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3/1095 思わず泣いてしまって気付いた、聴いてもらいたかっただけだった気持ち。

昨日の記事の続きとその顛末な、今日の出来事。

たいしたことねぇな、という気持ちに素直なりつつ、それを週初めのミーティングで話すことを考えると全く自信がなかった。

言えないのではないか、というよりも、泣いてしまう確率があまりにも高すぎるのだ。泣いてしまうこと自体が嫌なのではなくて、泣いてしまうことで相手にプレッシャーを与えてしまったら嫌なのだ。

いや、待てよ。そうでもないかもしれない。相手にプレッシャーを与えることで、めんどくせぇ奴だと思われるのが、嫌なのかもしれぬ。

うぅーーー、なんという自意識の過剰さよ。
しかし仕方ねぇ、これが現実ってもんだ。

そして言った。
そしてやっぱり泣いた。
正確に言えば泣いてはいないけれど(泣いていたけどギリギリ涙がこぼれるのをこらえた)、もう明らかに涙声で涙をこらえているのがバレバレな状態になっていた。

週の初めにこんなことをいうのは申し訳ないのですが、もう業務があふれてしまって一人ではどうしようもないです。みなさんのようなスピード感で進めることができなくて、早くやろうと焦ると細かいことが漏れてしまうし、ふんだりけったりになっていて、ちょっともう限界です。

というようなことを言った気がする。時間がリミットだったので、そのミーティング自体はすぐに終わったんだけれど、午後一番にちょっとちょっとと声をかけられて、ゆっくり話す時間を設けてくれた。

上司に一通り話をして、今の仕事について一緒に棚卸をし、気持ちを聴いてもらえたことでほっとして、落ち着いた。そしてやる気が出てきた。

結局私は業務量が多すぎて溢れているのではなくて、大きくなりすぎた気持ちを自分一人で抱え込んで溢れ出していたのである。

親身になって聴いてもらいたかったのだ。
大切にされているという実感が欲しかったのだ。
必要とされていると感じたかったのだ。

それは、全く関係のない人に愚痴を聞いてもらいたいというのではなく、共に頑張っている仲間と、状況をよく理解しあっている仲間と一緒に考えたかったのだ。

私はそれを、仕事という仲間を通じて、場面を通じて、自分の中にいるもうひとりの自分の深い思いを鏡として見せられ、気付かせられているのだ。

親身になって聴いてもらいたかったのだ。
大切にされているという実感が欲しかったのだ。
必要とされていると感じたかったのだ。

これは、私の中にいるもう一人の私の渇望だ。
私自身に対する、狂おしいほどの欲望だ。

だから、私がもっと落ち着いて自分の思いや考えを述べたいと思うのなら、何かをコントロールしたり、ハウツーを身に着けて対処するよりも、このもう一人の自分からの欲望にまっすぐ耳を傾ける、その一択だと思っている。

受け取るのだ。
ただひたすらに、受け取るのだ。

嫌なこと、目をそむけたくなること、聴きたくないこそ、気付きたくないもの、すべてにまっすぐに受け取るのだ。

自分で自分の声にまっすぐに耳を傾けられるようになると、外側に求めなくても循環を生み出せるようになる。自分の中で循環を生み出せるようになることが、自律だと私は思う。

そういう意味で、私はまだ自律できていないのかもしれないけれど、そんな残念な現実もまっすぐに受け取り、ここからまた共に行こうと思う。

まずはちゃんと、自分が耳を傾ける、そんな時間を作ること。


あどまーに!


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