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いるのは強く在ろうとしている人間だけ

人は自分ひとりで生きているのではなくて、
誰かにもたれかかったり、もたれかかられたり、そんな持ちつ持たれつな関係を築きながら生きている。

京アニ放火事件の被告の治療に当たった、医師に関するネットニュースを読んで、そんなことを想った。

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とても痛ましい事件だった。京アニ作品は私も中学の頃からずっと観て育ってきたので、なんでこんなことになってしまったのかと、今でも当惑を隠せない。

被告は「自分の作品がパクられた」として、行為に及んだとされている。もちろんそんなことはないだろうし、被告の勝手な思い込みに過ぎない。

自分がうまくいかなかったことを、他人や社会のせいにしている人は、世の中一定数いる。でも、そういう人を完全に悪だとは思わない。

自分自身も、20歳くらいまではうまくいかないことを周りのせいにしていた節がある。現状の日本の教育や雇用システムは良くないだとか思っていたりした。もちろん、改善したほうがいい部分もあるだろうけど、みんなが同じルールで戦っているわけで、要はサッカーで手を使わないのと一緒だと今なら思える。

被告も40余年と生きてきて、その間に寄り添ってくれる人がいてくれたら、こんな事件は起きなかったんじゃないのかなぁ。

お金や資産に限らず、家族や友人といった人とのつながり(人的資源)に恵まれなかった人たちは、”無敵の人”だなんて言われたりして、自分には何も失うものがないため、それが犯罪行為であっても行動に移せてしまう。

これは決して個人の問題ではなく、社会の問題であると私は思う。世の中”自己責任”という風潮を強く感じてしまう時がある。他人に対して自己責任である押し付けられるのは、自分たちが(私も含めて)たまたまいろんなものに恵まれているから、言えることではないだろうか。

困ったときに誰かが話を聞いてくれたり、そばにいてくれるだけでも、心の在り方は全然変わってくる。”自分に味方がいない”というのは、とても恐ろしい状態だ。

親や家族と折り合いの悪い人はいて、そういう人が外の世界でうまく順応できなかった場合、辛い時に手を差し伸べてくれる人がいなくなってしまう。そういう社会からドロップアウトしてしまった人たちを、どのようにして救い上げるか、そもそも生み出さないようにするかは、政治の問題に限定されるのではなく、私たちの問題でもあると思う。

被告の肩を持つつもりは毛頭ないが、今後このような事件が起きないようにするためには、人を孤立させないような環境づくりが、求められるのではないだろうか。

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有難いことに私は、家族や友人たちとは良好な関係を築けていて、仕事も何とかやって来れて、経済的にもあまり不自由していない。それはとても恵まれていることで、稀有なことだ。

外からはわからなくても、みんなどこかしらで課題を抱えている。だから、みんな誰かに相談したり、話してみるだけでも、少し心が軽くなったりする。

カウンセリングというものを大学生の時に数回受けたことがあった。その時、カウンセラーの先生は「こうしたほうがいい」みたいなアドバイスをあまりしなかった。たぶん、大事なのは”話を聞いてあげる”ということであって、先生は誰かを助けたりしない。

話を聞いてくれたことで、根本の問題は解決していないけれど、心の中で整理がつく。落ち着いて自分の問題を考えられるようになると、答えの糸口が掴めたりする。きっと人は、一人で勝手に助かっているだけなのかもしれない。

誰にも頼ることができないと、不安や悲しみはどんどん自分の中で膨らんでいく。そういうのをうまく処理できる人もいれば、そうでない人ももちろんいる。

自分から助けを求めないと、誰も救ってあげることができない。助かるのは、救われる準備ができている人だけだ。いくら公的な機関や法人が窓口を用意しても、当事者が来ないのであれば、手の差し伸べようがない。

本当に困っている時に大事にしてほしいのは、”助けを求めること”だ。これは簡単なことではない。誰しもこんなことで相談していいのだろうかとか、人に迷惑をかけたくないと思っている。でも、誰にも迷惑をかけずに生きていくことなんて誰にもできないのだから、まずはたくさん人や支援機関を頼ってほしい。

そして救われたのなら、その手で今度は誰かのことを救ってあげて欲しい。

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亡くなられた方々のことを想うと本当に残念だ。被害者の家族は本当に悔しい想いをしていると思う。こんな思いがけないことで、人が亡くなるのは辛いことだ。

正直、この記事を投稿するのは不安だ。解釈によっては、あまり肯定的に捉えられるものではないと思っている。それでも、弱い立場に置かれている人たちの支援が疎かにしてはいけないとも思っている。

自分の職業柄、そういう人たちと関わることがあり、別に肩を持つつもりもないし、共感できないことも多々あるが、その人たちにも生活があって、考えがあって、悩みがあって、人生がある。

世の中はまあまあ不平等だし、たまたま運が悪くて転落人生を歩むことだってある。すべての人に対して優しくすることはできないけれど、少なくとも相手の抱えている事情について、知ろうとすることなら、できるかもしれない。

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京アニ作品には、これまでたくさん励まされて、元気をもらってきた。それは私に限らず、多くのファンが思っていることだと思う。あの事件があった後も、劇場版『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』や『小林さん家のメイドラゴン』(2期)などの作品を世に出してきた。

どれも本当に素晴らしい作品で感動を与えてくれた。
クスっと笑えるような要素もあったりして元気をくれた。

進路のことでかなり落ち込んでいた時期だった。生きている価値がないだなんて、あの時は自分の人生に絶望していたけど、自分が好きだと思えるものに出会えただけでも、それは十分に価値のあるものなのだと、今なら少しわかる気がする。

愛は言葉にするのが難しい。もっとたくさん伝えたいようで、でもそれをどのように表現すればいいのかわからない。だから、今日はこの辺で終わりにしようと思う。




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