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駐妻記 象に乗る

 二度、象に乗った。

 最初はサムイ島。次がアユタヤ。どちらもエレファント・キャンプといういわゆる観光用の「象乗り場」だ。

 タイ語で象は「チャーン」と言う。タイでは象は生活や信仰と切り離せない特別な動物だ。かつて王国の軍は象に乗って進軍したし、白い象は仏陀の象徴でもある。林業が盛んだった時代は、森林伐採に象が不可欠な存在だった。チャーンビールと言うビールもある。

 熱帯雨林の森で森林の伐採を行うのは大変だ。起伏に富んだ地面は山あり谷あり、デコボコでところによってはぬかるんでいる。そこを自在に歩き、木材を運搬できる象は文明の生み出した重機に勝る。

 しかし森林伐採が進み、乱伐の結果、木材の伐採が制限されるようになって、象と象使いは仕事を失った。その受け皿が「エレファント・キャンプ」だ。象と象使いの保護が目的だが、「エレファント・ライディング」によってその収益を象の飼育費用の一部に充てている。

 サムイ島は「コ・サムイ」と呼ばれる。コというのが島、という意味だ。たまに「コサムイ島」と表記する人を見かけるが、コサムイだけでOKだ。

 コサムイの「エレファント・キャンプ」では、まさしく森林の中を歩く象に乗ることができる。ほかに北部のカオヤイ地方もこのタイプのキャンプらしいが、カオヤイのほうはもっと荒々しいジャングルを歩くらしい。

 対してアユタヤのほうは、平地を歩く。アユタヤはタイ王国の古都だ。日本で言えば京都みたいなところだ。遺跡が至る所にあり、寺院の遺跡の周りを、象がのんびり周回するツアーになっている。

 プーケットでは、海辺を歩いて森の中に入るツアーがあるらしい。私は行ったことが無い。海で水遊びをする象をショウにしている人は観た。観光客にバナナなどを買ってもらい、それを象に与える商売をしていた。仔象が波と戯れる姿はなんとも言えない可愛らしさだった。

 さて、コサムイが、初めての象乗り体験だった。

 コサムイの空港はものすごく開放的だ。これが空港か、と思うような平屋の屋根で、そこに「サムイ空港」と看板が出ている感じ。まるでドラクエに出て来るお店みたいな空港だ。

 泊まったホテルは1部屋1棟の形式だった。野外に近いバスルームには虫がいて、悲鳴をあげた。夫がどうにかしたらしいが、それ以後シャワーを浴びる時はどこかから虫が侵入するんじゃ無いかと怯えた。

 この旅行で夫は「象に乗る!」と宣言していた。私はあまり乗り気ではなかったが、エレファントライディングのツアーに申し込んだ。いくつかのホテルから乗り合わせるバスに乗った。

 もう少しトレッキング的な格好を用意してくればよかったと思ったが、参加していたファラン(西洋人)たちは、みんな露出度の高い気軽な格好だったのでちょっと安心した。

 山の中に現れたキャンプは、その実「掘っ立て小屋」で「柵」に象が鎖でつながれているものだった。予想と違い、ワイルドで驚いた。しかも足に繋がれた鎖がなんともいえずゴツイ。心が苦しい感じがした。しかし犬でさえ鎖につながれていなければ不安になるはずだ。

 順番を待っていると、自分たちの番が来た。

 象に乗るのに、櫓(やぐら)のようなところに登った。象の背はかなりの高さがある。落馬ならぬ落象したらただではすむまい。象の首根っこのところに象使いが一人乗り、象の耳の横に先導する象使いがついた。象使いの後ろにつけられた鉄の柵に囲まれたような座席に、我々が座る。最大3人乗りだった。

 息子は小さいので私と夫の真ん中に乗り、身体を支えた。息子は緊張していたが泣きわめいたりはしなかった。その代わり「すごいねえ」「象さん、背が高いね」などと話しかけても、両手で押さえ棒を握りしめ、いっさい、無言だった。

 象はどんどん森の中に入っていき、山肌を上り始めた。説明は全く無い。象が歩き始めてからは、私も無言だった。いや、三人とも無言だった。後ろの象の上ではファランたちが、イエーイとかキャーとか大騒ぎしていたが、我々はただ、じっと象の背に揺られていた。

 象は隊列を組み粛々と進む。前を歩く象の足は柔らかく地面を踏みしめ、そのしなやかさに少し見惚れた。しかしあれに踏まれたら死ぬ、とも思った。森の中の獣道(といっても象の道なので広い)をのっしのっしと歩き、やがて谷に入り、川をさかのぼる。

 本格的なトレッキングコースに、少々心細くなったころ、突然前を歩く象使いが振り返り「フォト」と言って、写真を撮るポーズをした。我々は一瞬呆けたように彼を見ていたが、夫が「ああ、フォト、フォト」と言ってカメラを差し出した。彼は無表情でスマイル、と言ってカシャリとデジカメを押した。笑顔のまま口の端で「カメラ持っていかれないかな」と夫は言ったが、象使いはなんなく、カメラを返してくれた。

 また別の場所で、今度は象使いがカメラを向けて、フォト、と言った。写真サービス付きだったのだ、と、後から写真を渡されて知った。もちろん有料だった。

 また山に入り、ようやく、元の場所に戻ってきた。象の背を降りるときは、象にお疲れ様、ありがとう、と言いたくなった。思わずふぅぅとため息が出てしまう緊張感だった。

 その後、バスを利用する他の客との時間調整だったのか、猿のショーを見せられた。日光猿軍団を知っている日本人には、あまりにも物足りないショーだった。3歳の息子まで飽きて嫌になるくらいだった。

 象に餌をやるサービスもやっていた。夫は息子にやらせたがったが、流石に間近で象に餌をやるのは怖すぎて、息子は泣いた。それはそうだ。結局夫がバナナを象にあげて、怖っ、と呟いていた。

 アユタヤの時は特に語るべき事がない。2度目だったし、寺院の遺跡の周りを1周するだけだ。いかにも観光用に象も象使いもきらびやかな衣装で飾られていたが、そんなおめかしをしているにもかかわらず、突然消防ホースからの放水のごとく尿をして水溜りを作り、尻尾を振り上げて巨大な糞を落とした。後続の象は、うまくそれを避けて歩いて、むしろそれに感心した。

 象はとにかく、何もかもがダイナミックなのは、間違いがない。そして不思議な知性とチャーミングさを併せ持っている。

 私がタイに行く前年くらいまでは、バンコクの公道を象が歩いていたそうだ。餌をあげるため度々立ち止まりただでさえ渋滞に悩むバンコクの道に大渋滞を引き起こしたり、糞便のこともあり、ついに象の散歩禁止令が出てしまったらしい。

 ちょっと見てみたかった気もする。


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