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ユン・セリが出会った人生を変える恋と目的地への旅 『愛の不時着』

そろそろ「愛の不時着研究室」とか立ち上げたくなってきた。

「愛の不時着」から抜けられないことを受け入れてからは、一日最低一回は好きなシーンを拾い見するのが生活の一部となり、今やルーティンと化している。

ここでは、主役の一人であるユン・セリというキャラクターを深掘りしつつ、彼女がたどり着いた目的地について考えてみたい。


1. 生い立ちがユン・セリに与えた傷

ユン・セリは韓国の財閥令嬢という設定。
しかし彼女は婚外子。育ての母であるユン夫人から疎まれて生きてきた。

また、後継者争いから二人の兄とも兄妹らしい情を育んできたわけではなさそうだ。一家の長である父との関係は悪くはないが、財閥一家という特殊な家庭環境では一般的な家庭の父子関係は望めない。

彼女は経済的には恵まれていても、精神的には満たされない環境で成長したことになる。

特に母親との関係は深刻だ。
育ての母親からすれば、美しく成長する娘を見るたびに夫の不貞を思い出すという地獄。娘の顔には自分を苦しめた女の影がつきまとう。
そう考えれば育ての母親の気持ちはわからないではない。

しかし、生まれてすぐにユン家で育てられたセリからすれば母親は彼女だけ。
親に愛されていないと肌身に感じる現実は子供にとって酷すぎるし、実際にそれがセリの心の傷になっている。
特に母親に置き去りにされた体験はトラウマとなった。
そのせいでセリは見捨てられることに対して強い恐怖感を持っている。


彼女がどんな風に育ってきたかが垣間見えるのが、見合い相手のク・スンジュンに言ったこの言葉だ。

「私は顔色を窺う生活が長くて、勘が鋭いの」


母親に愛されることに懸命なセリの少女時代を想像してしまう。

子供は常に親に愛され認められることを望むもの。セリも同じだ。親に認めてもらうため、また自分の存在価値を確固たるものにするために、人並み以上に努力をするしかなかったのではないか。

彼女が会社を設立し上場企業にまで成長させることができたのは、彼女が優秀だったからという理由だけではなく、戦わなければ生き残っていけない「戦場」に子供の頃から立たされていたからだろう。

一方でその戦場から退場する選択肢は彼女にはない。ひと休みする場所すらない。認めて欲しい人からは冷たくされ、承認欲求は満たされぬまま、経済的な成功だけを手に入れてしまったのがセリなのだと思う。


2. 誰も自分を満たしてくれないという苦しみ

38度線を超える前のセリは恋多き女だ。

美人で成功者の彼女は、はたから見れば恋愛に対して無敵なように見えるが内実はそうではない。愛情に飢えて育ったセリは、男と健全な恋愛関係を築けない。

心を許せる相手には出会えず、本気で男を愛したこともなかったのかもしれない。彼女は「見捨てられるという不安から逃げること」、そして「自分が愛されること」への執着から逃れられなかった。


銃で撃たれたリ・ジョンヒョクが眠る病室で、セリが彼に向かってひとり呟く場面がある。

私はただ 自分のことを愛したり、憎んだり 
自分を守ったり 捨てたりしてきたの
私には自分の他に誰もいなかった

だからぎこちないのよ 
自分の他に 誰かがいるのが


セリはずっと寂しかったのだ。

家族すら味方ではない。いや家族こそが敵やライバルという心休まることのない環境。会社の経営者としての仕事だって毎日が戦いだ。
キラキラした成功を手に入れているように見えても幸福ではなかった。
心に石がひっかかっているような気持ちで生きていたのかもしれない。


3.ユン・セリの愛すべき自己肯定的一面

さて、心に傷を負っているとはいえ、彼女は韓国では成功者。
経営者としての成功体験や財閥の娘というバックグラウンドがある。
そしてなにより恵まれた美貌を持つ。これだけそろっていれば怖いものはない。
そういう意味においてはセリの自己肯定感は強い。

実際に彼女の美に対する自信は相当なもので、そのプライドは誰にも負けない。
でもそこで嫌な女にならないのがセリのいいところ。
自分を「美人」と言いきれる突き抜け方は気持ちがある意味清々しい。


そんな彼女だが、北朝鮮では厄介者であるにも関わらず中隊員と信頼関係を築き上げ、そこには友情さえ芽生えた。中でも口の悪いピョ・チスとの関係は微笑ましい。お互い子供の喧嘩のごとくムキになり、ここでも彼女の自己肯定感からくる図々しさが面白おかしく炸裂する。

またリ・ジョンヒョクを出世させるという目標のためには、セリのことを「礼儀知らず」と陰口を叩く村のお姉さまたちの懐にだってうまく入り込める。
なんと素晴らしいコミュニケーション能力と人心掌握術だろう。

つまり、セリの本質は人に愛されるキャラクター。
でもこれは、北朝鮮という未知の世界に放り込まれたから出現した彼女の一面だと言える。
なんせ韓国での彼女は孤独で、会社ではボスキャラ。むしろ怖い存在なのだから。

また彼女の頭の回転の速さと合理主義は痛快だ。
どんな時でも自分の頭で考え意思決定をする。男に守ってもらうだけのか弱い女ではない。実際に後半の韓国編では自分の持てる力の全てを使ってリ・ジョンヒョクを守ろうとする。

