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エッセイ「住居に都市を埋蔵する」解釈

4/25(土)、26(日)に行う「住居に都市を埋蔵する」(著:原広司、以下「本書」)の読書会に向けて、内容を一度整理してみる。
原広司テキストに興味がある!でも読みにくい!という方の参考になればと思う。

なお今回は、本書中の同タイトルのエッセイ(p76-84、以下「本エッセイ」)を主にターゲットとしている。そのほかのテキストは私事の都合もあり一旦スコープから外すことにしているが、いずれも興味深いテキストなので、時間が許す範囲でチェックできたらと思う。


01. アレントの「人間の条件」を背景に読む

本題に入る前に、「人間の条件」(著:ハンナ・アレント / 訳:志水速雄)で語られている「私的領域(と公的領域)」「社会的領域」および「自然」に関する議論を共有したい。

本エッセイで原広司(以下「著者」)は、「住宅」「都市」および「自然」を主題に論を展開している。それらが何を意味しているのかがまあまあ分かりにくいのが本エッセイの特徴(失礼)なのだが、それらの言葉を以下のようにアレントの用語と対応させると、著者のコンテクストや問題意識が分かりやすくなると感じた。

     原広司 ⇔ ハンナ・アレント
  住居 ⇔ 私的領域
   都市 ⇔ 社会的領域
自然 ⇔ 自然

「自然」については両者ともほぼ同じ意味で用いていると思われる。また、「社会~(化、的〇〇)」という言葉を両者とも用いているが、これは使い方の差を意識して、著者における「社会~」は[]付きの[社会~]アレントにおけるそれは改めて「」付きの「社会~」とする。

では、アレントの「人間の条件」を必要な部分だけザックリとおさらいする。
アレントに関していまさらの言及を必要としない方は、『02. 「住居に都市を埋蔵する」概要(1) 都市に自然を剥奪された住居』から読まれるのをおススメする

アレントはギリシャのポリスをモデルとして、人間の世界にはもともと「私的領域」「公的領域」が存在したと論じている。

「私的領域」は家族の領域だ。ここでは女性や奴隷が生きるのに必要な労働を行い、家族全体の生命活動を支えていた。労働は動物的な生(ゾーエ)、つまり「自然」の循環の一部に位置付けられ、食料をはじめとした生活物資は「自然」との関わりの中で、「私的領域」においてすべて調達されていた。また生命活動だけでなく、人に知られる必要もなく、公にするべきではないような物事は私的領域においてすべて処理されるべきとも考えられていた。
一方、「公的領域」は、他の人に見られ共有される領域だ。ここでは多くの人が差別なく議論し、相互に理解し合うことが可能だとされた。なぜなら、差別や束縛の理由となる生活力や生きるための営み(ゾーエ)はすべて「私的領域」において済まされており、「公的領域」はそういった差別や束縛から自由な、人間的な生(ビオス)の場所であることを理想としているからだ。

アレントはこの「公的領域」の理想像、つまり「出現の空間」の実現が人間の世界には大切だと述べる。
もちろん、アレントは「私的領域」内での格差(男尊女卑)や暴力(奴隷)を肯定しているわけではない。アレントが評価するのは、「私的領域」と「公的領域」を分別する境界線であり、この分別によって人間は、動物的な生と人間的な生を両立できていた、としている。

しかし近代以降、この境界線が消失してしまったとアレントは述べる。
「社会的領域」が「私的」も「公的」もすべて、社会的な要素として飲み込んでしまった。家族はみな「社会的領域」の構成員として数えられ、「財産」は金銭と交換し流動する「富」となり、自然の循環過程や動物的な生を支える生命活動はすべて、社会の経済活動の一環になっていった
その結果、「公的領域」を支えた仕事や活動、つまり人間らしい創造的で自由な行為は、生命活動と経済活動を支える労働にその場を奪われ、人間はただただ日々を生き抜き動物のように働く「労働する動物」に成り下がってしまった

人間の自由な世界を支え、「自然」と関わりながら営まれた「私的領域」が、資本主義が支配する「社会的領域」に飲み込まれ、人間に関わるほぼ全てのものが経済原理に支配されてしまっている
これがアレントの近代社会への批判の一つだ。

02. 「住居に都市を埋蔵する」概要(1) 都市に自然を剥奪された住居

次にエッセイ「住居に都市を埋蔵する」を見ていく。
本エッセイは以下の言葉で始まる。

住居の歴史は、(十全な生活を可能にする)機能的要素が都市に剥奪される歴史である。
「住居に都市を埋蔵する」(著:原広司 p76 l1)

