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大人になっても完璧にはなれない

小さい頃、大人になればさぞかし素晴らしい人間になれるんだろうなぁなんて思っていました。

今は知らないことばかりだけど、大人になれば全てが分かるようになるんだと。

けど実際大人になってから思うのは、今でも自分を「素晴らしい人間」と言うには程遠いし、それに大人になったって完璧な人間にはなれないんだなっていうことが次第に分かってきたのです。

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例えば中学校の頃、クラスの親同士が二つのグループになって喧嘩をしていたことがありました。その時に母親は私に「あの子は向こうの派閥だから、仲良くしてはいけないよ」と言いました。

あの子っていうのは当時の私のクラスの友達で、家が近かったからよく一緒に学校に行っていました。けどその後もふとその子の話題を出すと、「あの子のお母さんは本当に怪しいからあの子にも話したらダメだからね、何か言いふらされたら困る」と念押しされたのです。

よく一緒に学校に通っている子なのに、もう仲良くしちゃいけないだなんて。その子の話すら出来ないだなんて。でも…私たちは喧嘩したわけでもない、普通の仲が良い友達なのに。

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その時私はなんて馬鹿馬鹿しいのだろうかと思いつつ、親の意見、大人の意見だから従わないといけないのかななんて思うようになりました。

それからいきなり私は友達と少しだけ距離を取って、やっぱりその子とはぎこちなくなってしまいました。もう今はそんなことは全くなくて、未だに年に何回かは会うくらい仲良しだけど、本当にあの時は申し訳なかったなぁ…

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結局親のグループ同士の喧嘩の原因は本当にしょうもないことで、それはまるで当時中学生だった私たちのクラスでもよく見るような些細なきっかけから起こった幼稚な喧嘩でした。

それを後から知った時、大人って完璧じゃないんだなと初めて分かったのです。

それは私にとってかなりショックなことでした。

あの時の私にとって、大人になるって一種の魔法のような、夢みたいなことでした。

知らない世界だからこそ、キラキラしてみえて。

いつも早く大人になりたいと思っていた。

憧れだった。

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でも大人になった今だからこそ思います。

大人は完璧じゃない。

完璧になんか、なれない。

そもそも、

私たちは皆誰もが必ず「子供」だった時代があって、その時を経て「大人」になるのです。

みんな誰しも子供のときに抱えていた考えや生き方があって、そこから大人へなっていく。

だから子供のときに考えが足りないままだった場合でも、そのまま放っておいても「大人」にはなれる。大人ってそういうことなのです。

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あの親同士の喧嘩を見たとき、私は「まるで中学生の喧嘩みたい」と思いました。

けど親の世代だって中学生の時代があって今があるから、「大人」だからって「大人の喧嘩」ができるわけじゃない。大人の喧嘩ってよくわからないですけどね。

「子供」のときの思考のままで生きてきた人は、そこで思考が止まったまま。だから中学生のような喧嘩だって、大人になってもする人はするのでしょう。

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大人になるということは、現実を知ることでもあるなとも最近思います。

理想を描いて夢を膨らませていたことに対して、一つ一つの本当の意味や現実を知ることで、唖然とすることがあります。たまに小さなショックを受けたり。そんなもんかぁ、なんて。

でもそういう現実を知ることの繰り返しで、私は「大人」になっているのだなと実感します。

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だからやっぱり大人って完璧じゃない。

完璧なんて言葉はあまりにも遠くて、果てのない見えもしない場所にある。

ただ一方で、大人になって現実を知っていく中でそれでも諦めきれない夢や理想だって実はたくさんあります。

そういった夢に向かって少しずつ進んでいくことで、例えその先にまた唖然とするような現実があったとしても、それまで進んできた道を振り返ることで私はまた一つ成長できるような気がするのです。

完璧にはなれない。

多分一生なれっこない。

けど、自分が思い描いていた一番の誇れる大人になってみたいな。

止まったままじゃなくて、いつでも前に進んでいけるような大人になりたい。

私が子供の頃になりたかった「大人」に少しでも近づけていけるように。

最後まで記事を見ていただきありがとうございました!!皆様一人ひとりの素敵な出会いに感謝します☺️💐