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Ep.1 信じることを学ぶ

対談  渋谷明子さん 以下 明子 
    平川景子さん 以下 景子
インタビュアー  ニドム 時人 以下 ハルト
           きょうこ 以下 ー
記事 きょうこ 
ハルトは今回記事に登場しないw


始めに

取材は、2022/06/13 大分市内の渋谷さんが構えていた「つむ木」という名のスタジオで行われた。当時、お二人とも取材の1ヶ月後にインドへの渡航を控えていた。渋谷さんは11年開けていた「つむ木」の場を、インド渡航前に退去されるので、その片付けが始まっていた状況。


2年滞在したメキシコから帰国したばかりの平川景子さん

ヨガに出会うまで

ー自己紹介を兼ねて、まず始めにヨガを始めたきっかけとその経緯を教えてください。

景子 大分県臼杵市出身で平川景子といいます。高校生の3年間、友人の紹介で美容室のアルバイトをしました。頭を洗ったり、マッサージをしたり、カラー剤を混ぜたり、それが楽しかったので卒業後は大阪の美容室に就職しました。3年働いたあたりで、もう少しオシャレなところで働いてみたくなって、友人の紹介で福岡の美容院に転職しました。

 その美容院は、すっごくおしゃれで、素晴らしい技術を持った人がたくさんいました。でも、私は若かったから自信がなくて、厳しい指導を受けても、どうしていいかわからなくなってしまったんです。怒られキャラみたいになってしまって、もう自分はダメなんだって苦しくなってしまって。それで3年働いたあと、もういいかなって。しばらく1年くらいは、アルバイトをしたり、派遣の仕事をしたり、お友達もいたし福岡で過ごしていました。そんな時、厳しい姉に「いつまでそんなことしているの?」って言われて、とりあえず大分の実家に一旦戻ることにしたんです。

 そして、大分で事務の仕事に就職したら、仕事ってこんなに楽なんだって思いました。8-17時で時間は決まっていて、必ず日曜はお休みで、制服を着ていけばいいから、服選びに悩まなくていいし。お店も、お付き合いの飲み会もないからお金もあるし。

 そんなことで過ごし、26歳の時にワーキングホリデイに行きたいと思って、計画を友人と一緒に立てることになったんです。私は知識もないし、友人任せにしていたら、友人がキレちゃって「自分のことなのに、あなたそれでどうするの?」って。それで、自分もハッとして、まだお金も英語も準備が足りないから、今回私は辞めておくわってなったんです。29歳までいけるから、また準備をしてからにしようと。

  それでもう一回、人生最後の就職をするんです。三年で、お金を貯めて、英語の勉強をして。それでアイルランドに行ったんです。ちょうどアイルランドがワーホリの指定国になったばっかりで、簡単にビザが取れたんです。

アイルランド時代の景子さん

 ダブリンでは語学学校に行って、アルバイトをしたり、友人もできて少し慣れてきたところで帰りのチケットを取っていたので真面目だし、ケチ根性でチケットを無駄にせずに帰国しました。英語も少しできるようになったし、日本でお金を貯めて、スチューデントビザを取って、また来年くればいいやって思っていたんです。

 それで、帰国後に職業訓練に通うんです。スポーツインストラクター養成講座っていうので、授業の一つにヨガもあったけど、アシュタンガではなくって。その時の一人の先生が、「アシュタンガヨガっていうのがあるからしてみれば?」って、臼杵の *1 自然(じねん)さんの教室を紹介してくれたんです。

それでアシュタンガヨガを始めたら、旅行してる場合じゃない、もっとこれはちゃんとやって、インドに行きたい!って思うようになりました。そして、その翌年にはインドに行きました。


まもなく場を閉める「つむぎ」にて 渋谷明子さん

明子  私は渋谷明子と申します。福岡出身で、大分に来て20年くらいになります。高校生の時に1年休学して、イギリスのラウスゲイトという田舎街にホームステイしながら留学しました。父は、人がしてるから、とか、みんなと一緒だから、という理由では留学を認めてくれない人で、自分はなぜそうしたいのか?をしっかり説明してプレゼンしないとお金を出してくれない、そんな教育でした。なので、留学する際には、大学には行かないから、すぐに就職するからその分出資してほしいって説得しました。結局、帰国後に短大に行ったんですが、入学金は出してもらったけど、「それじゃあ嘘つきになるぞ」ってことで、自分で費用を工面することになったので、大学ではなく福岡の短大にいきました。

 そのあとは、航空会社に勤務してCAとして大阪で6年くらい働きました。その間はたくさん旅をしていて、ある時にタイに行ってマッサージを受けたんです。その時に、タイのおばさんたちがあまりにも楽しそうにマッサージをしていて、私も仕事を辞めたらタイマッサージしたいなと思ったんです。元々、私がCAになりたかった訳ではなくて、父の理想のイメージがあったのかなって思うけど、小学校一年生の時から英語を習っていたりして。それでイギリスも行けたのかなって。父が亡くなった後に、もういいかなって思ってCAの仕事を辞めました。