この「住居」「都市」の二項対立が本エッセイの主軸となっている。では「住居」は「都市」から何を剥奪されてしまったのか。

この剥奪過程は、人間の想像力の剥奪、自然の剥奪過程であり、・・・
「住居に都市を埋蔵する」(著:原広司 p76 l6)

つまり、アレントにも指摘されていた「住居=私的領域」から「自然」、つまり人間という生命の糧であり根源である資源の循環や自然現象との関わり合いを、「都市=社会的領域」が剥奪してしまったと、著者は論じる。
近代以前は各家族がそれぞれ農業や狩猟、畜産などを行いつつ食料を確保し、衣食住を行っていた。領地の中には山や森もあったかもしれない。それらは人間の世界の外にあるもので、必ずしも人間の味方とは限らない(災害など)が、「自然」が人間という生命の源泉であることには変わりない
それが剥奪されることで、人間の想像力(正常な生活を送るためのリアリティのようなものと想像する)が「住居」から消えてしまったということを著者は指摘している
一方、「住居」から「自然」を剥奪した「都市」自体には、そういった想像力を代替する力はないという。

都市は集約された機能のフラグメントの集積となり、そこからは、なんら環境形成が要請する全体性を期待することはできない。
「住居に都市を埋蔵する」(著:原広司 p76 l9-10)

家族が単なる経済的な単位とみなされ、にもかかわらず、・・・
「住居に都市を埋蔵する」(著:原広司 p80 l11)

やや飛躍した解釈にはなるが、ここもアレントの指摘と比較しつつ理解してみる。
「都市=社会的領域」は、家族も含めてすべて個々の要素に還元し、経済原理の中に飲み込んでしまった。そのような環境下では「自然」が自然たるための像(=全体性)を得ることはできない。結果「現代都市は自然を排除してしま」(p78 l11)い、人間は均質空間の中でひたすら労働する動物であることを強いられてしまう

また、「自然」「住居」について、著者は次のようにも述べている。

観念をめぐっての自立といった構想を住居にもちこんだとしても、それを論理的に解析すれば、必ず自然が登場するのであって、本来諸概念は自然との相関のなかにおいてはじめて位置づけられるものなのである。
「住居に都市を埋蔵する」(著:原広司 p81 l5-7)

自然は、住居内の生活で交わされる言葉を誘い出す。
「住居に都市を埋蔵する」(著:原広司 p79 l13)

「自然」との関わり合い(相関)こそが「住居」にとって根源的なものなので、「住居」が良いものとなるためには、奪われてしまった「自然」との関わり合いを「都市」から取り戻すことが必要である、と著者は述べる。

このような「住居」と「都市」の状況下において、何かしらの形で「住居」に再度「自然」との関わり合いと「自然」への解釈(これを著者は「[社会化]」と呼ぶ)を取り戻そうというのが、本エッセイにおける著者の目的となっている。

03. 「住居に都市を埋蔵する」概要(2) 自然由来の潜在力を持つ住居という実体

しかし実際そのようなことが本当に可能なのだろうか?
現在我々の生活の多くは都市機能に依存している。住居は小さくなった。生活物資を買うために都市に赴き、都市で働く。そして当たり前だが、ハウスキーピングのための奴隷を持つことなど許されるわけもなく、女性に家事を無理やり押し付けることも推奨されない。「都市」への依存が前提になって生きている以上、剥奪されてしまったものを全て「住居」に取り戻すには大変な負担が発生する
著者も次のように指摘する。

いま衰退した住居を、過去の力ある住居に復元する作業は、全く経済力に依存している。
「住居に都市を埋蔵する」(著:原広司 p77 l5)

端的に言うなら、お金持ちなら自分の土地と使用人のみで自給自足もできるが、普通の人はそうはいかない、ということだ。
では、そのような困難な状況下においてなお、なぜ「住居」に「自然」の[社会化]を取り戻すことができると考えるのか。この点における著者の論はやや難解だ。

社会が家族に社会的矛盾の解除を負わせていることは、一方において、家族独自の制度的組み換えの余地を残していることを意味する。
「住居に都市を埋蔵する」(著:原広司 p81 l13-14)

都市とはそうした空間構造(均質空間※西倉補足)にもってゆくべきではなく、全域が各々の住居つまり点を中心とした総合的なポテンシャルの場を張っており、その場の重畳が都市なのである。
「住居に都市を埋蔵する」(著:原広司 p83 l10-11)

