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「親友」〜ピリカ文庫「泡」第2章〜

この話はピリカ文庫「泡」の
続きです。


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カサッと何か
左横で音がして気づいたら
有名な赤いパッケージのチョコレートが
マグカップの脇に置かれていた。

「このシマ、もう早乙女さん一人なの?」


チョコレートの差出人である
安井くんに
優しい声で尋ねられて、
目を上げると外が
すっかり暗くなっている。

「うん、明日のプレゼンの
 準備で遅くなっちゃった」

「そう、主任は大変だね」


「安井くんこそ
 忙しいでしょう?」

「そうでもないよ。
 採用は繁忙期以外は楽だから」

会社の人選というのは
つくづく考え抜かれているな、と思う。

同期の安井くんは
この大企業の新卒採用の顔だ。


アイドルのように中性的な顔つきと、
鼻にかかった甘い声。



ソフトクリームみたいに
甘い容姿とは裏腹に
堅実で刺すように冷静、有能な彼が
企業説明会でプレゼンするだけで、
一体どれほどの就活中の女性が
当社に転がり込んでくるんだろう。



「今年度入社の人たちは、どう?」

「特に女性が熱心だね。
 積極的に俺に質問してくる。
 将来有望だよ」

「それは安井くんが担当だからだよ」

「ありがとう」


満足気に笑って
甘い目線を寄越してくる安井くんは、
私の言ったことを本当の意味で
心底理解しているんじゃないかな。


「早乙女さんさ、
 ノー残業デーの水曜日
 空いてる日あるかな。
 出来れば早いうちが
 助かるんだけど」

申し訳なさそうな顔をして
安井くんが聞く。


「水曜日?どうしたの」


少し困った顔で笑って
彼は続ける。


「うん、ちょっと相談、があってさ
 夕食を一緒にしてくれないかな。
 もちろん、おごるから」


このシマに誰もいない時で
良かった。

他の女子社員に聞かれていたら
明日にでも総攻撃に遭うところだった。

安井くんなら
それを分かった上で
時期を狙って話しかけて
きたのかもしれない。


「う......ん……、来週か再来週なら
 忙しい時期じゃないから
 大丈夫……だと思うよ」


「良かった。
 危ないことはしないし
 夜遅くならないように帰すから」



訝しい顔をしてしまったんだろうか。
私の反応を見て
安井くんはそう言う。



その容姿なら幾らでも
遊べるだろうに、
安井くんは誠実だな。


よく安井くんの隣でじゃれていた
安井くんと仲の良かったあの人を
また思い出してしまう。



二人は似たタイプだ。
安井くんの方が甘い見た目に反して
冷静にブレなく決断する人で、
あの人みたいに無防備な
印象はないけれど。


いつだかあの人は
私が身に纏う雰囲気が
あの人と同じだ、って言った。


それなら安井くんと私も
似ているのかな。



「じゃあ詳しいことが分かったら
 社内チャットで連絡する。
 遅い時間にごめんね、ありがとう」


そう言って安井くんは
いつもの紳士の印象を崩さずに
戻って行った。



次の日、仕事中に
社内PCの右下に
メッセージが表示された。


「4月15日(水)
 18時30分に親水公園の
 ベンチで待ち合わせはどう?」


少し考えて
OKのスタンプを送った。






4月15日。


5分ほど早く行った
待ち合わせ場所にはもう
安井くんの姿があった。


こういうところも安井くんは
礼儀正しいから、
コートを丁寧に腕に
かけていたあの人の
姿と重ねてしまう。


「少し歩いてもいいかな」


私の歩くスピードに合わせて
ごく自然に車道側を
歩いてくれる。


あの人は私の歩幅なんて
考えなかった。


何も始まっていないまま
会えなくなったのに、
こんなことをいつまでも
考えているなんて知られたら
気持ち悪がられるだろうな。


「もう花が跡形もないね」

桜の木を指して
安井くんが言う。



時折吹く春の風は
強くて歩きにくいけれど、
外の空気が心地いい。


幾つか他愛ない話をすると
ウォールナットの木目が美しい
カフェレストランに到着した。


「素敵だね、安井くんのセンス?」


そう聞く私に円やかな顔で笑う。


