記事一覧
湯を沸かすほどの熱い怒り
まだ『煽り運転』という言葉がなかった頃の話。
茨城県北部の田舎町に育った私は、その当時19歳ぐらいだっかと。
歳の割りに趣味は老けていて秘湯と呼ばれる温泉巡り。
小4で盆栽始めて、小5で中島みゆきさんにハマり、小6で緑茶にハマって遠足も水筒の中身は緑茶でしたから今思えば納得です。
その日は那須の高雄温泉(現在は名称も管理者も変わってしまったようです。)に行った帰りでした。
その温泉は那須
泣いてる母には何も聞けない
いつなのかはっきり覚えて無いんですが、多分小学校345年生ぐらいの時だったかなと。
夜の19時ぐらいに母親が家を出て行った記憶があります。
その前後に私が何してたのかも覚えていないんですが、出て行ったなぁと。
で、多分声かけたんだよね。どこ行くの?ぐらいの感じで。
で、ごめんねちょっとね!ぐらいの返事して車に乗って走り出しちゃった。
そんときに多分泣いてたんだよね。
で、今思うとあれよね?親
謎の多い世界に産まれて
世界の不思議はまだまだあって、その謎を誰が解明するのか?
というざっくりとした大きなレースが人生なのかも?とか思ってます。
知らない人に『あんたが人生とか語って良いのかい?』と聞かれたら困りますが、その時はしっかり向き合って『誰ですか?』と言えるようになりたいですね。
子供の頃には毎日色々な発見があって毎日楽しかった訳ですが、大人になってからの発見になると生活感が溢れてくる気がします。
戸
存在しているというだけで
母親からの電話は、大体午前中で、偏差値の高くない東北の私立大学にだらしなく通う私は大概出られない。
昼過ぎに起きて、着信を確認して夕方ぐらいにかけ直す。しかし、その頃には夕飯の支度なのか運転中なのかで、母親が出られず連絡がつくのはいつも夜になるという具合だった。
けれどもその日は天気もよく、一人暮らしのアパートの前の川沿いには桜が咲き始めていたので、身分をわきまえず散歩でもしようかと思い炬燵で
同期の友達に背中を押されてはじめてのnote
noteの登録はずいぶん前に済ませた記憶がありますが、初の投稿です。
みのるチャチャチャです。おじさん芸人です。
同期の囲碁将棋(漫才面白いので動画漁ってみてください)の文田君(背が高いです動画漁ってみてください)が最近始めたようで猛プッシュされました。
それはそれは『猛』でして、会話の終わりには必ず『noteやった方が良いよ!』が付いてました。大袈裟じゃなくね。
1時間の会話の中で(おじ