総合的なポテンシャルとは移動の場を意味するのではなく、意識の場である。こうした場を構築するのが住居の建築術でありたい。この空間構造から言えば、住居が物的に密着していようとも、空間は離散的であり、実体的であって、ひとつの実体からみれば遠心的である。
「住居に都市を埋蔵する」(著:原広司 p83 l13-16)

「都市」は「住居」からすべてのものを剥奪しようとしているにも関わらず、いまだに家族は存在してしまっている。この矛盾こそが、「都市」の要素には還元しきれない「住居」の潜在力(上記「ポテンシャル」)の存在証明であると、1つ目の引用で述べる。
さらに、2・3つ目の引用では、著者の都市観と絡めて、「住居」の潜在力について掘り下げている。著者は「住居」「実体」としてとらえる。
「実体」概念を知らない人は以下のリンク等を参照してほしい

実体一つ一つが「自然」由来の潜在力を持った最小構成要素であり、それら実体が離散的に関係することで都市が出来上がっていると著者は考える。数理的などこまでも延長される均質空間として都市を捉えるのとは対照的な都市観であり、予定調和的で分析解析可能な世界からはみ出した生成の場として、「住居」を捉えていることが分かる。

潜在力の下りは人によっては少々分かりにくいかもしれない。
もしイメージがつかみにくいという場合は、そういった潜在力が存在しないつまらない社会を想像してみるといいと思う。仮に人間社会が経済原理によってすべてが予定調和的に説明でき、何事もベルトコンベアのように右からへと決まった順番で過ぎ去っていくにすぎないとしたら、この社会において人間はロボットと同じようなもので、何も創造できないし、何も感じない。金銭によって土地だけでなく家族も売り買いされ、個々人の個性はすべて経済価値によってしか表現されない。しかし、実際の社会を見ると「住居」と家族は現に存在するし、それらが徹底して社会の要素になりきっているかというとそんなことはない。それはつまり「住居」と家族が経済原理によって回収しきれない、予定調和から外れた存在であり、創造的な行為を行う源泉としての潜在的な力を秘めている、ということだ。

まとめると以下のようになる。「住居=私的領域」には「自然」との関わり合いを源泉にもつ潜在力がある。それは大部分が「都市=社会的領域」によって剥奪されてしまったが、それでもなお剥奪され切ることなく残っている。もしすべてが剥奪できるとしたら、家族という概念も「住居」という概念も、「都市」の一要素として、経済原理の中に溶けて消えてしまうからだ。そのため、「住居」は実体として、都市の経済原理に回収されることのない「意味の場」を持ち、そこを起点にして建築、さらには都市を考えるべきである、ということになる。

04. 「住居に都市を埋蔵する」概要(3) 埋蔵する手法

ではどのようにして「都市」に剥奪された「自然」との関わり合いを「住居」に再度取り込むことができるのか。
上記のとおり農地や森を再度「住居」に取り込むことは経済的に無理であることを前提に、著者は限定的な手法を試みる。

現実的にまず光、そして空気と土、わずかばかりの植生が残されている。これら残された要素をめぐる都市の願望を表現するのが、手近な都市埋蔵法である。
「住居に都市を埋蔵する」(著:原広司 p78 l11-13)

都市によって排除された「自然」のうちわずかばかり残っている「自然の破片」(光・空気・土・植生)を敏感にキャッチできる住居を考える、ということだ。それにより「平衡状態を保つ」(p79 l3)ことができると著者は述べる。

住居がやや過敏症的傾向は、よき自然に融合する正常な状態とはいえず、むしろある種の神経的な障害であって、しかしこの障害は悪化した自然のなかでただひとつの保身術となりうるのである。障害は矛盾に苦しむ姿ではなく、むしろ平衡状態を保つ手段である。
「住居に都市を埋蔵する」(著:原広司 p79 l1-4)

こうした新しい住居はあまり実現されていないので、経験がとぼしい。・・・(中略)。しかし、方法的には、豊かな自然に包まれ、しかし当時強力な支配下におかれて住んでいた住居の延長としての住みやすさを追ってゆく方法より遥かに誤りは少ないと考えられる。
「住居に都市を埋蔵する」(著:原広司 p84 l6-19)

