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【連載】20代で得た知見 #2

『20代で得た知見』で21歳の自分に響いた言葉の記録、第二弾です!
( #1も見ていただけると喜びます♡)


59 審美眼とは違和感のことである

豊かさとはつまり、目の前の貧しさから、どれだけの教訓を雑巾絞りのように搾り出すか。その錬金術のように思えます。

『最近の若者は考える力が劣っている』『小さなことにも疑問を持ちその背景を考える習慣をつけなさい』

耳にタコができるほど言われてきました。今でも毎日のように言われます。両親や先輩、インターン等で出会った社会人の方々から。


正直、昔は『あー何か大人が言ってるな』くらいにしか思いませんでした。もちろんそれでは目の前の考えるべき事象に気が付くわけがない。当たり前です。

でも今は、手紙屋の回でも述べたように成し遂げたい目標がある。その目標を達成させるためにも『考える力』は身につけたい。そう心から願っています。本気です。

なのに、朝目覚めてテレビをつけてニュースを見ても電車に乗って本を読んでも、夜寝る前に新聞を広げても全て『なるほど』と全て納得してしまう。

目の前で起きている事実に疑問を抱くことができないんです。
今もそう。『20代で得た知見』で納得したことを文字にしています(笑)


恐らく今の私に必要なのは、何の変哲のないことに対して疑問を抱く練習ですよね。


手始めに、この一文に対する疑問を考えてみます。



”どうして最初から貧しいと決めつけるのでしょう。貧しいところから搾り出そうと考えることでより考えることに対するハードルを上げているような気がします。私自身、『難しそう、やはり相当意識していかないと考えることはできないんだな』という感情を抱きました。

私は、『豊かさとはつまり、目の前の貧しさから、どれだけの教訓を雑巾絞りのように搾り出すか』ではなく、『目の前に溢れている教訓一つ一つを取りこぼさないようにするか』という考え方の方がしっくりきます。”

こんな感じであってますか?ただの屁理屈になっているような...
これから訓練していきます!(笑)


83 悪口についての一見解

悪口を言わないようにするのは優雅な心構えです。
しかし人間の本能は、大して優雅ではない。

悪口とは悪口を言う本人が言われたら最も傷つく台詞を開陳する行為に他ならない。

『自分が言われて傷つくことを相手に言ってはいけない』
そう小さい頃から言われ育ってきました。

それでも尚、人は人の悪口を言う。

なぜか。

目の前の人に腹が立つから?芸能人を叩くのは、自分にはできないような生活をしていてそれが羨ましくて、だんだん腹が立ってくるから?

正直、私は人から直接悪口を言われたり、ネットで叩かれたこともなければ自分自身が叩いたこともないから事実はわからないです。


なのであくまで持論ですが、

私は、人は目の前の人に腹が立つからではなく自分自身に腹が立つから悪口を言うのだと考えています。


自分に物凄く腹が立つから、今まで言われて一番傷ついた言葉を自分自身に投げかけたくなる。でも、その勇気がないから代わりに目の前の人に悪口を言うことで間接的に自分自身にその言葉を投げかける。


もし仮に本気で目の前の人に怒りを抱いているのだとしたら、目の前の人にとって一番傷つく言葉は何かを考えるはずです。それなのに自分にとって一番傷つく言葉が何かを考えている。

思い通りにいかず自分自身が嫌になること。

この感情が一切消えてなくなる日は恐らく来ない。

だから悪口というものもなくならないのだろう。21歳の私はこう考えています。29歳の私はどう考えますか?


終わりに

でも、やはり悪口はなくなって欲しいです。
せめて目の前の人を代わりとして用いることはやめてほしい。
心の中でその悪口は留めておいてほしい。


例え自分に向けて言っている言葉ではないと理解できていたとしても言われた人は絶対傷つきます。初めの方は、理解できていても段々本気で自分に向けられてるんじゃないかという錯覚に陥ります。


私は、自分に腹が立ってむしゃくしゃしたときはその気持ちをノートに書くようにしています。そうすると、心が落ち着くので。

もしまだやったことがない方がいたら是非やってみてください。
怒りの発散だけでなく心の整理にも繋がり自身の成長にも繋がって一石二鳥ですよ。


次回も続きます!

ではでは










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