道の駅のうどん屋で「正義」について考えさせられた(4)
「おのれライダー、これでも食らえ。シャー!」
「お前も少しはやるようだな、イグアナ男」
おれの親友の榎木であるはずのイグアナ男と仮面ライダーは、道の駅に併設されたイベントスペースで壮絶な格闘戦を繰り広げていた。
文字通り血反吐を吐きながらフードコートから這い出たおれは、彼らを追った。そして群衆の足の間から、その戦いをただ見守っていた。おれにできることは、それしかなかった。
「……いまだ、ライダー! とどめを!」
いまや熱狂の渦にいる観客の声援。戦況はいつしか完全にライダー優勢になっていた。
善戦虚しく、すっかり疲弊しているイグアナ男。これまで蓄積されたダメージが膝にきているのか、ふらついて隙だらけだ。
「……いくぞ、必殺」
充分なタメをつくり、ライダーは空高くジャンプした。
まさしく宙に舞い上がるという表現が相応しい。さっきのおれのドロップキックなど、もちろん比にならない。そのシーンでは、重力の存在など忘れ去られているかのようだった。
「……ライダーァァァ、キィィィック!!」
ライダーは空中でくるりと一回転、そこから一直線に錐揉み落下する。
まるで流星のような、必殺のライダーキック。
それがイグアナ男に直撃した。
「……ニ、ゲ、ロォォォォォ!」
断末魔のその叫びとともに、イグアナ男は爆散した。
イグアナ男の最期を、おれはただ眺めているしかなかった。テレビのなかで何度も繰り返されてきた、悪の怪人がヒーローにやっつけられるシーン。いまや現実感というものはすっかり失われていた。
ただ、気がついてしまった。
イグアナ男は、いや幼なじみの榎木は、その最後の瞬間、おれに向かって叫んだのだ。「逃げろ」と。そのメッセージが自分に向けられたものであることは間違いなかった。
「ありがとう。すごいぞライダー!」
天からスコールのように降り注ぐ、榎木の肉片と血潮。それを浴びる群衆は恍惚の表情を浮かべ、ライダーの活躍を口々に褒め称えていた。
賞賛の嵐のなか、ライダーはステージ上で勝利ポーズを決めている。
「お父さん、ライダー格好いいね」
西武ライオンズの青い野球帽を真っ赤な血糊で紫に染めた少年が、目を輝かせて隣の父親に言う。
「そりゃ正義の味方だからな」
父親は出店のタコ焼きを頬張りながら、満足そうに答える。タコ焼きには紅生姜がたっぷりと。だが紅生姜だけにしては赤過ぎた。
「ほら、ティアラ。ライダーにお礼いいな」
「ありがと〜」
「マジ最高。あんたハンパねえよ」
あのクソ野郎とヤンママ、それに女の子がステージに上がり、ライダーに駆け寄る。悪の怪人から無事救われた、善良で仲睦まじい一家としての振る舞い。幸せな三人家族として、これからも生きていくのだろう。
「……悪は、滅びるのみ」
ライダーには勝利ポーズと台詞のバリエーションが幾つかあるらしく、それを順番に披露している。そのポーズが決まるたび観客のスマホが向けられ、バシャバシャとカメラの撮影音が辺りに響く。
「……いまのうちです。さあ、行きましょう」
いつの間にか現れたうどん屋の店主が、茫然自失状態のおれを引きずり起こす。なるだけ目立たぬよう、フードコートの建物に連れて行かれた。
「とりあえず、ここへ」
店主によって、うどん店の調理場の片隅におれは匿われた。外からはうまい具合に死角になっているようだった。
人々はいまだ熱狂のなかにいて、イベントステージのヒーローに夢中のようだ。フードコートに人の姿はほとんどなかった。
いまだショックから覚めやらず、ただ呆然としていた。そんなおれに言い含めるように店長が言う。
「こうなってしまったら、もうどうしようもないんです」
それは一体どういうことか。こうなったとは、どうなってしまったということなのか。わずか数時間前、おれと榎木はこの店でうどんを食べていた。それなのに。
「お友達は、本当に残念でした」
さっき目の前で爆散したイグアナ男は、やはり榎木ということらしい。
まるで現実離れした白昼夢のようなあの瞬間。榎木の断末魔が耳に蘇る。「逃げろ」
「とにかく、いまは逃げて下さい」
太った店主は、榎木と同じことをおれに言った。なにから逃げろというのだろう。そして、どうして逃げなくてはいけないのだろう。
「……まだ仲間がいたはずだ。探せ」
おれを探しているらしい声が外から聞こえてくる。それからフードコートに何人かの市民が群をなしてなだれ込んできた。
戦国時代の落ち武者狩りは、こんな感じだったのかもしれない。本や映画で見たようなシーンだ。そして狩りの対象となっているのは、どうやらおれらしい。なだれ込んできた市民のなかに例のヤンママとクソ野郎がいて、盛んになにか喚いている。