 離職後一年くらい遊んだ後、パートナーが住んでいた中津に5年ほど住んでいました。当時、ウェイクボードというスポーツをしていて耶馬溪ダムに通っていたので、近くに住みたかった。中津に住んでいる時は英会話の先生をしていました。小学生がだんだん増えていって、嫌になった。小学生って全然辞めないんだよ(笑)
(K)生徒も増えていいじゃないですかー。(笑)
(A)そんな責任取れないし、ネイティブに習った方がいいよー。それで苦しくなって辞めた。

 それからタイマッサージの仕事を始めました。タイマッサージのお店が大分にできるって知って。その前にタイマッサージの資格を取っていたので、お店ができてすぐに働き始めて、三年ほど勤務していました。
私のタイのマッサージの先生は、タイで暑いのに、汗をかいたら怒る。こっちがガンガン必死でやっていたら相手が疲れちゃうからって。


景子 あー、こっちはリラックスしてないといけないんだー。

明子 タイマッサージは二人でするヨガって言われていて。日本の指圧と同じように一方通行じゃないんです。あの手この手で体を動かすんだけど、こっちが無理な体勢では絶対しない。
そんな中、タイのルーシーダットンとかいろんなヨガに出会って、タイのマッサージの先生のところに行った後に、インドのシヴァナンダヨガのアシュラムに行きました。一応ティーチャーズトレーニングの資格をとり、本格的にヨガ哲学とアーサナを習いはじめました。でも当時はピンと来ていなくて、東京の道場に行ったりもしたけど、すごく現実離れしている気がして、私が求めていることとは違った。そうしているうちに臼杵の自然さんを紹介されて。

 月に3.4回は自然さんのところに通うようになって、同時にアイアンガーヨガも習っていた。当時は○○ヨガって名前がつくヨガがいいのかなって思っていたから。
 アシュタンガは2014年に *2 サラスワディーが大分に来るっていうことになり、それを機に練習を始めて2014年に *3 マイソールに行ってトレーニングしたのがきっかけです。

 この場所は(つむぎ)、2011年の7月に始めて、タイマッサージとヨガを組み合わせて、あんまりガリガリやることはなくて、ストレッチしてちょっとしゃべったりして、アシュタンガのベースでは教えているけど。

 私の実体験としてヨガは凄いなって思ったのは、ウェイクボードをしてた時に、左の前十字の靭帯を切ってしまって、手術をせずにヨガを通してケガを克服できたことです。靭帯は繋がっていないけど、周りの筋肉とか、動かし方と、体の重心を中心に集めることで負荷を減らしているのかな。今も捻ったり、使いすぎるとむくんだりするけど。

景子 山登りとか、100キロ歩いたりシャンシャンしてます!

明子 だから、首とか、肩とか腰とか痛みがある人に会った時は、絶対諦めないで!って思う。ケガなどで体が正常な状態に戻る過程で、痛みや不調が出ながら再構築していっている、そういう汎用性がヨガにはあるように思うし、ヨガで体は良くなるとおもうのですが、、、。

景子 私はそう信じています。

明子 そう信じる力をヨガがくれた。足が治るまでに2年かかって、引きずりながら痛みを感じながら、凄い挫折感をあじわいました。ちょっといいかなって思うと、次の日痛かったり、やってもやってもダメ、理不尽だなって。それまでチョロく生きていて挫折した経験がなかったから、そこで始めて、なんなのっ!て。

ー2年も不便でしたね。手早く手術することもできたけど。稀です!

景子 期間はかかるし、焦ることもあるけど、その時間があったからこそいいんじゃないですか?パッパと進んだら受け入れられないし。あ、大丈夫だったっていう繰り返しをヨガをとうして、自分で経過観察しながら学ぶんだと思う。

次回Episode 2へ続く…


脚注


*1 自然さん 大分県臼杵市で包括的なヨガの指導をしている

*2 サラスワディー アシュタンガヨガの指導者パタピジョイス氏の娘で、現在KPJAYIのディレクターの一人でもあり、世界的指導者シャラート先生の母親。

*3 インド南西部の都市。アシュタンガヨガのメッカとしてヨガ行者が多く訪れる


プロフィール

渋谷明子 福岡出身。航空会社勤務後、英会話講師、タイマッサージ店勤務を経て大分市内でタイマッサージとヨガのスタジオ「つむぎ」を2023年までの11年開設していた。現在はご縁のある方に施術やヨガの指導をしている。

平川景子 大分県臼杵市出身。2011年アシュタンガヨガに出会い、大きく感銘を受けて2012年よりインドマイソールにあるKPJAYI(現SYC)へ定期的に通い、Sharath joisのもと実践を深めている。2013年よりヴェーダンタ協会会長Medhasananda Maharajiのもとインド哲学と実践を続けている。KPJAYI Authorized Level2を保持。マイソール大分主催。

http://mysoreoita.jp/


景子さんとお父さんの合作看板が目印!

次回予告

4/13
サマディーへの旅②続きはこちらから↓

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