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『プロフェッショナル』のような文章

渋谷駅、午前9時20分。

改札を通り抜ける通勤客のなかに、棋士・羽生善治の姿があった。
ネクタイにビジネスコート。羽生に気づく人はいない。

この日、10時から対局を控えていた。

――あの電車が多いんですか?
羽生:まあだいたい。あれかもう一本遅いのか。

――結構ラッシュじゃないですか?
羽生:混んでいるときは各駅ので。すいているほうで来るんですけど。

羽生は対局が行われる千駄ヶ谷の将棋会館まで、2キロの道のりをいつも歩いて向かう。周りの景色は一切目に入らない。何も考えずただ無心で歩く。

20代の頃は対局に向かう道すがらも、戦術を練り続けていた羽生。いまはあえて白紙で勝負に挑む。

会館に入るのは、いつも対局開始3分前。

♪(スガシカオ『Progress』が鳴り出す)

羽生は一息つく間もなく盤面に向かう。

棋士・羽生善治、35歳。
いま勝負師として、新たな地平を切り開こうとしている。

引用:プロフェッショナル 仕事の流儀

最近、『プロフェッショナル 仕事の流儀』をよく観ている。理由は、テレビが持つ編集力は、ネット(テキスト)にも生かせるのではと思ったからだ。

よくよく考えると、テレビ番組のナレーションはとてもわかりやすい。「聴こう」という意識がなくても、自然と頭の中に言葉が入ってくる。人物の心情や場の情景が手に取るようにわかる。

それはテキストにしても同様。上記は『プロフェッショナル 仕事の流儀』で実際に流れたナレーションを文字起こししたものである。テレビでは、映像・音声・テキストの3つの情報伝達ツールが使われる。そのため少し言葉足らずの部分はあるが、内容自体はわかりやすく仕上がっている。

テレビ番組とネット記事は構成が同じ

テレビ番組のなかでもとりわけドキュメンタリーに着目したのは、ネットのインタビュー記事と構成が同じだからだ。

例えば、『soar』のこちらの記事。

引用:この保育園はまるで“家族”みたい。夜の歓楽街をやさしく灯す「どろんこ保育園」という親子の居場所

いわゆる「リポート型」の記事で、写真・台詞・地の文を組み合わせてわかりやすく作られている。実はこれ、写真=映像、台詞=音声、地の文=テキストという具合に、見せ方としてはテレビと変わらないのだ

(初期のsoarでは、「会話型」のインタビュー記事が多かった。しかし、最近では「会話型」の記事はほとんど見ない。恐らく、soarくらいボリュームのあるメディアだと、「リポート型」の方がストーリーを伝えやすく、視覚的にもわかりやすいからだろう。)

また、テレビ番組は「わかりやすさ」が問われるものだ。難しくてよくわからないものは大衆ウケせず、視聴率が上がらない。だから、「ある道のプロフェッショナル」という難しいテーマでも、わかりやすく伝えるための工夫が随所に凝らしてある。

使われている構成が同じなのであれば、テレビで用いられている工夫をWebのインタビュー記事などでも生かせるはず。そんなわけで、『プロフェッショナル』を観ることにしたのだ。

『プロフェッショナル』で行われている工夫

では、実際に『プロフェッショナル』ではどういった工夫がされているのか。以下に簡単にまとめてみた。

息継ぎのない文章

テレビのナレーション文はかなり短く、息継ぎなしで言えるものばかりだ。そうした文章は、脳内で読み上げるときにも耳障りが良いのも特徴。

また、文章の基本は1センテンス1ミーニングである。1つの文章に2つ以上の意味を含めた、長ったらしいものはわかりづらい。聞き返しができないテレビにおいては、こうして簡潔にメッセージを伝えることは最重要事項である。

難しい表現を使わない

『プロフェッショナル』は、20〜40代のビジネスマンをメインターゲットにしている。なので、難しい表現がもっと出てきてもおかしくないのに、ほとんど出てこない。

黒ポン

しかし、難しい表現や概念が必要となる場合ももちろんある。そんな時に決まって出てくるのは、「黒ポン」だ。黒の背景に白の文字でたった一言、ピアノの「ポーン」という音が出てくるアレである。

黒ポンはネットの記事でいえば、見出しのようなものである。加えて、あの絶妙な「間」は、頭の中を整理する役割も果たしている。

細やかな情景描写・心理描写

ドキュメンタリー番組のナレーションでは、情景描写と心理描写を巧みに使う。特にプロフェッショナルのように「人」に焦点を当てたものは、心理描写が本当に細かい。

よく練られた起承転結

プロフェッショナルのフォーマットは大体決まっている。

起:人物の紹介、現在の取り組み
承:人物の過去、挫折
転:挫折から立ち直ったきっかけ
結:現在直面する問題に対する、プロとしての解決

使い古された「起承転結」だが、コレは非常によく練られている。というのも、このフォーマットに沿って人物を紹介されると、前提知識がなくても理解できるからだ。

どうすれば、ネットの記事に生かせるか

以上、『プロフェッショナル』での工夫を挙げてみた。では、これらの工夫はネットの記事どう生かせるか。

例えば、聴覚的に心地よい言葉を考える視点。自分の文章を読み上げたときに、ナレーションとして気持ち悪さを感じないか、聴き流しして意味がスッと入ってくるかを確認するようにすれば、テキストがもっと読みやすくなるかもしれない。

例えば、「間」の起き方。行間を広げてタメを作ったり、トーンの異なる画像を入れて印象を変えたりすれば、視覚的に見やすくなるかもしれない。

例えば、心理を読み取るクセ。インタビューイーの行動をつぶさに観察して、この動作にはどんな意図があるのかを考える。そうすることで、単純に聞き出した言葉をきれいに整えた記事から、人物の人柄や息遣いまでわかる記事に変わるかもしれない。

このようにテレビ編集の視点を借りることで、ネットの記事も全く違った見せ方ができる。それこそ、ネットの記事はデザインや画像枚数の制限も少ないので、視覚的に見やすくできるだろう。

ここ最近noteでよく見かけるエッセイなんかも、聴覚的に心地よいものが多い。単に言葉としての意味が伝わるだけの文章は、これからどんどん価値が薄れていくはずなので、聴覚的な視点もより重要になってくるだろう。その意味でドキュメンタリーを観ておくことは、良い練習になるんじゃないかなと。

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