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春に想うこと

気づいたら、3月ももう中ごろだ。

年度に向けてドタバタ働く日々が続く。
自分だけが取り残されているような感覚に陥るけれど、案外周りの人も切羽詰まっていると話を聞く。
そうはいっても、優秀な人たちはどんどん向こう側へと進んでいく。
自分はいったい何がしたいのだろうか。

”ふつう”で在りたいと思うが、
その基準はいったいなんなのかはわからない。
何か明確な基準があるわけでもないし、仮にそこからずれていたらかといって、何かが起こるわけでもない。
出世したいとも思っていないし、誰かに褒めてもらいたいわけでもない。
そうであれば、自分のベストをただ尽くすことができれば、それでいいはず。
なのに、どうしてこんなにも悩ましいのだろうか。

***

9月ごろに別れた人と食事をした。

別に関係性が変わったわけでもなく、
相も変わらずつまらないことでケラケラ笑い合える仲だ。

もう桜が咲いているのか⁉

たぶん、私はこの人のことがずっと好きで、これからも想ってしまう。

「今は恋愛をするつもりないけど、これからも会いたい」と言われた。
”ずるいな”と思ってしまうけど、
人間関係は多くて嵩張るかさばることはないから、別にいいかなとも思ってしまう。

自分としては会いたいわけだし、どんな関係であったとしても、好きな人とそばにいたいと思うのは、当たり前のことだろう。

正直、もうまともな判断力なんてない。
大人になって自分一人の力では、どうしようもないことばかりだと気づく。
居合わせる環境がより複雑になって、
いろんなことを自分で決めていかなくてはいけない。
それを人は「自由」と呼ぶのだろうけれど、それが重荷に感じるわけだ。

子どものころは頑張った分だけ成果が出ることが多い。
勉強にしろ、習い事にしたって、
それなりに時間をかければできるようになった。

でも、社会に出てやらなきゃいけないことが多岐にわたり、
どうやってリソースを割いていくか、いろいろと決めなければならない。
全部のことについて100%にできるわけではないから、必然的に何かを諦めていかなければいけない。

本当はもっと頑張りたいと思うけれど、なんだかもう疲れてしまって…

できることを増やそうと、いろいろやってみたものの、
なんだか空回りな日々。

だんだんと投げやりになって、諦めがついて…

赤坂にあるファミマの近く。寒い夜空も温めてくれる。

まあ、自分としてはよく頑張ったかなとかも最近思うわけだ。
すべてがうまくいかなかったわけではないし、他人から見たら案外まともな人生だと思う。

この先のこと、どうしたいとかもあまり思わなくなってきた。
これからもダラダラと生きて、とりあえず最後までちゃんと生きられたなら、もうそれだけで十分なのではないだろうか。

なにも成し遂げられなくても、最後は一人だったとしても…

***

大概の部分では満足している。
仕事もなんやかんやホワイトで、家族や友人との交友関係も良好で、お金にも幸い困っていない。
ただ、ちょっと先のことを考えると不安なのかもしれない。
この先もこうした日々が延々と続くわけではないような気がして、いつか大事なものを失ってしまうのではないかと考えてしまう。

それはきっと気分的なもので、
調子がいい時にそんなつまらないことで悩んだりはしない。
ふとした瞬間に、足元を掬われるような感覚に近い。

まあ、しょうがない。
自分は自分でしかないし、他人の人生なんて歩めやしない。
なんやかんや、自分がいちばん乗り心地がいいかもしれない。

これからも自分にできることをコツコツとやっていくほかない。
今自分にあるものを大事にして、ゆっくり育てていけたらいいのではないかと思う。

春を想わせるライトアップ。






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