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【民話ブログの民話】 おれの玉は湿っている

 天高くを悠然と揺蕩うように泳ぎ飛ぶ龍はその手に宝玉を握っていて、龍というものは大体がそうやって宝玉を携えているものらしい。

 この世界のうちのある領域を治めている龍もやはり手に宝玉を握っているのだが、この龍はそれについて悩んでいた。

「おれの玉は、どうも湿っているな……」

 数千年に一回位の割合で、他の龍とすれ違う事がある。果てしなく広大な世界の中では大変に珍しい出来事ではあるが、龍の寿命もまた果てしなく永遠に近いものであるから、彼が自己の存在を認識してから幾度かは同種族との束の間の邂逅があった。
 しかし超然とした龍たちの中でも彼は無口な方で、また性格もとくに内省的だったので、他の龍とは言葉も交わさず、ただ横目にその姿を眺め、互いに無言のまま行き過ぎるだけであった。
 ただ、そこで彼は気がついた。他の龍もまた自分と同じように宝玉を手に握っており、それは瑠璃色だったり金色だったりと色はそれぞれに違うのだが、大体が同じような形状や性質のようで色以外にはこれといって個性もないように見えた。ところが自分のものだけは他とは違っている。

「おれの玉だけが、いつも湿って濡れているようだ……何故だろう」

 自分の玉は常にしっとりと湿り、ときには露が滴る様にまでなり、彼の手をいつも濡らしている。その事を意識するようになってから、他の龍とすれ違うときには注意深く、いつも彼らが携える宝玉を観察している。しかし彼らの玉は一様に乾いているのだ。長い指や鋭い爪の間から漏れるように滴が落ちる事もなさそうである。

 ……何故なのだろう。
 どうして自分の玉だけは、いつもこうして湿っているのだろう。

 その事を考え出して以来の永い時を、彼は本当にその事だけを考え続けた。
 数千年に一度の割合ですれ違う他の龍に問うてみようかとも思うのだが、やはり言葉をかける決心はつかず、そもそも龍という種族はあまりにも超然として互いに交流を持つものでないようで、また「おれの玉だけが湿っているようなのだが……」などと唐突に声をかけ相談までするという芸当は、内気な彼には到底出来やしない。
 だからもう数万年もの間、彼は自分の玉の湿り具合だけを気にして天高くを孤独に漂っていたのだった。

「おれの玉は、やはり湿っている……」

 そうやって龍が考え思い悩み続けている悠久の時間のうち、彼が治める領域の人間達は日照りや干ばつ、不作による飢饉に見舞われ、大いに苦しめられる、そんな事は何度でもあった。そんなとき人々は天を仰ぎ祈った。
 天の龍に、人々は雨を乞う。
 この世界において龍というものは基本的にはただ空を漂っているだけなのだが、存在としてはやはり神に近く永劫に連なるものであり、信仰の対象であったのだ。
 
「おれの玉はいつでも湿っている……」

 ところが龍の意識はその事だけで一杯で、遥か眼下の地表をうごめき回る人々の願いなど当然入ってこない。彼らの祈りに応えて恵みの雨を降らす事は一切なかった。
 ただ湿りきった宝玉からは、ときおり雫が勝手に滴り落ちて雨となり、結果的にいつまでも日照りが続くような事はなく、それで人々は豊かとまでは言えなくとも何とか生き長らえ続けた。
 数万年の間に幾つかの村は滅び、生き延びた人々によってまた新しい村が出来る。それが何度でも繰り返された。その間も龍はとくにそれに関心を持つわけではなく、やはり宝玉の湿り具合だけを気にしていた。

「どうして湿っているのだ……」

 しかし未来永劫に続きそうなこの状態にもやがて転換が訪れる。
 それは数百万年、いや数十億年に一度の割合で人々の中から現れる英雄、ある地方の宗教では「転輪聖王」と呼ばれる、選ばれし者によってもたらされた。
 龍が自分の領域で一番高い山の近くを通ったとき、その山頂で瞑想し彼を待ち受けていた転輪聖王に声をかけられたのだ。
 人間、あるいは他のどんな種族、たとえ同族の龍であっても、自分に声をかけてくる者などは稀である。少なくとも、いま彼が遡れる、永劫の年月ですっかり錆びついた記憶の中にはない。そもそも遥か雲の上を泳ぐ自分という存在を、人間という小さな生き物が正しく認識出来る事自体が驚きであった。
 しかし転輪聖王は龍をその場に呼び止め、さらに数万年続いた彼の疑問を解決、とは言えないまでも、それにより煩悶する事をついに止めさせてしまった。

「……玉は湿っているが、それでもよいのか?」

 転輪聖王は、龍の持っている宝玉を少しだけ借り受けたいのだと言う。続けて曰く、この世界ではいつしか陰陽のバランスが崩れ、自分にはそれを正すための使命があり、その為に宝玉の持つ力を借りる必要があるのだと。
 この人間の言っている事は真実であると、龍にはすぐ分かった。そして口をついて出た言葉が先ほどの問いかけであった。自分の玉は、他の龍のものとは違い、いつも湿っている。それでもお前はそれを借りたいのかと、龍はつい直截に問うてしまった。
 龍が言葉を発する事自体、じつに何千何百万年振りであり、龍自身も正確には思い出せなかった。それでも永年にわたる彼の煩悶が、言葉をごく自然に発せしめるのだった。

