音楽の話
突然だが、僕は音楽が大好きだ。
特にロックミュージックをこよなく愛している。
今まで数えきれないぐらいの枚数のアルバムを聴いて、何百回もライブ会場に足を運んでいる、自他共に認める音楽好きだ。
音楽は常に自分の生活のそばにあり、音楽がないといささか退屈だと感じる時も多い。
例えば、一日の始まりの時に家を出て、しばらく経ってヘッドフォンを忘れたことに気づくと一日中テンションが低いぐらい、音楽にゾッコンだ。
過去のノートを見てくれてる人は知ってるかもしれないが、僕は今、絶海の孤島という言葉が相応しい過疎地で暮らしている。
この島は人口180人ぐらいで、人口減少に歯止めがかからず、20年後にはもしかしたら無人島になってるかもしれないと囁かれるほど、人口に対する問題を抱えている。
この島に来てから、不思議と音楽をそんなに聴かなくなった。
全く不思議なものだ。都会で暮らしてる時は片時離さずヘッドフォンを持ち歩き、音楽を聴いていないとどこか落ち着かない程、音楽が好きだったのに島に来てからは無くても平気になりつつある。
音楽を聴かなくなった代わりに、日常生活の中に漂う音に耳を傾ける様になってきている。
この島は本当に静かな島だ。朝は風の音と鳥の鳴き声、波の音しか聞こえない。夜になるとカエルの鳴き声や虫の鳴き声も聞こえる。
それが、不思議と凄く心地いい。
自分でもとても意外だった。音楽はこれから先の人生でずっとそばにあり続けるものだと信じ込んでいたし、なんなら生涯を通して愛していく趣味であると勝手に思っていた。
そんな自分が、音楽を聴かなくても平気になってきている。
この現象に納得のいく理由を見つけたくて、色々考えた。そして今、なんとなくの答えがまとまってきている。
僕はきっと、音楽を好きで聴いているんじゃなくて、音楽を聴くことで触れたくない情報から逃避していたんだと思う。
世の中には色んな情報が溢れている。技術や文明が進歩するに連れ、情報の伝達速度は昔と比べると格段に速くなっている。必然的に触れる情報量も増えつつある。
情報の中には、見たくないものや聞きたくないものも多い。慣れとは恐ろしいもので、そういうものに目の当たりにしても不快感を露わにすることも減ってきている。
例えば朝のニュースで流れる殺人事件の報道、例えば誰かの噂話や車が走る音などから構成される都会の喧騒、
都会に住んでいると、そういったものに触れるのは最早当たり前であり、避けようと思っても避けきれない。
だから、僕はずっと音楽を聴いていたんだと思う。音楽はいつだって、そういった触れたくないもの達から感覚を遮断して、どっぷり音の世界にハマらせてくれる。
島に来て、そういうものからは無縁に近い生活を続けるうちに、日常生活の音に心地よさを感じる様になってきた。
それでも僕はどこに行く時もやっぱりヘッドフォンは欠かせないけどね。
今回は羊と全然関係ない話だったけど、大体このノートに書いてある事は一人前の羊飼いを目指す見習いの日記です。
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最後に、一曲オススメの音楽を紹介します。
ジョン・レノンとオノ・ヨーコによるプロジェクトバンド。ビートルズのポップな音楽から一線を超えた様な実験的なサウンドが多い。
この曲は楽器のハウリング音とオノ・ヨーコの叫び声がただひたすら繰り返される、人によってはノイズにしか聴こえない、そんな曲。
後半にかけて、まるで鳥の様な叫び声とディストーションが効いた弦楽器のハウリングが延々と続き、展開らしい展開もないまま曲は終わる。
音楽とは何か、という事をこの曲を聴いてよく考える。音色やグルーヴすらも排除したこの曲を音楽と捉えるのかどうか、それは結局、聴き手に全て委ねられているのかもしれない。
もしかしたら、この曲の音はただただ不快なサウンドかもしれない。だけどもしこの曲を最後まで聴いて、純粋にカッコいいと感じたなら、あなたはもうマイメンです。
今日もあなたが思う心地いい音を聴いてお過ごしください♪
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