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感情との乖離

スケッチを始めて9日目。一つ、今までと違う感覚になったことがある。
これまで作曲してきた曲には、大部分に「感情」があった。切なさ、楽しさ、悲しさ…誰かに寄り添うようにコードもそれに合わせて選んでいた。
現在は限られた時間ということもあり、その時の感情をいちいち引っ張り出してきては間に合わないので、感覚的に無機質にイメージから音だけを抽出している。終わったところでハッと制作時間を見るとたった17分しか経っていなかった。

一番初めの目標が1時間以内に対して、17分まで縮んでいたことにも驚きだったが、制作過程に不必要な感情が進行の妨げだとしたら、それとの距離は考えなければならないなと思った。寧ろ、制作自体がただの目的であればあるほど感情は要らなくなるわけで、そうなるともはや人である必要性はなくなる。
全く感情のない音選びかと言われるとやはりそういうわけにもいかず、そこには自分が落ち着きたいコードや好きな要素を入れたくなるし、入れている。それが個性なのか、手癖なのかはさておき。

以前もdropというタイトルで音のスケッチをしたので「drop 2」。跳ねるような曲調はあまり馴染みがなかったので、その練習も兼ねて。具体性はあまりない。

2022.10.12

何か飴玉のようなものを描きたかったんだと思う。色使いが不慣れというか不器用というか。抽象画は音楽の方向性と似ていて関連事項が多く面白そうなので、勉強してみることにした。慣れてきたら、画材を揃えて何日もかけてがっつりキャンバスに描いてみたい。子供時代に戻ったように、目を輝かせて何かに打ち込める日が来るなんて、あの頃の私は想像できただろうか。今、ようやく点が線になり始めている。



tohma


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