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なまえ

多くの人は、生まれた時に”なまえ”を付けられる。


それは良くも悪くも、自分の意志に反して与えられる。

ほとんどは、その名前を一生の自分の物にする。
なんとも、この世に自分という存在の爪痕を残すように。

親からの素敵な贈物ともとれるし、
名前と自分のギャップに思い悩むこともある。

気に入る者もいれば、もちろん気に入らない者もいるし、
この悩みさえも贅沢だとも取れたりする。


この世に埋もれつつも、自分という存在を
傷をつけるように。


初めての人に会うと、自分の第一層を文字にして相手に伝えることがる。

そんな時、名前は当然のように言葉にしなければならない。


改めて言葉に出してみると、なんとも不自然で恥ずかしく思えてきたりする。

自分の名前に詰まっている、他者と自分のこんがらがった何かが、その一瞬で溢れ出るみたいに。

それを言葉にしている瞬間は、自分を主張せざる負えないし、空間の主人公が強制的に他者から自分に以降する。

そこまで引っ込み思案というわけではなくて、どちらかといえば、目立ちたがり屋な面の方が勝っているけれど、この瞬間に詰まっている得体の知れない”それ”にいつも負けてしまうのである。


たぶん、一番の自己表現なのだろう。


あおむしははらぺこ より


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