自殺について考えたこと

  その人の訃報を知ったのは、旅先の空港に降り立った直後だった。2020年9月27日、俳優の竹内結子さんが自ら命を絶った。40歳だった。幼い頃から多くの作品を見てきて「好きな芸能人は竹内結子」と即答してきたから、スマートフォンが伝える速報に言葉を失った。空港の駐車場からレンタカーを走らせることがなかなかできなかった。
 「ランチの女王」(02年)や「いま、会いにゆきます」(03年)に、「プライド)(04年)。これらの作品が放送された時、僕は小学校高学年から中学生で、テレビドラマや映画について友人と語り始めるようになった年頃だった。「笑顔で周りも明るくできる人だ」とテレビ画面越しに感じたことを覚えている。中村獅童さんと授かり婚した時は幼心にショックだったし、不倫が原因で離婚した時は中村さんに真剣に腹を立てた。映画「クローズドノート」の舞台挨拶で沢尻エリカさんが起こした「『別に』事件」では会場でフォローを入れていて、「気遣いにあふれている人だ」と思った。再婚し新たに子どもを授かったと知った時、1人のファンとしてただ嬉しかった。突然の訃報は、その矢先だった。2020年は、何人もの芸能人が自死を選んだ。日本の自殺者数は1998年に初めて3万人を超え2019年には2万人を下回ったものの、この自殺死亡率は世界最悪レベルなのだと改めて突きつけられた。竹内さんの訃報を受けて、僕自身も自殺や生きることについて考えを巡らせた。
  振り返ってみると、僕が初めて自殺を考えたのは中学1年生の時だった。ある女子生徒から反感を買ったのをきっかけに、学年全体から無視されるようになった。廊下を歩けば、「キモイ、ウザい、死ね」と声が聞こえた。趣味だった囲碁の県大会で優勝したけれど、全校生徒の前で表彰されるのが嫌だった。「急に必要になった」と担任教諭に嘘をつき、賞状とトロフィーを持ち帰った。両親にも「表彰されたよ」と嘘をついた。3か月ほどでいじめの標的は変わったものの、小さな世界しから知らない僕は「死ねば楽になれるかな」とカミソリを手首に当てたこともある。

  それでも僕は今、中学時代に知らなった世界に触れることができ、「生きててよかった」と心から言える。「この世は生きるに値するんだ」と今の子どもたちに思ってもらえたらとペンを握っている。
 人生は辛く悲しいことも多い。でも、生き続ければ良いこともある。不遇な時代が多かったタレントがある時、僕の取材にこんなことを言っていた。「痛みを味わってこそ、人生の選択肢が増えるんですよ」。世界は混沌としていて先が見えないし、人それぞれ抱えている生きづらさも違うけれど、僕はその言葉を胸に刻んで生きていきたい。

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