0974.わたしの身体はなにをすればご機嫌に輝くのかな
こんなこと今までにはじめてのことなんだけど、「noteを書く」という日課を、すっかり!忘れて、ぬくぬくとお布団に入って寝かけていた。
ふと「あれ?今日note書いたっけ?こんなになんの違和感もなくベッドにいるということは、書いたんだよ……ね?」と思い立ち、にわかに冷や汗が出てくる。
いや、書いてないよな、と。
い、今って何時?もしや日付が変わっていたり?と。
早めに布団に入ったおかげで気づいたのが22時台だったので、本気ではぁーーーっ!とため息をついて、現在に至る。
え、なんだろう、ホントにはじめてなんだけどこんなこと。「いちにちも欠かさず、毎日」というのはなかなかに緊張感を強いられることなので、ある意味ではずっと緊張しながら3年近くを過ごしているわけで、なんか良くも悪くもやっと身体がゆるんだのかもしれないね。
それにしても、あああ、びっくりした。
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先月末頃から今月あたまにかけてのあまりの体調の悪さに辟易して、まずはあやちゃんの助けを借りて「漢方」をはじめた。で、体力ダダ落ちなのも考慮して、数年前の富士登山からすっかり遠ざかっていた「登山(というか低山ハイクか)」がわたしの人生にふたたび現れている。
で、体調の悪さって、おもにぜん息と消化器系の不全感なので、とてもとても残念なことではあるものの、思い切って「アルコール」と「肉食」を意識的に減らしていく、という方向に舵を切ることにした。
自他共に認める「お肉&お酒Lover」なもので、肉食を控えるって……いったいなにを食べればいいの!? とどぎまぎしている。子どもたちも食べざかりだし、どうしてもコスパ的にお魚よりお肉のほうが使い勝手がいいわけだし。
ちょっとまだ最適解が見えない食生活のシフトチェンジなのだけど、マジで「体調が悪くって」というnoteでのくだりにうんざりしているので、結果を変えるには原因をみていくしかないってことで、やってみているところ。
自分を使った実験はきらいじゃないしね。
わたしは、ただ健康になりたいだけじゃないのだ。
自分の身体を、自分の住まうおうちを愛でるように愛でて、快適にして居心地よくていねいにメンテしてあげることで、生まれる「なにか良きもの」を目撃しようと思っている。
リビングのインテリアを整えて、いつでもテーブルをピカッと拭き上げて、元気な観葉植物とかわいいお花を飾っていたら、リビングから愛があふれてきらきらと輝きだした。その輝きは、当たり前のようにわたしと家族を照らした。
みんながそこでくつろいで、おいしいごはんを食べて、エネルギーをチャージして、それぞれ別な場所で、それぞれの人生を生きているのがよくわかる。
だれにも顧みられないおうちや、お部屋は、どこか物悲しくさびれている。
親にちっともかまってもらえない子どもが、なんとなく荒れた雰囲気をまとうのと似ている。
順番はどうあれ、わたしはここ数年、改めて「住居・住まい」に手間ひまをかけてエネルギーを注いできた。住居・住まいは、その注いだエネルギーの何倍もの「なにか良きもの」を、住んでいるわたしたちに還してくれているのを感じる。
それを、「からだ」にはやってこなかったな、と思ったのだ。
わたしの心と魂が住まう、神殿である「からだ」についても、家具をすみずみまで磨き上げるように、いつでも窓を開けて新しい風をとおすように、そして毎日お花を飾って、植物にお水をあげるように、そういうふうに接してみたいと思っている。
それは、「体重をあと○キロ落とす」とか「ウエストをあと○センチしぼる」とか、そういう、むりくり身体をどうにかしようとするアプローチとは、きっと真逆だろう。
大好きな彼女に、「あと○キロ痩せろよ」とか「もっとウエスト引き締めてよ」とかいうやついる?いねえよな? いるとしたらお前が大好きなのは彼女じゃなくって、ただ自分(の欲)だろ?
ってことで、この神殿であるからだ、に対してお肉ばかり献上していてもあまり喜んでいただけないどころか、うっすらと悲しげな雰囲気になってきたので、いろいろアプローチを変えることにしたのでした。
サッカーのせいでの夜ふかし……は、喜ばれてない気がする。
月2回の登山……は、喜ばれている気がする 笑。
わたしの身体は、なにをすればご機嫌に輝くのかな?って、考えているところである。
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