グライアイ

レトロ喫茶にいたゴルゴンの姉妹たち (北区某所)

昨日はすこし遅い時間の昼食に。フラフラと出歩いた先、寂れかかった商店街に、これまた朽ちかけたような喫茶店を見つけた。
そこで私は、ギリシャ神話の怪物と遭遇した。以下は、ランチを巡る冒険の記録である。

まず表の看板に出ていた回鍋肉セットに目を惹かれた。レトロ喫茶でランチに回鍋肉。これは面白い。朝から孤独に腹が減っていた。そんな井之頭吾郎気分で入店。

店のなかは、その長い歴史と家庭的雑然さが渾然となっている。それで結果的には小学校のときに行った友達の家の台所周りとか、だらしないので有名な親戚の家のリビング、そういうような感じに仕上がっている。

「ランチのAください。表に出てた回鍋肉セット」

「あっ、ごめんなさい。ご飯もう終わっちゃって」

がーん。……まあ仕方ない。しかし頭が完全に回鍋肉とご飯になっていたので、ちょっとフリーズする。

「じゃあ、他に(食べるもの)ありますか?」

「……あっ、ピラフだったらなんとか一人前は」

私はあまりピラフを食べない。ラーメン屋に行ってチャーハンを注文することもない。特にこだわりがあるわけではない。なんとなくそうしている。限りなくどうでもいい個人情報だろうけど。

「そしたら、このカルボナーラを」

そんなわけでパスタ。サンドイッチはなんか違った。本当はハンバーグがいいと思ったが、セットのご飯がないし。
注文をとってくれた中年女性が厨房スペースに行ってオーダーを伝える。そこに座っていたおばあさんが動き出す。すこし腰が曲がっている。こんな感じのお店、結構あるよなあと、これまで訪れた喫茶店や定食屋などを懐かしく思い出す。

「……いいのよっ。ご飯もうないんだから『ご飯ありませんから』で。そう言っちゃえば、それでいいの」

……え、なんだ。なんつった。どうやら調理担当のおばあさんが、中年女性に文句をつけている様子。私にピラフを提案したことが気にくわなかったようだ。かなり剣呑な口調。なんか感じよくないぞ。

「ねえ、いま何時よ?  あら、もう一時過ぎじゃない。そんな時間にご飯なんかないんだからさ」

一時過ぎというのは、たしかにランチには少し遅いが、そこまで批判されるような時間なのだろうか。まだ表の看板にデケデカと出ていたわけだし。おばあさんの不機嫌そうな口調。それがトゲのように心に刺さる。私が直接文句を言われているわけでないにしても。そしてピラフ頼んでもないんだぜ。いよいよ感じが悪い。一瞬、怒りがわき出る。でもそれはすぐに引いて、ただいたたまれない気分になる。所在なくメニューなど眺める。

「あれ、ないわねえ。どこいったのかしら? ねえ、あれ知らない?」
「なんですか、あれって」
「ほら、あれよ〜。チーズ。これに使うじゃない。ないわね〜。そうだ、普通の粉チーズはある?」
「あー。それなら、ここに一つ」

調理をしながらの二人の会話に、やや不安も覚える。それにしても声がデカいよ。こっちに丸聞こえだよ。

「……はい、どうぞ」

やがて料理が運ばれてくる。心なしか中年女性の機嫌が悪く、さっきと比べて態度もつっけんどんになった気がする。えー。私はそんな悪いことしたのか。……なんか、すいません。
まず付け合わせのサラダ、それからパルメザンチーズ、あと牛乳瓶のような大きさのタバスコの瓶が、テーブルにどす、と置かれる。

そしてカルボナーラ。
……なんだか想定していたものとちょっと違う。でもパプリカとか大きめのベーコンとか入っている。そもそも生クリームとチーズでトロっというかゾルっとしてるようなのは「日本式」らしい。すると意外にこれは本格的なカルボナーラなのか。まさかの本場の味なのか。
(写真などは撮っていない。とても腹が減っていた)

そして一口。

……む、これは。

味が、しない!

