「イケメンではないが」に困惑する、ロマンス難民
「消費社会に疑問を抱きだした人々がシンプルに暮らし始め、ミニマルというインテリア潮流に。ついでに結婚もミニマルにしてみたら?」
――といったコンセプトで、2作目のエッセイ本原稿を書いています。
前回は、デート産業の日米の違いを比較しました。家父長制で女性の立場が従属の日本では、女性は自尊心埋め合わせのために、アメリカにはないハイリスクな高額ホスト・サービスに走り易い現状。イケメン至上の歪みが、イケメン以外の男性にも及んでいる可能性を提起してみました。
今日は、デート産業従事者以外の、一般の男性について考えてみます。以下は、私がつい数日前に、フェイスブックで知らない男性から受け取ったメッセージ(原文まま)です。
私はFBでは直接の知り合い(リアルで会ったことがある人)だけと友達になることにしており、その旨はプロフィールに明記しています。
この男性はプロフィールも読んでないぐらいだから、私に興味がないのがわかります。そのような「どうでもいい女」にまで、わざわざ「イケメンでない」とひとこと断らないとメッセージも送れないとは……。男性もタイヘンなんだな、と驚いたんですよね。
ネット時代の今日びは、「メッセージを頻繁にやりとりしてから実際に会う」という流れがメジャー。「いざ会ったらイメージが違った!」というクレームは、ありがちなのかもしれませんが……。
その種の話は、実は昔からありました。私が高校生の頃(何十年も前です)、同じく高校生だった弟との会話で印象に残っていることがあります。
弟は言いました。「『あいつが可愛いんだけど』と言ってる奴がいて、僕から見ると全然イケてるんだよね。言ってみればうまくいくと思うのに、言わない」
気になる彼女を誘いたいけれど、「自分なんかで大丈夫だろうか」と思って、いつまでも声をかけられない……という友人の話なのです。
さらに注釈すると、弟とこの「言わない奴」は男子校です。同級生と違って、相手の女のコは「奴」の学校での成績や評判はよく知らないでしょう。加えて、この男子校は地域では一番の進学校。学校のランクが減点ポイントにはなり得ません。
つまり、ここで弟らが問題にしていたのは「見かけ」なのです。
いやはや、そんな不安な気持ちで予防線を張る男性が世の中に多いとは……。「ブス!」って決めつけられる私は「どうすりゃいいの?!」(前回参照)
世の中では、女性の美醜がよく話題になります。美のための製品やサービスも、圧倒的に女性用が目立ちます。その割には、女性は私を含め、概ね自分の外見への評価をそれほど気にしてないのでは? 「男性ほどには……」。
してみると現代人も、オスの方が美しくて外見を見せつける動物界と、基本は変わらないのかもしれません。(ボス猿の第一条件は外見、とかね。)
最近ではマッチングアプリで、写真を盛っている男性が多いそう。男女共に、盛りに対するイメージは、良くはないですよね。盛りすぎの男性に対し、「外見がウソの時点でダメ!」と、SNS投稿で明言していた女性もいました。
それでも、盛る人は後を絶ちません。この辺りが、「イケメンでないと厚かましい」と男性が思ってしまう、自然の摂理なのかもしれません。
それはともかく、私には少子高齢化社会に名案があるのです。規定回数以上プロポーズしない未婚男性に重税をかけ、その歳入分を子育て女性の年金にがっつり上乗せすればいいのではないか……?
まぁ、一度もプロポーズされたことがない私の妄想ではありますけど。プロポーズは、スキルや予算がなくても、誰にでもできる点で不公平がないし。プロポーズさえすれば、結婚するかは問わないから、強制にならないし。(「この人と結婚生活は無理」と女性が思えば、断るため)
「恋と嘘」などは、かなりいい線を行っている少子化対策だと思うんですけど、強制ですからね。(政府が遺伝子マッチングで結婚相手を推薦する近未来漫画です)
そういえば、同僚女性の誰かれにも「結婚したいな」と個別に言っている、チャラい同僚もいましたっけ。「相手女性がウンと言えば即結婚」と義務づければ、結婚詐欺なども減るかも……。
私の提案のような縁組制度の元祖は、日本のお見合い。本来のお見合いの掟を知っている人は少ないでしょうから、ここで解説しますね。私が’70年代に、大学の先生から聞いた話です。
昭和中期ごろまでは、男性はひとたび女性に会ったら最後、絶対に断ってはいけなかったんです! 遺伝上の問題とか、不治の難病とか、誰が聞いても「それでは結婚は無理」とわかる致命的なマイナス点が女性にない限りは……。
対して、女性の方は断ってオーケーでした。理由は何でもあり。なので「私には勿体ないかた」が常套句。
リスクを負って妊娠・出産に挑む女性(メス)には、慎重に遺伝子を選別する責任があります。それが種族の繁栄のためですから。この天の摂理に、昔のお見合い制度はぴったり適合していました。
ところが、お見合いおばさんが絶滅した今の世では、私のようにプロポーズされない女性が続出。この無策社会に対しての、私の提案というわけです。
そうなれば、「言わない」男性も渋々行動に出るかもしれません。私のように、プロポーズの言葉がないままの結婚は、「いつの間にか婚」と呼ぶそう。日本ではありがちですが、見逃されていますよね。
男性みんなが女性に申し込むようになれば、「イケメンではないが、厚かましく友達にリクエスト」などと言う人も減りそう。
一言付け加えます。計算上においては、100年後まで今の少子化が続いても、日本政府は困らないそうです。困るのは、プロポーズに恋焦がれる私のような、ロマンス難民だけなのでしょうか。
(次回に続く。1冊めのエッセイ本ははこちら↓)