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恋愛という名の情熱

結論から言うと、タイトルに反して冷めた記事です。

このあいだ、ずいぶんと放置してしまっていたアメブロを何年ぶりかでアップして、それをTwitterでシェアしてしまってからしまったと思った。

わずかなフォロワーの弱小アカウントだから心配することもないんだけど、私のアメブロは一言で言って、痛いのだ。過去の恋愛のテーマが。

日々のつれづれや、映画のレビュー、歌詞の翻訳などのテーマのド真ん中に図々しく鎮座する、恋愛という名のカテゴリーが、削除を検討するぐらいに痛い。自分を馬鹿ですと発表しているようなもんだ。でも削除しないのはなんでだろう?人生経験の一部として残しておきたいのかも。私は過去から考察して現在の自分を図るのが好きなのだ。他人に見せなくてもいいけど。

世間の同世代が、いくつかの恋愛を経てめでたくTHE ONEを見つけて結婚式を挙げ、数年後に赤ちゃんが生まれて、引っ越して新しい家を建てて。たとえばそんな出来事を華々しくFBにアップしている間、私はまったく別のベクトルを歩いていた。

20代前半に長年抱いていた夢をあきらめてから、私は人生の足取りを大きく間違え続けてきた。あきらめたわりに人生の賢明な別オプションを検討せず、ただただ道に迷い続けて深い森に入ってしまった。

ギャンブルのような夢を実現させようとしていたわりに、その賭けのような人生にプランA、プランBというふうに複数オプションを設けず突っ込んだので、行き止まりになってしまったときに、それが想定外すぎて思考が止まってしまったのだった。

ただやみくもに異性に夢中になった。自分を見つけて欲しかった、という感覚が近いかもしれない。27歳のときに数か月ほど付き合った人は(付き合ってたうちにカウントしたくない…しなくていいね)、作家志望で定職に就いておらず、お金を無心する人だった。私に人を助けられるほどのお金がなくてよかった。貯金に余裕があったらきっと彼は私のヒモになっていたと思う。モラハラ気質で、言葉の端々が暴力的な人だった。彼は父親から暴力を受けて育った人だった。父親の暴力で心が大きく歪んでいた。可哀そうにみえる人を助けたとしても、助けた彼が私を突き落とすこともある。人助けをしたように思っていても、本当は私が助けてほしかったんだ。人を助けることで自分を確認したかった私がいたと思う。

およそ私を幸せにする気なんかさらさらなさそうな相手でもかまわずに突っ込んで、当たり前だけどいちいち玉砕して、怪我して流血した動物が傷を癒すように一日中布団をかぶっていたりした。

あんなことを繰り返していて私はまともに仕事ができていたのだろうか?キャリアも通常のレールから大きくはずれたことと、何がやりたいかわからいなどとグズグズしているうちに世相に翻弄されタイミングを逃し、軌道修正もできなくなっていた。

「あんたはその恋愛に注ぐ情熱を何か別のことに向ければ、なにかしらを成し遂げていたと思うよ」と友人に言われた。それほど、私の不毛な恋愛への集中力は周囲を呆れさせていた。

最近、やっと気づいたんだけど(人生ではじめて)、私はずっと自分を恋愛至上主義者だと思っていたんだが、そうじゃなかった。この気づきは大発見だった。ただ、注ぎ込める何かが欲しかっただけ。それが何なのかがずっとわからなかっただけ。誰かにとってそれがキャリアだったり、家庭を持つことだったり、子供を育てることだったりするのが、私にはどれも当てはまらなくて、成し遂げたいことが何もなくて、くすぶる情熱を恋愛に注ぎ込んでいただけ。

きっとそうなんだろうと頭ではわかっていても、恋愛以外に夢中になれるものも目標もないから、仕方がなく、相も変わらず恋愛に溺れ続けていた。恋愛至上主義だと掲げていながらすべての恋愛に失敗してきてるから、そんな自分を本当にアホだと思ってたし、自分は価値がなくて恥ずかしいと思ってたし、なにか自分に大きな欠陥があるのだと思ってた。でもそうじゃなかったことに最近気づいた。

どうして気づいたかというと、この3年ぐらいで「仕事」で達成感を得たからだと思う。自分に合う仕事を得て、この数年で、仕事を通じて自分を認めることができた。この年齢になってやっとだ。恋愛をとおしてではなく、自分を認めることができたのだ。

レストランで働いた経験と、現職の経験は、自分の得意な能力を発揮できて、仕事をしていて楽しかったし、仕事のやり甲斐というものを感じることができた。とくに現職は、雇用形態のコンプレックスを乗り越えられた、マイルストーンになるべき縁だった。仕事の話はとても長くなるので、また記事を別にして書こうと思っている。

