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【ピリカ文庫】泡


その泡のように私の心を
いっぱいに埋めては
直に萎んでしまうけれど、
消えたように見えて実は
いつまでも端に張り付いて
燻っている。




苦い後悔。




誰かが飲むのを見かけるたびに
悔やむ気持ちが
胸一杯に広がって、
小さくなっても、消えない。







20歳の頃は
ビールを飲めない友人なんて
たくさんいた。
それが1人,2人と
月日を重ねるうちに
減っていった。



確かに苦いこの飲み物を
美味しいと思えるようになるまで、
舌がそう変わるまで
努力をしたんだろう。



私はしなかった。



いつだって
臆病で努力不足の結果
己を恨むパターンから
脱しきれない。







オフィスへ向かう
エレベーターを待つための
広いホールで、既に
藤原くんはコートを脱ぎ
丁寧に腕に掛けていた。




あいさつをすると
異動先の社員である
私の得体をまだ探っているのか
他人行儀に返事をする。


「コート、ここで脱ぐんですね。
偉いですね」


思ったままを伝えたら
途端に幼児が母を
見つけたときにするような
笑顔で返されて
面食らう。



容姿は一般的な人だった。
細めのつり目、黒い髪。
標準的な身長。



それなのに
烏帽子でも被せたら
似合うんじゃないかと
思うように高貴で
落ち着いた印象があるから、
そんなに無防備に笑うと
思っていなかった。






「ビール、飲まないの?」

彼の歓迎会で聞かれた。



苦いから、と答えた私に
藤原くんは「珍しいね」と笑い、
隣に座って豪快に飲み始めた。



「藤原くん、美味しそうに飲むね」


「うん、早乙女さんは
人生、損をしてるよ」


そうかもしれない。


飲めるようになる
努力をしなかった罰だね、
ということばを飲み込んだ。



「あ、藤原くん、
ついてる、泡」

唇の上、と言い終わる前に
彼が手の甲でグイッと
勢いよくそれを拭ったので、
思わず息を飲んだ。


びっくりした。
藤原くんならハンカチでも出して
拭くのかと思っていた。


当たり前だけど
この人は男の人なんだ。

「何?」

あなたに男性性を
感じてしまった、なんて
まさか言えなくて
咄嗟にこう答えた。

「なんか......サンタさんのヒゲ
みたいだったから」



途端にプハッと笑って
嬉しそうに
潤んだ眼で藤原くんが言う。

「何それ、
俺、早乙女さんにクリスマスの
プレゼントあげなきゃいけないの?」

私は動揺を悟られないように
茶化して言った。

「嬉しい!お待ちしてます!」




彼は飲み会のたびに
私の近くに来たけれど、
私が他の人と話していると
怒ったような顔をしていた。




藤原くんは怖い。
当然のことなのに
彼は男性だと言うことを
意識してしまう。

近寄ると全く違う
別の世界へ
拉致されそうだ。

こんなことは他の異性に
感じたことは無かった。

藤原くんは怖い。
それなのに目が追ってしまう。





7月の飲み会の帰り。


「藤原、早乙女さん送ってって。
同じ方向だろ」



そう言われた彼は
いつもの仏頂面で
大股で歩いていた。



嫌なんだろう。
迷惑なんだろうな。



口をへの字に曲げて
お酒のせいか赤い顔をしていた
藤原くんは、
2人きりになるとまた
あの笑顔になった。




簡単に
傷つけられてしまいそうな、
無垢な笑顔。




「早乙女さん、
お嬢なんだって?」

急にそんな話をされた。


「いえいえ、藤原くんには
勝てませんよ」

「まあね、俺は子息様ですよ」


そう言って明後日の方を向く。



会話が弾まない。




幸運にも並んで座れた
混み合う地下鉄の席。
太ももが彼のそれに
ぴったりくっついて熱を持っている。
広げた足を
閉じてくれればいいのに。




それでも、
汗ばんでいる肌と自分の熱が
恥ずかしいのに、
この密着が心地良い。



「俺たちさ、似てるよな」

唐突に私の眼を見て
藤原くんは言う。

「似てる?そうかな」

「そう。
早乙女さんが身に纏う雰囲気は
俺と同じだ」

地下鉄の走行中の騒音で
聞きづらい。
耳に神経を集中させて、聞く。

「雰囲気?」

「そう。早乙女さんさ、
高貴で、優雅で、きめ細やかだ。
今だって俺の話を
聞き漏らさないように
神経を使ってくれてる。
俺と同じだ」

腕を組んで
間違ったことばを選ばないように
慎重に彼が言う。


「俺と同じ?
藤原くんも
