自分を信じて表現する・・・オリンピック選手達の活躍について感じたこと
コロナ禍の様々な問題を抱えたまま、東京オリンピックが開催しました。
開催に至るまでの顛末含めて、日本が抱える課題、現代オリンピックが抱える課題、世界中の国々が抱える課題が露わになったオリンピックだと感じます。
それでも表面だけ取り繕って、上手くいっていない社会構造やシステムをなかったことにしてしまうよりはずっとよい。
私達が目や耳を閉じ、見ないように聞かないようにしていたことを受け止める機会が生まれたことに意味があるはず。
オリンピック開催そのものには賛否両論ありますし。個人的にも「この対応はどうにかならないのか?」など思うところは多々あります。
・・・が、
己の内なる情熱を原動力に研鑽を重ね、心技体を磨き上げてきた世界中のアスリート達が活躍できる機会は、アスリート達にとってだけではなく、きっと私達にとっても貴重な体験。
アスリート達の全力を尽くした戦いに日々感動し、勇気や希望をもらう中で感じたことをシェアしたいと思います。
自分を信じてやり抜いた
今大会絶好調でメダルを量産している日本チーム。選手達のインタビューや競技前後の様子を見ていて印象的だったことがあります。
それは
自分を信じて最後までやり抜いた
という主旨のコメントをされる選手がとても多かったこと。
もちろん自分の実力を100%発揮することが出来ず悔し涙を流している選手もいます。
でも、メダルの有無に関わらず、
ありのままの自分を信じ抜き、
技や体力だけでなく、感情や心の中にあるもの全てを全力で表現出来たであろう選手達は、
競技前、競技中も余分な緊張や力みのない、集中した表情をしているように感じました。
また、競技終了後は、結果に関わらず自分の全てを出し切れたことに対する満足感に溢れているように感じました。
内なる情熱に従った自己表現
私が10代や20代だった頃には、
国を背負って
とか
周囲の期待を一身に受けて
みたいな選手が多く、
見ているこちらが気の毒に感じてしまう事が多かったです。
一方、今回のオリンピック選手達は、自分の肩に自分以外の誰かや社会の何かを背負っているような悲壮感が・・・ない。
ように見えます。
自分はすごい!強い!と無理に思い込むのではなくなく、
自分の内なる情熱に従い、
弱さや強さ全て引っくるめた、ありのままの自分を信じ、
軽やかに、でも全力で自分自身を表現している
そんな感じ。
自分自身を精一杯表現する喜び
が溢れている。
そのような姿が
見ている私達にも感動や夢や希望を与えてくれていると感じます。
自分を信じてやり抜いた・・・私の場合
オリンピック選手の自己表現と比較出来るような話ではないですが。
先日、自分を信じ、自分の中にある願いや情熱を伝える機会が私にもありました。
相手は長女の同級生、約150名の小学6年生と先生達。
学校の授業のお手伝いとしてスピーチをしてきました。
金銭の見返りがあるわけではなく
何か結論を出すわけではなく
相手に評価されたい
などの見栄や緊張、不安もなく
自分の願いや思いをシンプルに表現する時間。
何とも言えない喜びを感じました。
私はオリンピック選手達のような類い稀なアスリートではないですし
文書力もスピーチの能力も普通
絵を描いたり楽器を奏でる能力もないです。
それでも、
自分の内なる情熱に従い
ありのままの自分を信じ
自分の中にあるものを表現することは
何にも代え難い喜びであり
自分にすごいエネルギーを与えてくれました。
自分の身体を使った表現は
どんなに稚拙で価値がなくても
他の誰にも出来ない、唯一無二の表現です。
オリンピック選手達の心の中は分かりようもないけれど
もしかしたら
自分を信じ、
最後まで諦めずに自分を表現するって
こんな感じ?
なんて満足感のある体験なんでしょう!
相手の評価など気にせず、
全ての人が自分の中の情熱に従って、
心の奥底にある願いや思いを十二分に表現出来る社会になったら、
この世界はもっともっと素晴らしい世界になるのではないでしょうか?
アスリート達の活躍の様子と
自分の中にあった喜びの体験がリンクしたように感じた夏の夜でした。
オリンピックに出場する選手達が、
自分を信じ、
自分史上最高のパフォーマンスを披露することが出来ますように。
私達1人1人が
他者の評価を恐れず
自分を信じ、
自分の中のある全てを表現する勇気を持てますように。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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