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異国の地に暮らす人への見方の変化

 2022年5月上旬、東京都内にある自宅最寄り駅前で、若い東南アジア系の女性に呼び止められた。女性は名刺大のカードを差し出し、私に対して読むように一瞥した。カードにはこう書かれていた。  <わたしは留学生です。お金なくてこまっています。おかしを買ってもらえませんか>。両腕からぶら下げた白い紙袋には、パック詰めされたチョコレートが収まっていた。知人との約束の時間が迫っていた私は「急いでいるから」と断って改札へと向かった。だが、居心地の悪さが胸に残った。元来こういった申し出には

    • ノートパソコンの新調

       大学院留学に備えてノートパソコンを新調した。これまで私用で使っていたタブレット一体型のパソコンだけで1年間の留学生活を乗り切るのは心許なかったからだ。パソコンは男一匹の暮らしの中では高額の部類に入る出費。事前に調べ、店頭で機器を触って購入に至る過程では多くの学びがあるものだ。  2022年5月、新型コロナウイルス禍が世界を襲ってから3度目となるゴールデンウィーク(GW)では、3回のワクチン接種が進んだこともあって政府からの移動制限は課されなかった。コロナ前とは比べ物にならな

      • 良かったことだけ思い出す(新聞記者からの転職)

         この1年程続けているオンライン英会話サービスでは、仕事に関する話題がしばしば持ち上がる。「あなたの仕事は何ですか?」「なぜ、その仕事を選んだのですか?」。こんな簡単な問いにでさえ、最近の僕は答えに窮するようになっている。  大学卒業後に7年弱続けた全国紙の記者を辞めたのは2020年9月末。記者の仕事は大好きだったし、会社の居心地も悪くなかった。ただ、自分の内側に広がる閉塞感を打破したくて、関心のあった開発途上国の平和構築に関する仕事に就いた。転職自体に後悔はない。問題解決の

        • 友人の死とSNS -細い糸を自ら揺らす-

           2021年5月3日、大学時代の友人がまた1人この世を去った。昨年7月末に会社の胃カメラ検診で胃癌が発覚。ステージ4、5年生存率20%との診断で、抗がん剤治療を続けていた。享年30。若すぎる死だった。  彼とは大学時代に語学のクラスが一緒だった。たくさん言葉を交わした訳じゃない。でも、彼は佐賀出身、僕は長崎出身で、同じ九州から大学進学を機に上京したこともあり、互いに不思議な親近感を持っていたように思う。サッカー好きな彼は「お、Ⅴファーレン長崎!」とプロサッカーチーム名で声をか

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        • メモ帳の片隅
          8本

        記事

          老いへの苛立ちについて

           人間誰しも避けて通れないのが老いである。子どもから大人の身体へと成長し、やがてできないことが増えていく。世の中に溢れる<老いを楽しもう>というキャッチフレーズを寛容さを装った仮面で受け入れる素振りを見せる一方、ある種の苛立ちが僕自身の中に渦巻いてしまう。自分のことが嫌になってしまった体験を記しておきたい。  2021年4月上旬、僕はカフェのテーブル席でブルーマウンテンをすすりながら、カウンター席の端に座る高齢男性の後ろ姿を見つめていた。気になってしょうがなかったのは、その顔

          老いへの苛立ちについて

          ポテトチップス九州しょうゆ味と親の愛

           2021年3月某日、東京都内にある近所のスーパーに立ち寄ると、入り口前にポテトチップス九州しょうゆ味が平積みにされていた。長崎出身の僕にとって親しみのある味。「東京でも買えるんだ」と思わず手に取ったものの、結局買わなかった。実家からの仕送りにいつも入っているからだ。大学進学を機に故郷を離れて10年。遠く離れた家族について考えることは日に日に増えている。  段ボールで届く仕送りは日々の生活の楽しみの一つだ。大学生の頃は月1回だった仕送りも社会人になった今では不定期。「何が好き

          ポテトチップス九州しょうゆ味と親の愛

          自殺について考えたこと

           その人の訃報を知ったのは、旅先の空港に降り立った直後だった。2020年9月27日、俳優の竹内結子さんが自ら命を絶った。40歳だった。幼い頃から多くの作品を見てきて「好きな芸能人は竹内結子」と即答してきたから、スマートフォンが伝える速報に言葉を失った。空港の駐車場からレンタカーを走らせることがなかなかできなかった。  「ランチの女王」(02年)や「いま、会いにゆきます」(03年)に、「プライド)(04年)。これらの作品が放送された時、僕は小学校高学年から中学生で、テレビドラ

          自殺について考えたこと

          新聞記者から転職した理由

           転職の決め手は、どうしようもない閉塞感だった。大学を卒業して7年近く続けた新聞記者の仕事に僕はやりがいを感じていたし、書くことを通して「生きている」という手応えを実感することもできた。でも、この世界から一度離れてみたくなった。転職して間もなく半年。今の気持ちを綴っておきたい。  きっかけは些細な会話だった。「実は公務員試験を受けてみようと思うんだよね」。2020年5月、勤めている全国紙で入社年次が二つ上の先輩から打ち明けられた。彼は東京経済部のエースで、対する僕は東京経済部

          新聞記者から転職した理由