「湿っている……それがよいというのか」

 これまで八つの領域を回り、そこを漂う龍にそれぞれ宝玉を求めた。しかしそのどれもが自分に必要なものとは違っていた。世界の陰陽の調和を乱している元凶の魔王なる存在を打ち砕く光刃の力、それを解放する為に、常に湿り続ける彼の宝玉がどうしても必要なのだと転輪聖王は言う。

「おおおお……たしかにおれの玉は湿っている……それが、よいのだな」

 気がつけば龍は泣いていた。
 その涙は両の眼から二筋、果てしなく長い水流のように天を流れ、やがて地に降っていく。
 龍が泣きながら山頂に置いた宝玉を前にして、転輪聖王は何やらマントラを唱え、それから古びた剣を頭上に掲げた。必要な儀式はそれで終りだという。思いの外あっさりとしたものだった。おかげで魔王を討ち滅ぼす事も叶うだろうと転輪聖王は厚く礼を述べ、足早に霊山を下っていった。
 しかし転輪聖王の魔王退治、後の世に語り継がれる壮大なる英雄譚なども、この龍にとってはどうでもよい事であった。
 自分の宝玉の湿りが認められた、ただそれが龍にとって激しく喜ばしい事であり、それだけが重要であった。
 そして龍は泣き続けた。
 遠い遠い、もはや遠すぎる原初の昔にも、どうやら泣いた事があるような気がした。止めどなく涙を流しながら、すっかり忘れていた感覚が彼の中でよみがえった。

「おれの、おれの玉は湿っているぞおお!」

 ひとしきり泣いていると、それに呼応するかのように宝玉もまた湿り気を増した。雫がしたたり、それが彼の手をしっとり濡らす。その感覚をいまや好ましく思う気持ちにも応えてか、宝玉はさらに湿っていく。
 随喜の涙を流し、龍は咆哮を上げて空を飛び回る。
 戯れに、これまでほとんど見向きもしなかった地表に目をやると、小さな人間たちが雨乞いの祭事をしている様子が見えた。

「雨など、いくらでも降らせてやろう。おれの、この湿った玉で……!」

 龍は張り切って、この地に雨を降らさんという意思を持った。途端に宝玉はいよいよ凄まじく湿り、もはや滝のような雫が集中豪雨となって地表に降り注ぐ。さらに彼が流し続ける涙もそこに加わった。
 結果として広い大地をすべて洗い流すような大洪水が起こり、この龍が治める領域に留まらず、世界の多くの部分が水に沈んだ。
 もちろん多くの人々もまた水に沈んだのだが、高い山脈に逃れた者たちはそこに新しい村を作り、また巧みに船を操り、海洋の民として、しぶとく水上に生きる者たちも現れた。

「湿っているのがよいのだ……」

 天を飛び泳ぎ、龍はまだまだ雨を降らし続ける。
 湿った宝玉の力を借りた転輪聖王は、その命の大半を費やし、ついに魔の王を打ち倒す。世界に陰陽の調和を取り戻し、ようやく故郷の村に帰り着いた頃、彼の生まれたその地は大水に沈まんとしていた。
 どのような事態になっているのか、転輪聖王たる彼には推測がついたのだが、神秘の力も使い果たし、すっかり衰えた肉体の彼には、天高くの龍にいま一度呼びかける事も叶わず、止まない雨がいつまでも降りしきる。これも世界の定めなのだろうと老いた転輪聖王は独り言ち、村の若者が造った箱船に大人しく乗り込んだ。その船上で彼は息を引き取り、現世を生きる人としての天寿を全うした。
 
「……たしかに玉は湿っている」

 さらに永劫の年月が過ぎ、この龍の衝動や玉の湿り具合もさすがに落ち着き、激しい雨をいつまでも降らし続けるという事もなくなった。それでも彼の握る玉はずっと湿って乾くことはない。
 やはり数千年に一度の割合で、自分の領域の境目近くで他の龍とすれ違ったりもし、そのときには相手の持つ宝玉を伺い見る。その癖は彼に残った。他の龍たちの宝玉は、やはり湿ってはいない。あくまで乾いている。……自分の玉だけが、いつも湿っている。
 しかし以前の様にそれを気に病んだりはせず、むしろ湿っているのが誇らしかったりする。とはいえ、この龍は基本的には内気で、また龍自体が超然とした性質のものなので、やはり言葉を交わしたりはしない。互いに無言のうちにすれ違うだけである。

「……おれの玉は湿っている」

 ただそうやって、自分の玉の湿りを確かめている。そんな時間と意識の流れだけが不変として龍と共にあり、はるか天高くを永劫に漂っているのだった。


おわり

以上は、隣で眠っている家人の、何故か常に湿り気のある眉間やこめかみに何気なく手を置きながら『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』の攻略記事をスマホ検索してたら思い浮かんだ民話である。ある意味で実録だし、深夜一人でこれを書いている内に自分の中で激しく民話あるいは神話めいた気分にもなってきた。しかし最後までうっかり読んでしまって首をかしげている人に関しては……諸々ご容赦ください。シリーズはまた続くかもしれないし、続かないかもしれない。悪しからず。

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