高貴で、優雅で、きめ細やか?」

思わず見つめて苦笑してしまう。

「何だよ、間違ってないだろ?」

そう言った彼の声は
嬉しそうだ。

「そうだね、だけど自分で言うかなぁ」

2人で顔を見合わせて笑った。


「俺さ、同類を見つけた、と
思ったんだ。
似た者同士は関係が
長く続くらしいよ」




藤原くんは腕組みを解いて
髪をかきあげながら言った。

「そうなの?それじゃあ
末長くよろしく」

そう言った私に
またあの無防備な
嬉しそうな笑顔を見せる。





8月の暑気払いは
中盤で藤原くんが
私の隣に来た。



周りは既に出来上がっていて
隣の人との会話さえ
聞きづらい。

「彼氏いるの?」



彼はいつも以上に
怖い顔で座ったと思ったら
そんなことを聞いてきた。



「ううん」


「じゃあさ、.....」
「今は!」



私は畳み掛けるように
会話をかぶせた。




「今は忙しいから
仕事に精一杯で、
ひとりがいいな、って思って」




彼の質問の裏にある
意図が分かってしまった、と思う。
それで、
咄嗟にそう答えてしまった。

藤原くんは
親に理不尽に
叱られた時のような顔をして
言った。


「そっか、早乙女さん
いつも忙しそうだもんな」

そう言って
彼の真意が誰にでも
分かってしまいそうな
繊細なカラ笑いをした。


彼が嫌いなんじゃなかった。
むしろ強烈に惹かれていた。



だけど、
藤原くんは怖かった。


私が入っている殻を壊されて
心まで裸にされて
全く想像できないところへ
引っ張り出されそうな恐怖があった。

だから思わず
そんな風に言ってしまった。



それからお互い
反隣の人と話始めたので
この話はそれきりになった。





その後しばらく
彼は何かを
悩んでいるように見えた。


私のことかな。
でも彼氏の有無を
聞かれただけなのに
そんな風に思うなんておこがましい。


何日もこっそり
彼を仕事中に観察したけど
勤務中はあの笑顔と真逆の
大人のポーカーフェイスのままなので
よく分からない。


だけど、
背中に彼が纏う空気が
今までと違って困っている。





暫くして
藤原くんが退職することを知った。





親御さんの会社に入って
親御さんの勧めた方と
結婚が決まったらしい。



血の気が引くってことばが
初めて理解できた。



いつまでも同じ会社に
いるのかと思っていた。


もう少し彼に慣れたら
なんて勝手に悠長に考えていた。


怖くても、飛び込めば良かった。
想いを伝えれば良かった。




もう遅い。




藤原くんの送迎会で
彼はビール瓶を右手に
やって来た。


「私、飲めないから、いいよ」


そう断ったのに
藤原くんはあの
怒ったような顔をして
低い声で言った。

「乾杯に必要だから」

無理に私のグラスに
ビールを注ぐ。
白い泡がやけに目につく。

「早乙女さん」

呼ばれて見つめると
彼はまた
どこかへ私を
連れて行ってしまいそうな
顔のまま言った。


「ごめんな、俺
クリスマスプレゼントの約束
守れなくなっちゃったよ」



(完)

__________________


最後までお読み下さって
ありがとうございます。



ピリカ文庫への
寄稿のお話を頂いたとき、


ピ、ピピピピ

※鳥?

ピリカ文庫⁇⁇⁇



あの、あのあのあのあの


けけけけけけ、けーっっっ‼︎

※ひきつけました。誰かたすけて。

け、権威の⁇⁇⁇


ガクガクブルブル‼︎



と、不審者のように変貌して
暫く固まってしまいましたが、



滅多にない良い機会だ、と思い
有り難くもお受けしました。


この創作は
悩んで悩んで
苦悩の末に出来上がりました。


創作って難しいですね。
なかなか上手く出来ません。
それなのに楽しくて
やめられないから不思議です。


恋愛のスピードは
人によって違いますよね。
急いでいる藤原くんと
ゆっくり進みたい早乙女さんの
お話を書いてみました。


ビールによって思い出される
苦い後悔が、
いつか甘酸っぱいものと
変わりますように。



ピリカさん、
貴重な素晴らしい機会を
本当にありがとうございます😊


↓創作大賞に恋愛小説部門で
 参加しています。
 最初のカタい海斗編に反して
 凛編はエロいです。

 ※女の子の方が一般的に実は
  エロいのだ。

 神さま仏さま、読んでくださいませ〜。


#ピリカ文庫

ありがとうございます!頂いたサポートは美しい日本語啓蒙活動の原動力(くまか薔薇か落雁)に使うかも?しれません。