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駐妻記 タイ語と先生

 先だって書いた病院での出来事により、私のタイ語を学習するモチベーションは著しく下がってしまった。ここで一念発起して言葉を覚えようとする人もいると思うが、英語と違って、タイ語は本当にその国以外で使うことはまず、ない。むしろ、英語を勉強した方がいいかもしれないな、と思った。

 タイに行く前は、どうせなら読み書きぐらいはできるようになりたいな、とは思っていた。一応、CD付きの本を買ったりして挨拶程度のことは学習しようと思ったのだが、海外赴任の準備もなかなか大変で、それどころではなかった。どんな引っ越しも大変だが、さらに輪をかけてやることが山積みだった。

 タイに到着してすぐは、タイの人と話す機会もない。とりあえず出会う人には覚えたての「サワディーカー」を連発した(タイ語は語尾に男性はカップ、女性はカーをつける)。ともあれ、人との接点が無ければ普通の海外旅行のように片言の英語で事足りる。

 実際、そのまま帰国まで押し切る駐妻は意外といる。2年や3年と期限が決められていて、その後使う予定もないのなら、タイ語はいらない。普段つきあうのは「日本人の駐妻社会」のみだ。アヤさんも雇わなければ、なんなら日本語オンリーでも間に合う。初めからタイ語を習わずに英語学校に通う人もいた。もともと英語ができる駐妻は「タイ語を極めるひと」と「語学には時間とお金を割かないひと」の2つのタイプに分かれた。

 私は夫に強く勧められて、渋々、という感じでタイ語教室を探した。実際、カノムさんを雇うことになったので、少しは必要性も感じてはいた。乗り気なのはカノムさんだった。「オクサン!頑張って!」と励ましてくれた。言葉の通じない雇用主より通じる方がいいに決まっている。

 いちばん近いところに体験に行って、悪くなさそうだったのでそこに決めた。基本的には英語での授業だというので日本語で教えられる先生がいるか尋ねると、「いるけど片言。でもそのうちタイ語で会話できるから大丈夫」と真顔でいわれた。むむ、なかなかの自信。

 担任の先生の名は仮にプリチャ先生としておく。プリチャ先生は私より年上の先生で、人懐っこくてユーモアのある先生だった。教室では長く働いているらしく、新人教育などもしている様子だった。

 最初のうちは教科書を使っていたが、薄い教科書をサラッと一冊やった後、雑談形式に切り替わった。日本人の駐妻は熱心に取り組む生徒のほうが珍しいくらいなのだろう。とはいえ、先生と雑談するのは楽しかったので、やめずに続けていた。週1回でもタイ語に触れる機会があれば、少しは耳に慣れるものもある。

 先生からは、バンコクに暮らす独身女性の普通の暮らしのことを色々聞いた(先生はバツイチだった。タイの人は若くして結婚する人が多く、死別や離婚も多い)。アパートにはキッチンが無いのが普通。洗濯機もないので手洗いだと言っていた。基本、テレビ以外の家電がないらしい。エアコンは必須だろうと思いきや、無いところも多いという。

 タイの人は基本的に三食外食だ。先生は勤め人なので割と毎日いいところで食事をしているらしかった。朝食を買い電車で通勤し、昼は何か買って来て食べて、夜は友達と食事に行く。EXILEが大好きだけど、全然タイに来ないから、K-POPのほうがいいとも言っていた。

 出身はチェンマイの郊外。ごく平均的な家庭で、犬を飼っていたのだが、ある日近所の人にうるさいからと犬を殺されたと言っていた。餌に一服盛られたらしい。昔の田舎では割と普通にあったよ、そういうこと。と、彼女は言っていた。

 余談だが、タイの人は動物に対し、愛情をもって接するし、ペットとして飼ったりもするのだが、日本人と感覚が少し違う。日本人はペットを「我が子のように」愛したりするが、タイの人は「犬は犬、猫は猫、それ以上でも以下でもない」だ。「タンブン(徳を積む)」という施しの概念も影響しているようだ。お寺に行くとお祭りみたいに生け簀があって魚が泳いでいたり、鳥かごに鳥がいたりする。人々はそれを買い求め、空や川に放つ。命のあるものを自然に解き放つことは、人が功徳を積むということで、来世によい環境に生まれ変わることができるとされるのだ。タイの人の動物の愛し方は、そういう愛し方だ。だから家で飼うというよりは、街の犬や猫に餌をあげる。おかげで、野良犬も野良猫も減らない。

 先生のご近所の方は、功徳はつめないどころか、悪徳を積んでしまったようだが、ご近所トラブルで犬殺害というのは何とも物騒だ。

 我が家の犬が亡くなったとき「次は人間に生まれてきたりしないかな」みたいな話をしたら「タイでは犬は犬にしか生まれ変わらない」とバッサリ言われた。まあでもさすが仏教国、輪廻観のある国ではある。

 気心が知れていくにつれ、職場の愚痴が増えて行ったプリチャ先生だが、なんとなくゆるい感じで教室は何年も続けていた。ある時、受付の人がいないときに駐妻が見学を申し込んできたらしく、プリチャ先生が呼ばれ、しばらく戻ってこなかった。今日は帰った方がいいかなと思っていたら、プリチャ先生が慌ただしく戻ってきて「みらいさん、ちょっと今来てもらえる?」という。「彼女日本語しか話せなくて、せめて何を言ってるか、英語かタイ語で教えてほしい」という。「うわ、そんな通訳みたいなことできないよ」と言ったら「いいの、まあ何言ってるかわかればいいの」と無理やり連れだされてしまった。

 実際その駐妻さんも困っていたので、わかる範囲で先生に伝えた。教室に来て、質問することはたいてい決まっている。駐妻さんは休みが何曜日か、日本語で授業できる先生はいるか、ということが知りたかったらしい。休みはない、片言でもいいなら日本語のできる先生はスケジュール次第、今受付がいないから、また改めてきてほしいと伝えてくれと先生に言われ、お伝えした。ちょっとした通訳みたいだし、人の役に立つ「仕事」的なものに飢えていたので楽しかったが、実際私の英語もタイ語もたいして達者でもないので、せっかく来てくれた方には申し訳なかった。突然生徒が出てきてにわか通訳するような教室、もう来てくれないんじゃないかなとチラっと思った。

 そんな感じの、ゆるーい教室だったが、帰国を待たずに私は教室をやめた。そのあとで、教室が移転した。先生はその後、転職したらしい。ブラックなのよ、働かせすぎなのよ、とかなり愚痴っていたので、まあ、いつかは転職するんだろうなと思っていた。しばらくはSNSなどでつながっていたが、次第に連絡を取らなくなり、そのまま帰国してしまった。

 いまでも先生から習った言葉を時々思い出したりするのだが、いちばん思い出す言葉は「キーキアット(めんどくさい)」だ(「キー」はフンやウ〇〇のこと。綺麗な言葉ではないが、タイ語の口語では頻繁に使われる)。

 ネガティブワードなのがちょっと笑える。私も先生も良くそう言って愚痴りあっていた。似た者同士だったのかもしれない。

 


 

 


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