「自然」が豊かすぎればそれを制御しなくてはいけない。「自然」は災害として生活を脅かす側面もあるからだ。むしろ、「自然」が豊かだったころは災害としての側面の方が強かったかもしれない。
それに対して、著者が提案する「都市埋蔵法」「自然」を自ら積極的に取り入れる本来は制御すべき対象である「自然」をわざわざ自発的に取り込もうとするのは正常ではない。しかしここで大切なのは、「自然」を適切な分だけ「住居」に取り込むということであり、「都市」が「自然」を排除した状況下では、「自然」不足を補う「都市埋蔵法」が適切である、ということだ。
「自然」過多を制御する近代以前も、「自然」不足を補う近代以降も、同じように適切量の「自然」を取り込み、過不足ない「平衡状態」を実現することが大切であると、読むことができる。

05. 「住居に都市を埋蔵する」まとめ

本エッセイ全体(+アレント参照)の流れをザックリまとめると以下のようになる。
「住居」は元々「自然」との関わり合いの中で営まれる「私的領域」であり、健全な「公的領域」が成り立つのを支えていた。「自然」は営みの源泉でありつつも、災害としての側面が強く、かつての「住居」は「自然」を制御することに主眼が置かれていたと想像する。
しかし近代以降は、そういった「住居」内の営みはほぼすべて「社会的領域」としての「都市」に剥奪され経済原理の一要素になってしまった。その結果「私的領域」における「自然」との関わり合いと生活の営みはわずかばかりしか残らず、僕たちの生活の大部分は「都市」の機能、および経済活動に依存することとなった。
しかし、著者はそれではいけないと考える。「自然」との関わり合いの大部分が「住居」から失われてしまったとしても、「自然」が人間の営みの源泉であるという事実は変わりなく、現に「住居」と家族は[社会的矛盾]として近代以降の都市に残っている。この現に残っているという事実から、都市の最小構成要素である「実体」としての「住居」という認識が生まれる。「都市」の中に「住居」があるのではなく、「自然」との関わり合いに由来する潜在力を持つ「住居」が先にあって、それらが実体として離散的に集まることで都市とよばれる場所ができる。
そのような都市観に立ったうえで、著者は「自然の破片」を敏感に、積極的に「住居」に取り入れる手法を考える。これは、「住居」が本来は「自然」を制御し限定しなくてはいけないということを考えると、正常ではないと言える。しかし、いずれにしても目的は「自然」の適切な取り入れであり、過多でも不足でもない「平衡状態」を実現することなので、「都市」が「自然」を排除してしまった現代においては、むしろ元々の「住居」の理想を実現できる手法になる。
この手法を著者は「都市埋蔵法」と呼んでいる。

06. 自然過多と不足が併発してしまった現在(西倉雑感①)

本書が出版されたのは1990年5月15日だ。30年前ということになるが、承知の通り、都市の状況は大きく変化し、また変化し続けている。

著者が示す「社会的領域」と化した「都市」は依然存在する。そういう意味では未だに我々の生活は都市機能に依存せざるを得ず、「自然」不足の状態である。住居に引きこもらなくてはいけない現状ではより強く、それを感じざるを得ない。
一方、コロナウイルスは一言でいえば災害だ。人為的に作られたか如何に関わらず、人間の世界の外に属する不安の種である、とまず捉えるべきだろう。僕たちは何らかの方法でウイルスを理解し、制御する必要がある。そういう意味では現在は「自然」過多であると言える。
思い起こせば311東日本大震災も制御しきれない「自然」だった。1000年単位で定期的に訪れる巨大津波に対して、堤防を作るか、それとも生活習慣に被災の記憶を埋め込むかで、当時大きく意見が分かれた。(最終的には巨大な堤防による津波の制御という方法が主に取られたわけだが・・・。)

今回のウイルスに限らず、大小を問わなければ、近代以降も常に「自然」は制御すべき対象として僕たちの生活を、意識外から脅かし続けてきた。その事実が社会全体のイシューになったのが今回のコロナウイルスだ。今回は津波のように堤防を作れば制御できたと思える「自然」ではない。「都市」は今、他の「自然」のようにコロナウイルスを排除しようとしているが、もし排除しきれなかったとすれば、それは著者の言う「自然の破片」と言って済むものではなくなるだろうし、実際そうなってしまうと多くの人が感じているだろう
つまり、現代は「自然」不足でもあり、同時に「自然」過多でもある、と言える。