当然ながら、恋愛で幸せになる気がなかったわけではない、むしろ恋愛で幸せを得て、道に迷った人生をチャラにしようと思っていた。それなのに(それだから)失敗し続けてた理由はたくさんあるが、ひとつには恋愛をするときにまず承認欲求の満たしから始めてしまうことがあるだろう。承認欲求がすでに満たされている人は、もう満たされているのだから、自分のままの自分で恋愛に臨めばいい。まず承認欲求から満たさないと次のステップに進めない私みたいなのは、彼氏のYESがYESだし、NOが絶対のNOになってしまう。「私とは合わないな、この人」で離れればいいようなシーンでも、NOをYESに変えてまで受け入れてもらおうとしてしまう。彼氏に何か自分を否定されたら、一日中反省会をしていた。

私はこんな人ですけど、どうですか?から始まってしまうのが悪い。「どうですか?」の部分が間違っていることに気づいていなかった。「私はこんな人ですけど」までは結構しっかり(頑固なほどに)確立しているのだが、「どう?こんな私?」って相手の顔をうかがって、相手からNOをほのめかされると、あわてて直そうとしたり相手に好かれようと合わせたりする。別に「どうですか?」って、うかがうことないんだよな。こんな私、が相手にとってだめなら始まってすらいない。交渉決裂なのだ。

例えば知識豊富でとても頭がいい人(自分に自信があるのはいいが、他人を見下すところのある嫌な奴でした)と付き合っていたときに、彼と話を合わせようと、たいして興味もない歴史の6万円もするDVDセットを買ったりしていた。結局彼は、言葉を尽くして甘いことを言ってさんざん私をその気にさせたのに、だんだんと冷たくなっていって最後は無残に振った。その後そのDVDを見ることは一切なく、今でも部屋の隅でほこりをかぶっている。今ではあれは付き合ってたうちにカウントしなくていいとわかるけれど、当時はなんとかうまくいかせたくて、去りゆく彼に泣いてすがった。彼は私を振るときに、いかに私を嫌いかを言葉を尽くして述べた。自分の部屋にだんだんと増えていく君の私物が嫌だったと言った。私はじわじわと彼に侵入していったのだ。甘い言葉に乗ってどんどん本気になっていく私に彼は驚いた。彼はそれに耐えられなかったのだ。彼は私とお付き合いする気なんて全くなくて、ただ楽しいセックスパートナーにできればよかったのだと思った。

そもそも、こんな私をまるっと愛してくれる人を選ぶことができていなかった。「こんな私」でうまくいく相手と一緒におればええんや。

男は、というか、人は全力で追うと全力で逃げる。お互い惹かれあって、磁石のプラスとマイナスみたいになってないとだめなのよ。追えば逃げるなんてマイナスとマイナスになっているやん。

恋愛がそんなに苦手なら、追っても追っても追及しても追及しても逃げない「他人」以外のものに時間をかければよかった。友達の「その恋愛に注ぐ情熱を何か別のことに向ければ、なにかしらを成し遂げていたと思う」は正しい。でもそんなものがずっとみつからなかった私がいた。

今回、過去を振り返るのが本当にきつかった。もう、振り返らなくてもいいと今は思っているからだ。過去を振り返ればただただ恥ずかしいし情けないし、後悔ばかりで辛い気持ちになるだけだ。あれはすべて間違っていたとわかる今の自分の目から見るから、余計に辛い気持ちにしかならない。あの過去があるから今の自分がいるのだとも思えない。たまたま人生経験の重なりの中で結果的に気づけたことだが、もっと早くに気づけていればと思うばかりだ。楽しかった思い出以外は、過去を振り返っていいことはひとつもない。

やり直せるポイントはどこだったのか、過去から見つけ出すことはできるだろうけれど、残念なことに過去には戻れない。だから、振り返ってああだこうだ言うことほど無駄なことはないと、今は思っている。今回、記事にするので振り返ったが、本当に嫌な気分になった。自分自身のための行為として過去を振り返ることはもうないだろうと思う。それよりも、今、未来のためにできることを具体的に行動すること。それしかないと思っている。

痛い恋愛遍歴をたどってきたが、私の人生ぜんぶが痛いわけではない。恋愛の面だけから私を見ると相当の馬鹿だが、そんな風にしか生きられなかった自分を認めながら生きるしかない。今は気づけて良かったね、というだけだ。後悔は抱えて生きるには重すぎる。

認知のゆがみで人生のいろんなものを無駄にしてきたけれど、今は自分の人生じたいを自身で膨らませていくことに夢中になって、他人に依存しなくなったよという話でした。

ただ、それとは別にして惚れっぽいのは持って生まれた性格なんだよね。気楽に恋愛を楽しめればよかったのかもしれないけれど、自分の幸不幸を相手に全部預けてしまうタイプなのに惚れっぽいのは、結末に不幸しか待っていない。

恋愛ほど自分を急スピードで成長させてくれるものはないし、誰かに影響されてどんどん変化していく自分もすごく好き。吸収し、同じになりたいと思う。これから残りの人生で、またたくさん素敵な人に出会う機会があるんだと思う。心で想ってるだけは自由なので、死ぬまで誰かに恋して、自分を更新し続けたい。

死ぬまでこうやって自分クエストしてるんだろうな、私って。

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