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生きづらさとは自分が自分でいられないこと

この記事は2024.6.19の音声配信を文章にしたものです


生きづらさの自覚

「生きづらさ」という言葉は、ここ数年でよく聞くようになった気がします。
わたしもアダルトチルドレンとして生きてきて、数年前にこの言葉を知り、まさに自分のことだと思いました。

それと同時に、生きづらさを抱えていることが自分の中ではっきりしました。
「自分だけじゃなかったんだ」と感じて安心したのを覚えています。

わたしが考える「生きづらさ」

わたしが考える「生きづらさ」とは、自分が自分でいられないことだと思っています。
何がしたいのか、今どんな気持ちなのかがわからなくなる人も多いのではないでしょうか。

自分への感受性が鈍くなる一方で、他の人からどう思われているかはすごく気になる。そんなところも、生きづらさを抱える人の特徴かもしれません。

大人になり、生きづらさと向き合う

わたしは「話を聴くのが好き」「寄り添って人の話を聴ける」というのが長所だと思っていました。
でも裏を返せば、自分に意見がなく、どう思われるかが怖くてはっきり意見を言えないのも事実。
話を聴く側に回れば意見を言わずに済むし、人の意見に合わせることができる。
そういうメリットもどこかで感じていたんだと思います。

それぐらい、生活の中で自分の考えを言うことに全然慣れていなかったんです。

ですが、大人になればなるほど、自分がわからないことがすごくつらく感じるようになります。
もう親が守ってくれるわけでもないですし、自分が親になれば、夫とか子ども、自分の大切なもの、守るものができるじゃないですか。
だから自分だけを大事にして生きていこう!…とは言えない。

そうしたとき、やっぱり自分に軸がないとすごく不安で、常にグラグラしているような感じがあります(大黒柱のないお家みたいな…少し地震が起きたらすぐに崩れてしまいそうな)。
実際に、そういう精神状態でいることが多かったです。

そんな不安定な状態で過ごしていると気持ちも定まらないし、何が正しいのか(自分にとっての正解)も全然わからない。
自分が何のために生きているのか、わからなくなることもあります。

少しずつ自分を表現する練習

わたしは発信を通じてこんな練習をしています。

・自分の意見を言う
・まとまらなくてもいいから、声に出してみる
・文字におこしてみる(書いてみる)

最初は、不特定多数の人に自分の気持ちを言うのが怖かったです。
でも1年ぐらい続けてみて、身近な人に言うよりは結構楽だったりするなと気づきました。
それは自分でも不思議な感覚だったんですけど…。
振り返ると、両親とか親戚、身内の人など、自分をよく知っている人にあまり自分の気持ちを受け入れてもらえない経験をたくさんしているからなのかなと思いました。

多くの人に発信することで、「どこかに気持ちを共有できる人がいるんじゃないか」…そういう希望がちょっと持てるというか。
まだ知らない出会いがこれからあるんじゃないかな、と前向きな気持ちになれるのも、発信の魅力だと思います。

自由に発信できるように

自分がこれからも自分でいられるように、少しでも生きやすくなるように、これからも好きなことを発信したいです。
それがもっと、自分にとっても社会にとっても、当たり前になるといいなと思います。

最近は誹謗中傷が大きな問題になっていて悲しいです。
それぞれ自分の意見があっていい、自分の気持ちがあっていい、というのがもっと尊重されて、自由に意見を言えることが当たり前になって欲しいです。
そのためにも、わたしも好きなことを形にして、声に出したりコンテンツをつくりながら発信を続けていきたいと思っています。


stand.fmでも配信しています。

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https://listen.style/p/mioo

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