もちろん、著者の「都市埋蔵法」を否定して、かつての「私的領域」に戻るという選択肢もないわけではない。「私的領域」としての「住居」内で生命活動を全て維持できれば、コロナウイルスという「自然」を制御できるかもしれない。
しかしそれは様々な理由で困難だ。
著者が指摘する通り、自給自足の生活ができる人は経済的にも労力としてもごくわずかだ。多くの人はそのための土地を持ち合わせていないし、人手も足りない。奴隷制や男尊女卑をいまさら肯定して人権を否定するのは考え難いし、そうなってほしくない。
さらには、「私的領域」に引きこもるということは「公的領域」が持つ人間同士のコミュニケーションを捨ててしまうことにもなる。実際今、人に会うことができないという状況が精神衛生上よろしくないということを実感している。

つまり、著者が本エッセイで引いた補助線(都市埋蔵法)を否定することなく、引き継ぎつつ、さらには同時に、「自然」を制御する方法も「住居」に埋め込む必要がある

07. 「住居」を「小さな拠点」として読み替える(西倉雑感②)

今回のコロナウイルスによって、著者の述べる社会的矛盾としての「住居」と家族の存在感が逆説的に、強調されるようになった感じる。都市に出られなくなった時、引きこもれる空間が「住居」と家族しかないからだ。

しかし、中には「住居」に引きこもるのが難しい人もいる
家庭内不和もそうだし、親がいない子供もいる。そういった人たちは今まで自身の生活のほとんどを「住居」以外の拠点に依存させていたと想像できる。「住居」に居場所がない人達にとっては、「自然」と関わり合える場所は「住居」ではなく、都市の中にある別の「小さな拠点」だったかもしれない。実際そういった「小さな拠点」、ないしは家族の新しい形を求める活動がコロナ以前にはあったように記憶いている。しかし、それらの拠点の多くは現在、「都市」とともに生活からロックアウトされつつある

著者が言う「住居」を「小さな拠点」に言い換えたらどうだろうか
「住居」だと引きこもる選択肢は1つしかないが、「住居」を含む「小さな拠点」とすれば、引きこもる選択肢は複数になる。もちろん、依存する「小さな拠点」が多数無限に存在してしまうと、結局それは「都市」と変わらない。だから有限個数の数個で十分だ。
2、3個でも、帰ることのできる「小さな拠点」が存在すれば、「住居」に帰れなくても、他の選択肢が生まれる

・・・とは言え、これはやや遅きに失した感もある。
法制度としての世帯、もしくは引きこもる先としての「住居」と家族以外に、社会的に認められる「小さな拠点」や家族の新しいあり方を整備するところまで、現状の社会では至ってないからだ。もし新型コロナウイルスの発生が50年後で、それまでに従来の家族とは異なる集まり方や「住居」以外の「小さな拠点」が社会的に認められていたら違ったかもしれない。とはいえ、それは「たられば」の話だ。
給付金が世帯ごとで支払われる現状においては、この「小さな拠点」の話は叶わぬ夢で終わるか、もしくは、この事態がある程度落ち着いたあと社会が正常に動いていれば、議論と活動が再開するかもしれない。

08. おまけ、読後感

「住居に都市を埋蔵する」(著:原広司)は、建築業界では言わずと知れた建築理論書だ。
「住居に都市を埋蔵する」というアフォリズムはテキストの内容以上に有名で、もはやそのような傾向のデザインを肯定するジャーゴンにすらなっている。

出版年は1990年5月15日。田崎美術館やヤマトインターナショナルを4年前に手掛け、3年後には梅田スカイビル、7年後には京都駅ビルを完成させたことを考えると、いわばキャリアの過渡期の最中に書かれたテキストであり、語りたいことがいっぱいあったであろう時期だったのでは・・・と想像できる。

また、本エッセイは建築のテキストにしては具体性に欠けるところがある。読みにくいと感じる人も多いだろう。
では「これは駄文なのか?」というとそんなことはない。
むしろ、現代の建築論に求められるレベル以上に、言葉や概念をかなり慎重に選んでいるのが分かる。一つ一つの言葉に解釈の多様性や深みを持たせつつ、厳密な概念(体系)のレベルで矛盾をきたさないよう、丁寧な構築と脱構築を行っている。適当でボンヤリした概念の提示もなければ、現実への安直な言及もない。
原広司本人の思弁力を感じるとともに、当時の建築批評のレベルの高さを思い知らされる。当時の編集者の方はさぞかし大変だったのではないだろうか・・・?笑

(※2020年4月29日追記:後でチェックしてみたら、エッセイ「住居を都市に埋蔵する」自体は1975年が初出でした。)

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