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民話で独りコラム~わからない昔話~


 こちらの記事で読んだのですが、今、子供向けの昔話や民話の本が売れない理由が、話の中にある言葉が今の子供達には理解できないためだそうです。

 そりゃ、分からない単語が連打で出てくるような話だと、読む気も消失しますわな。下手すると何かの外国語にチャレンジしているぐらいの気力体力を使うかもしれない。


 昔話を読むのに、そんなにエネルギー使えません。


 こうなると、カテゴリーはただただ、読みたいから読むという「娯楽」から、いつかの自分のためにという「自己啓発」?系の本になりますかね。

 うん、子供向けの昔話が「自己啓発」の棚に並んでいたら、私も棚から取り出す手が震えてしまうかも。



 先日、現在20代ですり鉢を見たことがない、知らない人が結構いるという話を聞いて驚愕したのですが、よくよく考えたら子供のころ家に無かったら、よほど本人が食に興味がない限り、自分の台所に買いそろえることないかもしれない、そしてそれを自分の子供に伝えることもないだろうと。

 そして、そのように、もう家からなくなった、毎日の生活から消えて行ったものが多すぎて、言葉だけが残ったけど、そのような言葉は遅かれ早かれ、淘汰されるのかと思うと何とも言えない寂しさがあります。
 言葉は文化そのものですから。

 子供の頃の、食卓の記憶って結構鮮明に残っているんですよね。そして、その記憶が懐かしい私は台所にもかなり日本の台所用品をもちこんでいます。すり鉢どころか、ご飯を炊く土鍋、普通の土鍋、お櫃に鉄瓶、寿司桶、蒸籠と日常的にガンガン使います。電子レンジがないので、蒸籠は必需品。

 ということで、下手するとうちの子供たちはこれが普通の日本の台所だと思っているかもしれない。


 うん、普通かどうかは何とも言えないけれど、昔話を理解する分には全く問題ないと思う。つい最近まで、カラトリーというカタカナを知らなかった母でも、昔話を理解できてたぐらいだから・・・。

 

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