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クリスマス嫌い

今年もこの時期がやってきた。

先日、毒舌妹から、
仕事帰りに、
クリスマスイルミネーションを見に行こうと誘われて、
行ってきました。

クリスマスイルミネーションで賑わう、夜の丸の内界隈。

たくさんの人達が写真を撮り、
喜んだり、浮かれる姿に
共感できない私は、

自分だけ、別世界にいるようでした。

あの毒舌妹さえも、

これだけお金をかけてるのに、
無料で見せてもらえて、
楽しめるなんて、
素晴らしいことよね

真っ当なご感想。

私は、毒舌妹の良い気分を壊さないように、
口には出さないけれど、

どれだけ電気量を消費して、
莫大な電気代を払ってるのだろう?
電気の無駄!!

そう、心の中で思いました。

20代の頃の私は、
友達と表参道のイルミネーションを
見にいくのが、
毎年の恒例で、
楽しい気分に包まれていました。

それが、どうして、
こうも変わってしまったのか‥

それは、一年で一番孤独を感じるのが、
クリスマスになってしまったからです。

国際結婚して、
海外で暮らすようになり、

ヨーロッパ最高イベントである、
クリスマスとの

葛藤が始まりました。

ヨーロッパのクリスマスは、
とても商業化されていて、

プレゼントを贈り合うことが
必須となっています。

子供達が生まれてから、
クリスマスは、楽しいものでは、
なくなりました。

子供達がある程度大きくなると、
クリスマスプレゼントリストを作成して、
親に渡します。

リストなので、
一つではないのです。

私の周りでは、子供達のリストが、
10項目くらいが、
普通のようでした。

我が家も然り。

クリスマス前は、
プレゼントを買うのに、
奔走して、

それでも、クリスマス数日前になると、

夫は、プレゼントの数が少ないと
言い出して、
追加していきます。

子供達の希望のプレゼントを揃えることが
できたかどうか、
親はとても気を遣うのです。

プレゼントは、夫婦、親、兄弟姉妹の家族間だけでなく、
親戚や友人、隣人、職場の同僚までも広がり、
贈り合います。

プレゼント以外にも
クリスマスに食べるクリスマスディナーも
なぜか、完璧な演出をするために、

クリスマスディナーの食材を買う人、
クリスマスディナーを作る人、

皆それぞれ、ストレスを感じています。

そして、クリスマス前夜、
子供達が寝た後に、

クリスマスツリーの下に、
子供達のプレゼントの山を作り、
それぞれの山に分けて、
演出するのです。

クリスマスプレゼントって、
数の多さなの?

欲しいものを一つもらうだけで、
嬉しいものではないの?

そんな疑問がいつも、
私の心の中にありました。

クリスマスにかけるエネルギーの多さが、
義父母や夫、そして、子供達と

私は、違っていました。

どうして、クリスマスごときに、
そこまでするの?

私が子供の頃、

父からクリスマスプレゼントなるものを
もらったこともなく、
お祝いしたこともなかったのです。

うちは仏教だから、
クリスマスは祝わない。

それが、父の方針でした。

仏教を信仰してたなんて、みじんもなかったのに‥


母は違っていて、

小さなクリスマスツリーを飾ってくれて、
ブーツ型の中に入ってるお菓子を
枕元に置いてくれていました。

クリスマスにもらえる赤いブーツ型の中に
入ってるお菓子だけでも、

私はとても幸せでした。

それなのに、

私の子供たちは、

クリスマスは、プレゼントの山に囲まれて、
一つ一つのプレゼントへの感謝の気持ちを持つことが、
できるのだろうか?

夫、義両親、子供達のクリスマスへの思いと、
私の冷めた思いのギャップが
年々、積み重なっていき、

それと共に、

孤独感が大きくなっていきました。

日本に帰ってきて、
最初に迎えたクリスマスは、
仕事で終わった1日でした。

日本に帰って来る前は、

もう二度とあのクリスマスを過ごさなくていいと思うと、
せいせいした気持ちになりましたが、

今年のクリスマスは、
海外に住む家族とクリスマスを過ごすために

帰ることにしました。

本来あるべきクリスマスの姿、

遠く離れた家族が集まり、食事を楽しみ、
最高の時間を過ごす。

今年は、やっとこのことができるのではないか、と
期待しているのです。

そして、私のクリスマスにおける孤独感を手放せると、
信じています。





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