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完璧な人 第9話



次の日、
想いを伝えようとしたけど
野々宮さんに会えなかった。




早く伝えたいのに
こういうときに限って
残業で帰れない日が続く。




遅い時間に
部屋を訪ねるのも
失礼だからできない。




イライラするほど
会えない日々が
何日も続いてしまった。




風の強い土曜日、
野々宮さんの部屋をノックする。
この部屋の前に立つと
いつも緊張する。

いて欲しいけど
いて欲しくない、
逃げたい気持ちも同居してしまう。


言わなければ。
苦しめた人に、愛情を伝えなければ。




「凛?」



野々宮さんが開けた
ドアの向こうから
段ボールの束が見えた。




血の気が一瞬で身体から
引いていくのが分かる。




「野々宮さん......、
 引っ越し、するの?」




ああ、と
後ろを振り返りながら
彼が言う。




「俺がここにいても
 お前、辛いだろう?」



「そんなことない!」




思わず叫ぶように
言ってしまう。




「今の発言は意地悪だったな。

 本当は随分前から
 考えていたんだ。
 親所有のマンションが
 一室空いていてな、
 人がいないと部屋が痛むから
 引っ越しするように言われていた」




お前だけが理由じゃない、と
言いかけた彼の会話に
畳み掛けるように言ってしまった。



「話があるの」



私の表情が深刻そうに
見えたのか、彼が問う。




「......他の奴に
 聞かれたくない話か?」




首を縦に降ると
野々宮さんは私を部屋へ招き入れて
ドアを閉めた。





拓実に殺されるかな、と
冗談めかして言われて
焦る。




早く、伝えないと、全部!





手に汗をかきながら
何とか話し出す。




「あの、あのね、野々宮さん。
 拓実くんとは別れたの。
 私、馬鹿だったの。
 ずっと野々宮さんが好きだった、のに
 自分の思いに、気づかなかったの。




 この間は野々宮さん、
 酔っていたし、本心じゃなかった
 かもしれないけど、



 それに、やっぱり好きなんて
 言われても、もう遅いだろうから
 どうにかしてくれなんて
 思ってないけど、



 ううん、それは嘘だけど、
 でも自業自得だ、とは、思ってるけど」




どうしても早口になってしまう
私の話を
ここまで一気に聞かされた
野々宮さんが
一旦停止ボタンを押すように
私を呼ぶ。




「凛」





でも私は必死で
それどころじゃない。
早く、いなくなってしまう前に
早く!





「でも、気持ちを伝えたかったの。
 本当に好きだったし
 今も好き!
 会うだけで、心臓が
 大騒ぎするの。



 でも野々宮さん、
 完璧な人に見えたから、
 手が、届かない存在に感じて、
 私、この気持ちは、
 アイドルを、推している、みたいな、
 想いだと思っていたの」




自分が必死にまくしたてているのを
滑稽に思うけれど、
伝えなくちゃ。




「凛」





「私、野々宮さんに
 好きだって、言われて、
 酔った勢いだったかもしれないけど、
 本当に嬉しかったの。


 もう遅いかもしれないけど、
 それでもいいけど、
 でも本当はよくないけど、
 とにかく、気持ちを、伝えたくて、それで」




これ、さっきも言った。
頭で後から分かるけど
上手く言えない。



「凛!」



今度は強く呼ばれる。




「え、うるさかった?
 私、ごめ......」




途中でぎゅっと
抱きしめられた。


熱い。
触れられているところ
全部が、熱い。




「全く......。
 そんなに早く話すと
 窒息するぞ」




言葉が見つからない。
心臓がまた
ひどく速く鳴る。



「野々宮さん......」




「俺はあの時確かに酔っていたけど
 その勢いで
 お前に好きだと言ったんじゃない。
 凛が本当に好きだから
 言ったんだ」




言葉がすぐには理解できない。
見上げた私の
額に優しくゆっくりキスをして
彼は続ける。




「それに俺は全然
 完璧なんかじゃない。

 凛が拓実と付き合っていると聞いて
 心臓が粉々に砕かれたようだった。
 拓実の爽やかさに嫉妬して
 未熟な自分に
 打ちのめされた」




やっぱり傷つけた!



野々宮さんの体に手を回して
きゅっと抱きしめる。




彼は私の髪を
撫ぜながら続ける。



「お前が拓実の恋人として
 横にいるかと思ったら
 気が狂いそうだった。


 好きだよ、凛。
 お前のことを考えると
 冷静でいられない」




全身が熱い。
きっと私、
ゆでダコみたいになっている。




「好き。野々宮さん、私も好き。
 好き」




壊れたロボットみたいで
かっこ悪い。
上手く言えない。





「推し、として?
 俺の写真入り
 うちわでも作るか?」




「違うの!
 野々宮さん、私、本当に!」




そう言いかけて
彼を見上げると、
また熱くなって
彼の胸に顔を埋めた。




とても優しい笑顔で
私を見つめていたから。




こんなのズルい。 


「海斗」

え?と見上げると
その綺麗な指と爪で
私の唇の
触れるか触れないかの
ところをなぞる。


「野々宮さん、じゃなくて
 海斗」


全身の感覚が唇に
集まったかと思うと
そこからまた指先の末端まで
痺れたように血が騒ぐ。


心の中では何度も
呼びかけていた呼び方で
言った。

「海斗さん」

途端に唇を押し付けられる。
ここが、こんなに
感覚が強いなんて
知らなかった。


深い、青い海に
溺れたみたいに必死になる。

指先を、背中を、
足の全体を、
後頭部を、
知らない感覚が駆け巡って
立っているのがつらい。


こんなの漫画の中だけの話だと
思っていた。




この人は危険だ。
でも、やめてほしくない。


長いキスが終わって
海斗さんと目が合う。
冷静な彼が上気している
みたいだった。

一つ息を吐いて
海斗さんが言う。


「凛。お前、エロいな」


何が何だか分からない。
顔を埋めてしがみつくと
優しく私を座らせてくれて
再び抱き合う。


温泉のお湯に
のぼせたみたいに
熱くてぼんやりしている
私を抱きしめたまま、
海斗さんはブツブツと
独り言を言っていた。


「この状況はヤバい。
 非常に危険だ」


意外と独り言が
多い人なのかな。




「引っ越し、するの?」

まだ少し顔が
熱い状態のまま
彼の胸の中で言う。




「ああ。遊びに来るよ。
 凛を拓実のそばに居させるのは
 心配だから、
 お前も攫っていきたいんだが」



きゅっ、と
腕の力を入れる。


攫ってくれたらいい。
心臓が保つか分からないけど、
1秒でも長く、一緒にいたい。




声にする前に
こう言われる。


「だけど、お前、箱入りだろう」


さすがに同棲は
親御さんが許してくれないだろうな、
とつぶやく。




ど、ど、同棲?
海斗さんと?




聞いてまた熱くなる。
一瞬にして
変な想像をしてしまった。
手足の指の先まで
血管が張り巡らされていることが
分かるくらい、熱い。




海斗さんは私を
抱きしめたまま、言った。


「俺のマンションにも
 遊びにおいで、凛。
 お前の好きな料理を
 作って待ってる」


↓続き(第10話〜終幕〜)はこちら。


↓前回のお話はこちら。



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