なんというか、圧倒的に味が足りない。塩分が。本場のカルボナーラはこうなのか? という考えが一瞬脳裏に走るが、たぶん違う。だってイタリアン油と塩と炭水化物でああ美味しい、っていうジャンルでしょう。ある意味で貧乏舌万歳グルメ。(イタリア人及びイタリア好きは怒るだろうか)

そうだな。これはきっと本当に味が足りない。さっき「チーズがない」みたいなこと言ってた。その影響かもしれない。いま卓上にあるパルメザンで誤魔化して作った? それか単純に塩。塩分かなり控え目。とても身体に優しい仕様になっている。もしかして健康を気遣われたのか。いや、そこまでの年齢には見えないはずだ。とてつもなく太っているわけでもない。

まるで病院食で出てくるような、卵とじ炒めみたいな味わいのパスタ。

腹が減っていたから、それでも黙々と食べ進める。卓上のパルメザンをたっぷり振りかけて味を補強しようとしたけど、やっぱりなにか足りないような……。塩分とか旨味とか……。

そして私は、ある発見をすることになる。

皿の底に髪の毛が二本ばかりへばりついていた。

……どちくしょおおおおお!! 朝飯ぜんぜん食ってなくて、どれだけこのランチにおれは期待を、おれは、おれは……!

メロスは憤怒した。必ず、かの邪知暴虐の飲食店を除かねばと決意した。

そんなわけで私はメロスとなり怒った。

さて、この大変に残念な喫茶店の場所は? ズバリ店の名前は……!?

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……なんていうことにするわけがない。
まず誰も買わないだろうし。それに実際には憤怒などしていない。メロスでもない。

まあ、そういうこともある。それだけのことだ。

こういうレトロな、それも食べログ情報もないような小さな飲食店に入る際には、かなりの逡巡を経て、それでも覚悟を決めているわけです。誰のせいでもない。すべて己の決断ですよ。だから、これはこれとして風情を楽しみつつですね……。
私は自分を慰めるように心で独演会。題目は「孤独なランチ」。

「……さっきも来てた、あの社長さん? いつも来るけどさあ。実際なにやってるのかしらね〜」

「さあ、どうでしょうねえ。なんだかちょっと普通じゃないような……」

「でしょう。そう、そんな感じよね。普通と違う。細かいとこに出るのよ。そういうの」

厨房から聞こえてくるのは、常連客の噂話。もしかして悪気はないのかもしれないが、傍で聞いている分にはすごく悪口ぽい。それに環境音楽の薄いジャズとテレビから聞こえる郷ひろみの歌声が混じり合う、そんなBGMで私はいたたまれぬ昼食を終えた。食後の珈琲をどうするか迷う。

「あの社長はっ、○○○で×××だからっ!」

さっきから話している二人とは別の声が、厨房のさらに奥から聞こえてきた。位置的に私からは死角になっている。声質から判断して、調理担当のおばあさんよりもさらに高齢のようだ。なにを言っているのか、はっきりとは聞き取れなかった。

「だから、○○が××で、△△っ!」
「そうね、そうよね。そうそう。ねえ?」
「ええ、ほんとに」

どうやら最年長の老婆を頂点にした力関係があるようだ。口の悪そうな調理担当が、すこし大人しくなった。

これは、ゴルゴンの三姉妹……?

急に頭にその単語が浮かんだ。

ギリシャ神話、たしかペルセウスの物語に出てきた怪物めいた三姉妹。あとゲーテの『ファウスト』にも出てくる。手塚治虫のマンガ版で見た。
彼女たちは生まれつき老婆で、三人で一つしかない目玉と入れ歯を共有している。恐ろしげな廃墟とか洞窟で暮らしている。そこをペルセウスもしくはファウストが訪れ、三姉妹は共有物を奪い合って騒ぎを起こす。来訪者を確認するにも、言葉をかけるにも、目玉と入れ歯が必要だからだ。彼には目的があり、彼女たちから情報を引き出す必要があった。彼は一つしかない目玉と入れ歯を奪いとって、三姉妹を脅す。それによって情報、さらに何かアイテムを手に入れる。

