後出会った男性と私は結婚する"

と旗を立てていた私。「やまだ君」とのご縁は急速に深まり、退院して1ヶ月後にはお付き合い、3ヶ月後には入籍とスピード感溢れる展開に。


この「やまだ君」との出会いが私の価値観、人生をガラッと変えてくれたのです。



教育現場で消耗する日々

結婚後、私はまた教育現場に戻りました。

上京前と明らかに変わった生徒たちへの接し方。引き受ける姿勢を持つようになりました。

部活動や課外活動も待った無し。


夫より早く家を出て、夫より遅く帰宅。土日も課外や部活動三昧というすれ違い生活がスタートしました。

仕事は充実しているけれど、夫との生活はこれでいいのかな…


毎日ヘトヘトで帰宅後、思わずへなへなと座り込みながら"やまだまい人生の優先順位"について考える日々が続きました。

車のエンジントラブルや小さい事故も起こすようになり…

そんなギリギリの精神、体力状態が続く私を見ていた夫がある日放った言葉…


「世界一周にいこうか、一年」


世界に出て出会った広い視点

出来ない理由はいかなる時も延々とあげられる。

でも「やる」と肚を決めた途端、風が変わる。

そんな体験を私はしました。


周囲の色々な声はあったけれど、結論私と夫は2010年から一年間世界一周に行きました。

各大陸で様々な試練に遭い、絶対絶命というピンチもなんとか、なんとか乗り越えました。


空港に降りた時に五感を刺激するその国々の匂いや色がありました。

陸路や海路で国境や大陸を超えることで、日本の国土がとても珍しいことを体感。

世界に出てみて感じる日本や日本人のこと。


そして運命的な1組のカップルとの出会い。

トルコのカッパドキアにある小さな食堂で出会った私たち。

その食堂では言葉を交わさなかったのですが、首都イスタンブールまでの長距離バスに同乗。

それでもお互いに話しかけることはありませんでした。(挨拶くらいしたら?と今の私は思う笑)

そんな内弁慶な私たちが4人同時に「えー!!!!」と言葉を発することに。


それは私たちは彼らとトルコという国境を超えてヨルダンの小さなホステルで再会したからでした。

これは運命だ!!

と素直にご縁を受け入れ、夜通し語り明かしたり、ヨルダン→イスラエル→エジプトまで一緒に行動したりしました。

彼らは私たちの一歳年下。

彼らはこの時すでに帰国後の旗をしっかり立てていました。

メンターは誰なのか、座右の銘はなんなのか、どんな方向に進んでいくのか。

聞けば考えることなく答えが返ってくる。

「日本の教育を若者を育てたい」

彼らの熱い想いに触れた私は

"教育現場の外でも教育活動はできるんだ!!!"

と自分の狭い狭い視野が広がりました。


私の師匠(メンター)

「自分の命は自分で守る」という体験をした私たちは、無事に帰国できたことに感謝の念でいっぱいでした。

黄熱病やマラリアで命を落とした友人もいました。

「自分は生かされている」という新しいフィルターで日常を送ることが今でもできています。


帰国後長女、次女を授かりました。

「赤ちゃんの、時が満ちた時に自分の力で産まれでる生命力」を次女車中出産時に体験。

世界一周の体験なんて比較にならないくらい、出産は私にとってのビッグイベントです。


このようにどちらかといえば非日常の出来事、体験を原動力にマイ・ストーリーを紡いでいく私に対して、日常に幸せを感じるのが夫(常識夫)。

私は探究するのが大好きで「失敗してなんぼのもんじゃい精神」。

対する常識夫は「石橋を叩いて割る」。

真逆の私たちですが、私は常識夫を心から尊敬しています。永遠の師匠(メンター)です。

なぜか?

常識夫は「人生の本質」を既に発見していてブレない軸を持っているから。


私は常識夫と出会ってから人生が好転しました。

視野が広がりました。そんなメンターに出会った私ですが、すぐに考え方のクセがなおるわけないんですよね…

次のお話は、私が精神的に一番きつかった時代のお話です。


このように自分の人生を振り返ると、きつかったことも次に訪れるいいことの予兆なんだと捉えることができる。

大きなジャンプをするとき、深く重心を落とさなければならないように、最高の時間の前は必ず最悪な時間が訪れるんですね。


自分の人生を俯瞰し、禍福を一緒に楽しみましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


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