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苦難を超えて、栄光へ•••        覚醒への道 vol.5


人生における、美学を考える
ライフ•エステティックス•カフェ
“Cafe Carpe diem”



高速大量インプット


 二回続いて、KIMOのところを、お話し致しましたので、此処で少し、映画や音楽のお話しをしましょう。


海辺の、Cafe calpediemに戻りたいと思います。

  


 私の育った、港町では、どういう訳か、映画館が、五ヶ所もあり、映画の封切り後、直ぐに再上映され、格安で三本立ての映画が見れました。
 



 中学一年生の、中間テストが終わった日に、別のクラスの優等生の二人の女の子から、教室の前で待ち伏せされ、有無を言わさず、映画館に連れて行かれました。
 


 私が最初に映画館で見た洋画は、「アントニーとクレオパトラ」でしたが、幼稚園の時に、他県から来ていた、祖父母と見たのですが、隣にギリシャ彫刻の様に整った顔立ちの、外国人の男の人が座って、時々持っていた、ポップコーンの袋を私にも映画を見ながら、黙って差し出してくれるので、一度だけお相伴して、2回目は、祖父が、ノーサンキューと、片言の英語で言うと、その人は、肩をすくめて、私に微笑みかけたので、私は、ご好意に対してノーは付けないで、サンキューだけ言えば良いかと判断し、微笑みながら、サンキューというと、何故か頭をポンポンとしてくれました。


 祖父は、家に帰ると、その人が、私があまりにも痩せていたので、スマートと言っていたと、母に言うと、「お父さん、スマートは賢いと言う意味よ。」と言って、母は、笑っていました。
 



 それから、10年ぶりの、洋画鑑賞でしたが、多感な思春期の私は、その映画を見た後、暫くは感動して、その世界から、抜け出せませんでした。
 


 その三本立てで、百五十円の映画というのは、「ひまわり」、「ボルサリーノ」、「ガラスの部屋」で、いずれも名作でした。


 今でも、ガラスの部屋の テーマ曲の出だし部分を、原語で歌えるぐらいです。
それと、リスボン特急も、当時は、全て歌えてました・・・。
それからと言うもの、年間で多い時は、三十本から五十本も見ていました。 


 他にも、絵画鑑賞やボランティア活動、運動部と、毎日忙しい上に、病弱な母の看病と家事もしていましたので、とてもお勉強どころでは無く、科目では、勉強の必要のない、音楽のクラッシック鑑賞の時間と美術が好きでした。


 
 ある時、音楽のテストで、曲を鑑賞し、その後、作曲家、曲名、楽譜を全て記号で合わせるテストがあり、満点でした。
 


 実は、朝起きると、その日の音楽が頭の中で流れていて、気分により、曲が変わるのです。
楽譜が読めなくても、メロディラインで、曲がわかるし、暗譜で楽器も弾けました。 


 勿論、映画音楽も、ジャズも、好きな曲や演奏家ならば、頭出しや、音の出し方で分かります。
おそらく、皆さんも、大好きなアーティストの曲ならば、そうでしょう•••。 


 絵画も、同じ画家の画集を何回も一日中見たり、今でも、美術館に一日中いたり、幾つも掛け持ちして鑑賞したりしています。  
 

 質の良い情報を、入れる時には、量を大量に入れると、理論脳がお手上げ状態になり、イメージ脳に委ねられます。
いつもは、その後で、ゆっくり、じっくり鑑賞しています。 


重要なのは、如何に、その時、頭だけでなく、自らが興味や関心を持ち、如何に深く感動したか、と言う内容の質と、何回も繰り返しインプットしたかの量が必要です。


その質と量に、比例して、イメージ脳が優位になり、アウトプット迄に、情報を記憶し分析し、 要約し、必要な時は、いつでも取り出せる様に、高速自動処理します。


 ただ、ひたすら、上質な情報を、インプットしてほっておけば良いのです。
 


もう一つのキーワードは、図書館です。 


 小学五、六年頃に、学校の図書館にある本を、興味のある本から、片っ端から読んでいくと、読みたい本で、読む本がなくなってしまい、週末は、身分証明書を持って、市の図書館に通うようになりました。