なんだ、こうして書き出すとゴルゴン三姉妹はかなり可哀想だ。ペルセウスは、かなりひどいことをしている。その略奪行為の後、英雄は怪物を倒しに行くわけだ。でも、ここら辺がちょっとうろ覚え。気になってスマホで検索したら、倒すのはメデューサだった。蛇の髪の毛と石化視線を持つ、超有名なゴルゴンの怪物である。
それから「ゴルゴン三姉妹」とは、正確にいえばメデューサと他二人のゴルゴン属からなる姉妹を指すらしい。目玉と入れ歯の三姉妹は「グライアイ」という別の三姉妹だった。でもメデューサとも姉妹関係らしい。だから「ゴルゴン一族の姉妹」ではあるのか……ややこしい!

そういうわけで、ちょっと勉強になった。思わぬところでギリシャ神話の知識が補強された。それで元は取ったと思うことにしよう。こういった古いレトロな店を、ゴルゴン的な三姉妹(たぶん血縁じゃないだろうけど)がゴルゴン的に切り盛りしている。あくまで個人的なイメージだけど、一見すると営業しているのかすら怪しい店に突入してみると、よくこんな感じになっているような。それで意外にお客は来るし、経済が回っていたりする。そういうゴルゴン生活があるのだろう。

神話的に強引に満足して、お会計。
ゴルゴンじゃなかったグライアイ三姉妹の次女がレジに立つ。長女は姿を見せず、三女も買い出しに行ったかパートを上がったらしい。

「あら涼しそうでいいわね」

私の足元を見て、グライアイ次女が言った。近所だったので、雪駄履きだった。今日は暑い。どうやら共有の目玉と入れ歯は、いま彼女に装備されているらしかった。

「どうも、ありがとうねえ」

さっきまで厨房から聞こえてきた声とは打って変わって、愛想のいい接客用の声色で送り出される。入れ歯の効果かもしれない。私も愛想良く「ごちそうさま」と返して店を出る。

その瞬間、被害妄想が頭をよぎる。

「……ねえ、さっきの客。雪駄履きでねえ。きっとマトモな人間じゃないわね。遅い時間に来て、まだご飯あると思って」

私が店を出た後、そうやって彼女たちは再びグライアイのように騒ぎ出しているのではないか。

……まあ、いいか。

私の背負っているリュックには、この店で唯一のストックであろうパルメザンチーズ巨大なタバスコの瓶が入っていた。

パルメザンチーズとタバスコは店に一つだけ。パスタを注文すると各席で共有されているものだろう。調理自体にも使っているかもしれない。必要不可欠の品々である。あたかもグライアイ三姉妹から目玉と入れ歯を奪ったペルセウスのように、私はこの二つを店から持ち去る。
このアイテムを三姉妹から盗み出すことによって、私は伝説の怪物を打ち倒すことが可能となり、宝物と美姫を我が手中にする。そして英雄王として末代まで語り継がれるであろう。北区あたりで。神話の再話性。これは普遍のテーマである。

……なんて、まあウソですよ。分かってると思いますが。

そんな意味のない犯罪はしない。いまのところ。
粉チーズとタバスコはそのままテーブルの上。あとフォークとかスプーンも、もちろん盗んでない。
ちなみにお代は900円だった。食後の珈琲はつけなかった。つけると普通に千円超える。ここら辺でこの価格帯はちょっと高くはある。私の懐具合は寂しい。それにコスパが……。こういう小さい個人店で満足させられることも多いのだが。

……しかしなあ。もしかしたら、ご飯が終わっちゃったランチセット、そっちはお得なのかも。近所の人も通って来てる様子だし。ああ、回鍋肉とご飯……。それにハンバーグ。やっぱり食べてみたい。

散々ケチをつけるようなことを書いたが、またこの店を訪れることになるやもしれぬ。そこでギリシャ神話に再挑戦。日常生活の冒険だ。

私は懲りない男だ。まるで英雄のように探求心がある。それがランチを迷わせる。


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