学びの残骸 : はじめてのnote
過去のものになるが、自身の手で創作したものを、この場を借りて”残骸”として、解き放とう。
私は、2021年4月〜2024年3月までの間、都内の専門学校で建築・インテリアデザインについて学んだ。
特に、構造云々よりもデザインに特化した専攻で、比較的に芸術的要素が強い学び場だった。
そんな学び場が、私の感性にとっては、大変快適であり、生きる希望でもあった。
その三年間は、新型コロナウイルス感染の影響も大いにあったが、約20年を生きた人生の中で、最も安定かつ飛躍でき、充実した学びの期間であった。
そして、今年度(2024年4月)から、日本社会の奴隷の一員となって、地元住宅メーカーの施工管理職で労働の日々を送って半年経つが、かつてない暗闇の森にでも迷い込んだのか………何を望んで間違えたのか………
建築施工について、専門学生時代にあまり触れられなかったので、新鮮な業務内容で、新たな知識となり、刺激とも感じ取れる。
しかし、専門学生時代のような充実した日々とは一転、何が好きだったのか、何が楽しかったのかも、全て忘れてしまった。
この場を借りて、はっきり言おう。
明日、己の命が消えるなら、”幸甚の極み”と感じとろう。
現在と未来を見据えるのは、もう疲れた。
少しの憩いの場と思い、本メディアツールを使って、専門学生時代に作成した作品や趣味程度に描いていたデジタルイラスト・水彩画などを”残骸”として、この場に解き放とう。
偶に、何かの思いつきで適当に描いたエスキースやら落描きやら、はたまた、たわいも無い思い出話やらを、残骸のひとつとして、投げ捨てるであろう。
この投稿をご閲覧している、実在するのか我々互いに不明なままの其方(そなた)も、本当の暇つぶしで、私が解き放つ残骸どもを眺めることになるのだろうか…
初投稿なので、早速私が社会の奴隷になって、最初に描いた水彩画を一つこの場を借りて掲載させていただこう。
これは、芸術素人な私の独自の思考だが、自身が手がけた作品について云々語る者は、作品の価値を自ら落としているように感じ取る。
鑑賞者全員に、制限無く自由に想像・思考を巡らせ、それぞれ個人が感じたそのものが芸術の醍醐味ではないだろうか。
あくまで私個人の思考なので、閲覧者の中で理解・共感が不可能であれば、ぜひ無視していただきたい。
芸術に限らず、娯楽にあたるものは、楽しみ方人それぞれなのだ。
2024/10/19 (Sat) 実 -minoru-
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?