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177.この地球にわたしがいてよかったね


思えばずいぶん「自己啓発系」「精神世界系」の情報(本やセミナーなど)にはお金も時間も投資してきたものだ。大学では教育心理学専攻だったので、「心理学系」「教育系」もたくさん読んだし学んだし、子どもが生まれてからは「子育て系」も合わさっていき、まあとにかく、読んだですよいろいろ。

いっぱい知識を得て、なにがしたかったのかな、と思ったとき、ものすごくシンプルにいうと「自分という存在を受け入れて、好きになって、幸せに生きる」ということをやりたかったのだと思う。

自分を受け入れることがむつかしかったし、自分を好きだとは思えなかったし、幸せだなんてちっとも思えなかった。おやすみの日に家族連れを見たり、会社から帰る電車に乗ったら、自分以外の乗客全員に対して「このひとたちは、家族がいて、帰る家があっていいなあ」という気持ちが込み上げてきて、こっそり泣いたりしていたっけ。いつでも砂を噛むような孤独で、たとえではなくずっと目の前が真っ暗な日々だった。

前述のジャンルの本について、今は「最近はどんなのが主流なのかな?」と興味本位で本を手に取ることはあるけれど、なにかやだれかにガッツリはまってそれを追いかけたりはしない。なんとなくだけれど、わたしの中で「要するに、こういうことだよね」という、最適解が定まってきたからだろう。それは、


わたしの「最適な状態」の定義として
”やりたいことをストレートにやれる自分”であればオッケー。

わたしの「子育ての成功」の定義として
”いろいろあったけど、あんな親だったけど、結局のところ自分は愛されて育ったんだな”と、子どもたちが人生のどこかで思えればオッケー。

そして、わたしの「自己受容」の定義としては、
なんとなく毎日、”この地球に、わたしがいてよかったね!”と、ちょっとふざけた感じで、ちゃらくておどけた調子で、思えるようであればオッケー。


ということだ。

だから、なにか自分の習慣を変えたりとか、学んだりよくしたいと思ったりした時、それがわたしにとって「最適な状態」に近づけてくれるものは大事だし、それ以外は大事じゃない。

子育ても、目先の小さなことで迷ったりまちがえたり後悔したり、するけれど、子どもたちが大きくなったときに、自分の子ども時代を振り返ってみて「なんだかんだ言っても、結局 わたし / おれって愛されてたよなあ。あの親なりに」って思えるベースとなる思いは一貫して変わらずに、伝えられていればそれでおおむねオッケー(だいぶゆるいでしょ)。

そして、きっとだれしも「こんな自分いない方がいいんだ」「生きててごめんなさい」みたいな気持ちになった夜もあっただろう。けれどそんな夜を超えて、夜が明けて、ピカピカした朝日に洗われて生まれ変わって歩んでいく、その営みを何度も何度もくり返したある日、ふと思うのだ。

この地球に、わたしがいてよかったね、と。


そうなったらもうこっちのもの。なにも怖くはない。やることなすこと、自分の楽しみだし、みんなの喜びだ。君もたのしい。僕もたのしい。君もすてきで、僕もすてきだ。なんてったって、自分はこの地球の、宝なのだから。


それが今のこの瞬間のわたしの、最適解。



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