この多面性がセリの魅力だし、よくある正統派ヒロインでないとこに視聴者が共感する。


4.リ・ジョンヒョクがセリの人生にもたらしたもの

北朝鮮ではセリの財力も地位も何の意味も持たない。
いわば鎧を脱いでいる状態。

そのおかげで北朝鮮でのセリは、韓国にいる時のような戦闘モードではない。
自分の力だけでは解決できない問題に突き当たっている以上、ここではリ・ジョンヒョクを頼りにするしかない。でもだからこそリ・ジョンヒョクに素の自分で接することができた。そして本気の恋に落ちたのではないか。

一方リ・ジョンヒョクは、契約書を交わしたわけでもないのに、また、セリを助ける義理も義務ないのに彼女を南へ無事に帰すことに全力を尽くす。
彼からすれば自分や中隊員の立場を守るためという目的もある。でもそれだけでは説明できない。時には自分の命をかけてまでセリを守るのだから。

またリ・ジョンヒョクがセリに見せるさりげない優しさや気遣いが泣かせる。
見知らぬ土地で過ごすことを余儀なくされた彼女にとって、それがどれだけ心の支えになっただろう。

セリは今まで誰からも受けたことのない、温かく誠実な愛情をリ・ジョンヒョクから感じていた。静かに見守られる安心感も知った。北朝鮮での生活は彼女にとってもはや孤独ではなかった。
周りに溶け込み受け入れられたこともあるけれど、それもリ・ジョンヒョクの見えない支えがあってこそ。
一緒に過ごすうちに、リ・ジョンヒョクがセリの心の石ころを取り除いたのだ。

第15話では、リ・ジョンヒョクを守り銃で撃たれた後遺症で、生死をさまようセリの夢の中が描かれる場面がある。

国家情報院に逮捕されてしまったリ・ジョンヒョクは、セリとの対面調査で心を鬼にして冷たい言葉を彼女に浴びせる。全てはセリや中隊員たち、そして北朝鮮にいる家族を守るための嘘なのだが、彼を北へ無事に帰したい一心のセリにはかえって辛い。そして対面直後彼女は倒れ危篤に陥ってしまう。
そんな状況で見た夢だ。

夢の中でセリは、パラグライダーでの事故が起きた日に戻っていた。
そしてパラグライダーに乗ればどんなことが起きるかを全てを知っていた。
国家情報院でリ・ジョンヒョクに悲しい嘘をつかせ、自分は銃で撃たれ生死の境を彷徨う結果になることも。

それでもセリは選択する。

時間を巻き戻しても 100回巻き戻しても、

あなたと出会い あなたを知り 恋に落ちる

その危険で悲しい選択をする 
その選択をして 私は幸せだったわ


この夢の中で、彼女はかつて逃れられなかった「見捨てられることへの不安」や「愛されることへの執着」から解放されている。どんなに辛い結果になろうとリ・ジョンヒョクに出会い、そして彼を愛する人生を選ぶと決断している。

リ・ジョンヒョクがセリの人生にもたらしたものは、愛されることで生まれる安心感、そして誰かを愛するという幸福。

それが彼女を強くしたのだと思う。


5. 愛する人がいる人生という目的地

セリとリ・ジョンヒョクは、朝鮮半島にいる限り結婚はもちろん一緒にいることすらできない。
それぞれの世界、北と南で別々に生きるしかない。

だからこそ自分の気持ちや望みを相手にぶつけるのではなく、相手の幸せこそを願う。38度線がある限り、それしか愛する人を愛し続ける方法がない。


そんな二人がついに軍事境界線での別れを迎える。

禁断線を超えて北に帰るリ・ジョンヒョクに泣きながら追いすがるセリ。
まだ体調が戻っていない彼女が、全力で走ってくる姿を見ていらないリ・ジョンヒョクは、我を忘れて彼女に駆け寄る。

もう会えないの?  二度と会えない?  一生? 

どうしよう 会いたくてたまらなくなったら


セリの口から今まで抑えてきた言葉と感情が涙と共にほとばしる。
愛する人が幸せな人生をおくることだけを願い、そしてそれしか彼を愛する方法がないと知りながらも、自分の心の叫びを彼にぶつけてしまう。

切な過ぎて何度見ても涙が出るが、この場面を見て思うことは「愛する人がいるということこそが人生であり、生きている意味なのかもしれない」ということ。
たとえそれが悲しく辛い経験でも、それによってどんなに傷ついたとしても、愛する人がいれば人は希望を捨てないし、そのために生きていこうと思えるから。

セリもきっとそれを知ったのだ。
リ・ジョンヒョクと出会い、恋に落ちたことで。


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涙の別れから数年後、二人の想いがようやく身を結ぶ。

セリはスイスに音楽奨学財団を設立することで、愛する人に会うための準備を整えた。彼女は毎年スイスへ旅立ち「今年こそ会えるかもしれない」というわずかな可能性に望みを託して生きている。

一方「会いたいと心から願えば きっと会える」と言い残したリ・ジョンヒョクは軍を除隊し国立交響楽団で演奏家となっていた。

そして、ついに二人はスイスでの再会を果たす。
人生を変える恋の始まりだった北朝鮮での出会いの時のように、パラグライダーに乗ったセリがリ・ジョンヒョクの元に「降臨」する形で。


セリはこうして目的地にたどり着くことができた。

子供の頃から、愛されることを切望したセリ。
でも、たどり着くべき場所はそこではなかった。
「愛する人がいる人生」こそが彼女の目的地だった。

間違った電車が 時には目的地に運ぶ


かつてセリがリ・ジョンヒョクに言った言葉のとおり、セリはようやくそこにたどり着いたのだ。

トップ画像:tvN「愛の不時着」公式サイトより引用
http://program.tving.com/tvn/cloy


(day54)


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