「センスなんてほどじゃないよ。
 ここはコーヒーが美味しいから
 何度か寄ったことがあるんだ」



壁まで落ち着いた印象の
木目に覆われた店内を、
アールデコ調の
ステンドグラスやランプの光が
優しく照らしている。


「先に飲み物を
 頼んでもらってもいい?」

そう促されて
アールグレイティーを頼む。


「アールグレイは
 早乙女さんに似合うね」

「それ、どんな印象?」

「片手に本、片手にティーカップかな」

「何それ。
 安井くんも似合いそうだよ」

「俺は、紅茶の人じゃないよ。
 コーヒーの方がいい」


そうだ。
安井くんを外見しか知らない人なら
紅茶が似合うというけれど、
彼の内面はコーヒーのブラックだ。
冷静で、間違いがない、シャープな人。


あまり待たずに
デザイン性の高いカップが来て
二人で頂く。


香りも味も
優しく上品なアールグレイに
ほっとする。


匂いからして高級そうなコーヒーを
柔らかな顔で飲んでいた安井くんは、
唐突に少し上の
私の後ろの方を見て
明らかに私に話すのとは違う
声の低いトーンで言った。


「意外と早かったな」


「お前にこれ以上
 迷惑はかけたくないんだ」


「ふ~ん、
 嫉妬してるんじゃなくて?」


女性の前では珍しく
茶化したように話す
安井くんと会話しているのは、


聞き覚えのある低い声。



心臓がビクンと跳ねる。




「早乙女さん、久しぶり」


安井くんの隣に来て
立ったまま怖い顔で
藤原くんに話しかけられた。


「……え?」


「早乙女さん、
 コイツのこと、覚えてる?
 昨年退職した、藤原」




あまりのことに
返すことばが見つからないでいると、
安井くんが元の
女性に対して使う優しい声色で言った。

「事前に言わなくてごめんね。
 どうしても藤原が
 早乙女さんと話がしたいって言うから」



「あ、うん。大丈夫だよ。
 久しぶりだね、藤原くん。
 ごめん、
 ちょっとびっくりしちゃって」



心臓がうるさい。
あまりの展開に
心が追いつかない。




私の様子を見て
何故か生温かい眼で
安心したように笑った安井くんは、

それでも念のため
見えない私の心の内を確かめるように
私に聞いた。


「早乙女さんに用があるのは
 俺じゃなくて藤原なんだ。
 だから、二人にしてもいいかな。
 迷惑なら俺も残っても
 全く構わないから
 そう言って欲しい」


「お前、俺がまるで 
 危険人物みたいな言い方するな」


藤原くんはそう言った後
私の目をのぞき込むように
硬い声で話す。


「俺、早乙女さんに
 危害を加えるつもりはないよ」



怖い。
そうだ、この人といると
世界が180度変わってしまうような
怖さを感じるんだった。



それでも何もしなかった
苦い後悔の方が
いつまでも痛むことを、
今は知っている。


「安井くん、藤原くんと二人で
 別にいいよ」


そう言うと貴公子のような顔で
私に微笑んだ安井くんは、
伝票を持って立ち上がる。


「藤原、早乙女さんに迷惑かけるな。
 送り狼になるなよ」


真面目にそう警告した
安井くんの手から伝票を奪い取って
藤原くんが言う。


「お前、どれだけ俺に信用ないの」



そんなことばを聞いても
信じられないかのように顔をしかめてから
安井くんは


「早乙女さん、
 藤原に何かされたら
 すぐ俺に連絡して」


そう伝えて出口に向かおうとする。


「安井!」


藤原くんが呼ぶと
安井くんは足を止めて
優雅に振り返った。


「恩に着る」


「この埋め合わせは今度しろな。
 早乙女さん、明日また会社で」


女性を何人か
卒倒させそうな笑顔でそう言って
安井くんは帰ってしまった。


「いい男だよな」



呆然と安井くんを見ていた私に
さっきまで安井くんがいた席に
腰を下ろして、
苦い表情で藤原くんが言う。



「え、安井くん?うん。

 藤原くん、どうしたの?
 新しい会社と結婚準備で
 忙しいでしょう?」


「会社は慣れたから大丈夫だ。
 結婚は」



そこで私の顔を
表情を崩さずにじっと見て


「破断になった」


と、はっきりと言った。



「え……。
 そうなんだ。えっと
 何と言ったらいいか……つらかったね」



「いや、俺が駄目だったんだ。
 我慢出来なかった。
 相手が悪いんじゃない」