ここで見つかれば、おれも殺されるということか。榎木の顔が思い浮かんだ。……むざむざ殺されるわけにはいかない。なんとしても生き延びなければならない。
「この場は、わたしがなんとかします」
「いや、あんただって」
追われているおれを匿ったことが露見すれば、この店主もただでは済まないはずだ。
「いいから、急いで」
「……いたぞ、あそこだ!」
「さあ、ここから外に出られます。早くして」
太った店主はその体格に似つかわしくない機敏な動きで床の隠し戸をこじ開け、そこにおれを押し込んだ。戸を閉めるとき、その場にひとり残る店主は言った。
「いつもうどんを食べにきてくれて、ありがとう」
地下通路を抜け、なんとか脱出に成功したおれの背後、フードコートの建物から、うどんを茹でる大鍋が倒れ、調理器具が固い床に落ちたような音が鳴り響いた。
続けて得体の知れない動物のような唸り声、そして怒号、悲鳴、爆発音。阿鼻叫喚の騒ぎが、そこで巻き起こっているようだった。
「来てくれ。あのうどん屋も怪人だ」
「ぐぉぉぉぉん……」
「こいつ、アルマジロ男よ!」
「やっちゃえライダー」
「すぐに殺して! 気持ち悪いから」
「トゥッ! ライダー、見参」
おれは動かない身体を無理やり引きずって、少しでもその場から遠く離れようとした。なんとか近くの河川敷に辿りつき、生い茂る草のなかに身を隠した。
全身が痛み、疲弊している。体力は限界に近い。そして追っ手はきっとやって来る。状況は絶望的なものに思える。しかし、なんとしても逃げ切らなくてはならない。
汗か涙か血か。
自分でもはっきりしない液体が、おれから流れ出ていた。
——これが数年前、道の駅のうどん屋で起こった出来事だ。
幼なじみの榎木は、どうやら悪の怪人イグアナ男であったらしい。いつからそうであったのかは分からない。いずれにしても、榎木はおれの大切な幼なじみで親友だった。それに変わりはない。いつも穏やかな、いい奴だった。死の直前、榎木はおれに「逃げろ」と言い残した。
うどん屋は、アルマジロ男だったようだ。でも、それがなんだというのか。彼は自分の仕事をまっとうしていた。その店に行けば、いつも美味いうどんを食べさせてくれた。太っている彼は食べることが好きだったのだろう。その楽しみを客にも分け与えていた。そんな彼も、もう殺されてしまったに違いない。
おれにとって掛け替えのないものを、正義の味方ライダーが無慈悲に打ち滅ぼした。そして人々はそれを称賛した。
満身創痍のおれは、その地獄から辛くも逃げおおせた。善良な市民からなる残酷で執拗な追っ手は何度もやってきた。しかしそれを振り払った。
そうできたのには、理由がある。
「正義とはなんだ」
「正義の味方とはなんだ」
わき上がるその疑問、直面した現実の理不尽さへの激しい怒り。その想いに打ち震え、この身を任せた。怒りや憎しみ、そして哀しさ。それらの負の感情が一体となっておれの脊髄を走った。……稲妻に打たれたような衝撃。目が覚めるような感覚。おれは瞬間的に確信、そして理解した。奴らと自分は決して相容れぬ運命にある。そして組み込まれていた因子が完全に覚醒した。肉体にもその徴が現れた。メタモルフォーゼが引き起こされる。
……その瞬間、おれの背中から、肉を食い破って漆黒の翼が生えてきた。
コウモリのようなその翼で、おれは空に逃れた。夕闇に紛れ込むようにして、生まれ故郷の街から再び逃げ出した。
それからは日の光を避け、深い森に隠れ棲んでいる。暗い洞窟で逆さ吊りの浅い眠り。夜に差し込む微かな月の光だけが、いまのおれの慰め。
こうした惨めな暮らしも、いつの日にかライダーを倒すこと、そして奴らにその意味を問うてやること。そのためにある。いくら悪の怪人と蔑まれようが、非道な秘密結社にこの身を売ろうが、なんにでも耐えてみせる。
呪われた怪人コウモリ男として、いまのおれは生きている。
おれは自ら望んで改造手術を受けた覚えはない。ただその因子に目覚めさせられた。その結果として人の世で異分子とされる怪人と化した。殺されたイグアナ男とアルマジロ男。あの二人だって、きっとそうだったに違いない。世間と相容れないその因子を、ただ人より少しばかり多めに持っていた。それがある切掛で目を覚ました。それだけのことじゃないのか。
……それは、悪なのか?
いま一度、おれは問いかけよう。
正義とはなんだ?
あの道の駅で、榎木とあのうどんを食うことは、もうできない。
了
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