 なぜ、身分証明書かというと、その頃の私は、中学生に間違えられて、大人のバス運賃を払わなければならなかったり、小学生だったので私服を着ていたら、大人の人に、制服を着なさい!と叱られたりしていたからです。


クラスで、学生証を持っているのは、私だけでした。


 
 図書館で、外の景色を見ていると、近くの公園の樹木が色づき、深まりゆく秋の景色に、日本ではなく、外国にいるかの様な錯覚に陥り、図書館の入り口のラウンジにあった、外国のファッション雑誌を、何種類も毎号全て見ていました。


 高校生になる頃には、パラパラ絵本みたいに高速で見ていたのですが、その癖が、アパレルに就職した時に、役立ち、ファッション雑誌を全て本屋でパラパラし、役に立ちそうな物を、何冊も買い込み、その年のコレクションから、流行を予測し、営業先にも、発注される時に既に流行の傾向がわかっていたので、ご提案し易かったり、デパートや専門店の担当者に、ディスプレイを頼まれ、それが、ディスプレイ後直ぐに売れると好評でした。


はい、此処で、


イメージ脳は、高速大量インプット後、ほっておくと自動処理します。

 

潜在意識、第二の掟

 
 
 当時、その会社は、フランスのある有名ブランドとのライセンス契約を狙って、パリに支局を出した頃で、そこへの配属を狙っていましたが、仕事中に怪我をしたのを契機に、仕事に終止符を打ちました。   
 


 上司からは、「君は、目の前のチャンスを不意にする気か。」と言われ、取締役からもあと三年いたら、フランス料理全集を結婚祝いにあげるし、支局配属も考えていたんだが•••と餌で引き留められたのですが、踵を返して、退社しました。


 当時、会社の同僚やお局様から、ハラスメントを受けていて、同僚のミスを被せられたり、怪我も、お局様の企みだった可能性がありました。
 


 はい、此処で皆さんお気付きですね、潜在意識の


第二の掟、

潜在意識は、自分と他人との区別が出来ない。

  
 
でしたね、ばちばちぱち、正解!
 

 そうです、その会社は、なぜかなくなり、お局様は、当時、新婚さんで、お腹に赤ちゃんもいらしたのですが、まもなく離婚され、同僚の方共々、仕事を失ってしまわれました。

 

何十年もしてから、偶然、その事を知りました。
私は、当時の事を、一切忘れていたのです。
そして、他者の不幸を、その様な結果を一切望んでおりませんでした。


理不尽な目に遭ったとしても、恨みや復讐などのネガティヴな感情に陥らずに、潜在意識に任せればいいのです。 


 何故なら、恨みや嫉妬は、エネルギーを相当使うので勿体無いし、他の道が開けるかもしれないからです。 

何故なら、今の私がそうだからです。


 あの時、他の選択をしていたら、一番なりたかった自分にはなれなかったでしょう。



その為に、例え苦労しても•••。



第一の掟は、


一度、情報を入れると、必ず実行する。


でしたね。    


そして、    


第三の掟        


途中変更が効かない。



でした。


 パリには住んでみたいとは思っていましたが、その当時は、働いて、お金を貯めて留学をしようと思っていましたので、仕事には未練がありませんでした。


だから、第四の掟の 


願った事は、頻度と強さに比例して、実行する。


 希望した仕事は得られましたが、最初に目指したのが、今の仕事ですので、願った頻度というより、その願いの強さの質が、問題なのでしょう・・・。


本日も、ご来店頂きまして、有難うごさいました。


また、お会いしましょう・・・“a bientot!”                                    
                 
                Mio


 


 


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