そこで息を切った藤原くんは
私から視線を外さないまま、呼んだ。



「早乙女さん」




嵐の前のような気配がする。
コーヒーの香りが、もうしない。



「俺、臆病だった。
 何もしなかったのに
 こんなことを言われるのは
 不快かもしれない。

 だけど、これ以上後悔したくない。

 早乙女さん、俺のこと
 好きだったろう?」


まだ落ち着いていない心臓が
もう一度ドクンと大きく跳ねた後、
これ以上ないほど速く鳴る。



「……え?」


藤原くんは硬い顔で続ける。

「いつも俺のことを
 熱っぽい顔で見ていた。
 あれは、恋愛感情だろう?」



そうして、返事をじっと待っている。



顔から耳まで
真っ赤になっているのが
自分でも分かる。
恥ずかしすぎて
どこかへ逃げ出したい。

だけど、ヘビに睨まれたカエルだ。


藤原君は私が答えるまで
きっと逃がしてくれはしない。

何より自分は
かつて何もしないで
逃げてしまったことで、
こんなに大きな後悔に
今だって苦しみ続けている。



「うん。好きだったよ」


声が上ずるけれど
聞こえるようにはっきり話す。
自分はなんて子どもなんだろう。



「好きで好きで、怖かった」



「怖い?俺が?」



「うん。藤原くんでいっぱいに
 なっちゃう自分も。
 藤原くんと一緒だと
 世界が全部変わってしまいそうで」


「そうか」


アイツの言った通りだな、と
独り言を言ってから
藤原くんは続ける。



「早乙女さん、
 俺、早乙女さんに
 恋人は要らないと言われて
 それだけで諦めて
 親の決めた相手と結婚しようとした。

 でも、忘れられなかった。



 いつだって早乙女さんを
 思い出してしまうんだ。
 もう辞めてだいぶ経つのに
 数少ない早乙女さんとの思い出を
 毎日何度も頭の中で思い返してる。

 だから婚約は上手く行かなかった。
 俺から断った。

 早乙女さん、一歩一歩でいいんだ。


 まだ俺に少しでも気持ちがあるなら
 お試しでもいい。

 俺と付き合ってください」









翌日、会社で席を外して
給湯室を通るときに
安井くんに呼び止められた。


「良かったね」

コーヒーを淹れながら
にっこり微笑まれた。

「安井くん、いろいろと
 本当にありがとう」

「いいんだ。
 見ていてずっと2人とも
 じれったかったから、良かった。

 藤原、極端でしょう?
 獲物を見つけた猟師みたいな顔で
 早乙女さんに突進しようと
 したかと思ったら、自爆してさ。

 あんな顔で近寄られたら
 女の子は怖いよね。


 挙げ句の果てに
 他の女性と結婚する、なんて
 言い出すし」



「藤原くんが怖い顔をするのは
 緊張しているときだと思うよ」


そう言うと安井くんは
丸い目を更に丸くして私を見た後、
花のように微笑んだ。


「へえ、早乙女さん
 よく分かってるね。
 相手が早乙女さんで良かった。

 アイツね、退職してから
 ずっと早乙女さんのことを
 未練がましく話していたんだ。

 だから、本当に安心した。
 昨日は嫌なことされなかった?」


「うん、安井くんの顔を立てて
 昨日、は、何もしないって」

ははっとおかしそうに
安井くんが笑う。

「藤原は不器用だけど
 いい奴だから、頼むね。
 また何かあったら俺に言って。
 アイツには貸しがたくさんあるから」

そう言ってマグカップを持って
嬉しそうな空気を背負って戻って行った。


給湯室には
安井くんのコーヒーの
香ばしい香りだけが残されて
私を包んでいた。

(完)



またまたイケメン登場の
過去に書いた創作と
同じような話になってしまいました😅



親友、というより
超絶イケメン保護者😆


恋愛って年を重ねれば
上手になる訳じゃなくて、
経験を積んだからと言って
魅力的になる訳でもないけれど、



相手を理解するのは
難しいところがあるから、
こういう百戦錬磨的な親友が
近くにいてくれたら
心強いですよね。



さて、
アンドロイドみたいに
容姿に優れていて
間違ったことをすることが少ない
安井くん。


彼はどんな恋愛を
するのでしょうね。


懲りずに読んで下さって 
ありがとうございました。


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